あなたがたはわたしを尋ね求めて、
わたしに会う。
もしあなたがたが
一心にわたしを尋ね求めるならば、
わたしはあなたがたに会う
と主は言われる。
わたしはあなたがたの繁栄を回復し、
あなたがたを万国から、
すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、
かつ、わたしがあなたがたを
捕われ離れさせたそのもとの所に、
あなたがたを導き帰ろうと
主は言われる。
「 エレミヤ書」 29章13, 14節
旧約聖書 口語訳
死を語らないまま生を語ることはできません。
生の意味を知るためにも、
私たちは死とは何かを
正確に知らなければなりません。
どのような生が本当に
価値あるものなのかということは、
今すぐにでも死ぬかもしれない窮地に追い込まれ、
一日でも長く生きようと天にすがりついて泣き喚く、
そのような人こそが知り得るものです。
それほど貴い一日一日を、
私たちはどのように生きればよいのでしょうか。
誰もが渡っていかなければならない
死の境界を越える前に、
必ず成し遂げておくべきことは何でしょうか。
最も大切なことは、罪を犯さず、
影のない人生を生きることです。
何が罪なのかという問題は、
宗教的に、また哲学的に
多くの論争の種になりますが、
はっきりしていることは
良心が躊躇することをしては
ならないという事実です。
良心に引っ掛かることをすれば、
必ず心に影が残るのです。
【大阪から世界を読む】
★コストコ炎上、
聖書に「フィクション」のラベル貼って“大問題”…
不買運動も、ネット上では“神学論争”に発展
◆産経新聞 2014年1月13日 07:00
【大阪から世界を読む】
▲「フィクション」のラベルをつけて売られていた聖書。牧師がネットにアップし、店側が謝罪する事態になった=2013年11月20日(AP)
米国で大型量販店が聖書を「フィクション」(架空の物語)に分類して販売し、クレームを受けて謝罪するという騒動があった。店側は単なるミスだったとしているが、ネット上では賛否入り乱れてのちょっとした神学論争に発展した。写真を掲示して火をつけた牧師自身も戸惑いを隠せない様子だ。
(坂本英彰)
▼聖書は1500円のフィクション
FOXニュースなどによると2013年11月、カリフォルニア州の牧師が量販チェーン「コストコ」の店舗に買い物に訪れた際、「14・99ドル(=約1500円) フィクション」のラベルで売られている聖書を見つけた。
牧師は店員に理由をたずねようとしたがはっきりした回答は得られず、ラベルがついた聖書の写真をツイッターにアップした。
牧師は取材に「コストコはコーランにもフィクションのラベルをつけるのだろうか。それをしたら大変なことになるだろう」と疑問を投げかけ、「聖書を信じないというならそれでもいいが、少なくとも“宗教”とか“啓発”といったラベルにしてほしい」と話した。
ネット上には信仰に篤い人たちからの非難が相次いだ。
「信じがたい行為だ」
「私の信仰はフィクションなんかではない」
コストコに対する不買運動を呼びかける者まで現れた。その一方で、「正しいジャンル分けだ」「聖書は人類最高のフィクションだ」といった、あまり宗教的ではないひとたちからの擁護や称賛の意見も多くあった。
事態を受けてコストコは謝罪の声明を発表。それによると、配送業者が一部聖書のラベルを間違えて貼ったミスによるもので、意図的ではないとしている。また間違ったラベルは即刻すべて貼り直したとしている。
▼単純ミス? それとも…
事実は単純ミスのようだが、この一件に深い意味を見いだす論評も現れた。
クリスチャン・サイエンス・モニター紙のコラムは「簡単に見えるジャンル分けについて考えさせられた」とし、歴史ものなどフィクションとノンフィクションの境界の微妙さを考察。ジャンル分けが売り上げにも影響すると指摘した。
火付け役になった牧師もネットで議論に加わった。「信仰について神が話題を提供してくださった」などと書き込んでいたが、やがて反響の大きさに少し戸惑いも見せるようになった。そして今度は火消し役に回るかのように、こうつづっていた。
「コストコや誰かに聖戦を仕掛けようとしたわけではありません。大変なことになって申し訳なく思っています」
(産経新聞 2014年1月13日 07:00 )
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140113/waf14011307000000-n1.htm?view=pc
▲『ダーウィニズム150年の偽装』渡邊久義
【今日の御言葉】