地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

被造物に現れているもの【中高生のための国民の憲法講座】 憲法に皇室祭祀の明記を 百地章先生

2014-01-18 22:41:06 | 今日の御言葉




世界が造られたときから、

目に見えない神の性質、
つまり神の永遠の力と神性は

被造物に現れており、
これを通して神を知ることができます。

「ローマの信徒への手紙」/ 1章 20節
新約聖書 新共同訳





神様は、
福を受けて
分け与えることのできる人にこそ、
福を与える。

今までの宗教人たちは、
自分のために
福を受けようとしたために、

いくら精誠を尽くしても、
神様は福を与えなかった。





【中高生のための国民の憲法講座】

★第26講 憲法に皇室祭祀の明記を
百地章先生

◆産経新聞 2013年12月28日 11:24



▲国は宗教と一切関わりを持ってはならないと主張する人がいます。本当でしょうか。


 わが国では、政教分離を定めた憲法20条や89条をもとに、国は宗教と一切関わりを持ってはならないと主張する人がいます。本当でしょうか。

 ◆政教分離とは何か

 欧米では、「政教分離」とは「国家と教会の分離(Separation of Church and State)」であって「国家と宗教の分離(Separation of Religion and State)」ではないとされています。つまり国が特定の教会(例えばカトリック教会やプロテスタント教会)と結びつくことを禁止しただけと考えられているわけです。

 確かにヨーロッパの歴史を見ると、国が特定教会と結びついて他宗教を弾圧した例はたくさんあります。だから信教の自由の保障のため教会との結びつきを禁止しただけで、国家から宗教(キリスト教)を排除しようとしたのではありません。

 さらに言えば、政教分離はあくまで教会と「ステート(state)」つまり「政府」との分離であって、「ネーション(nation)」つまり歴史的・伝統的な「国民共同体としての国家」から「宗教」を排除しようとするものではありません。


 それゆえ、アメリカのアーリントン墓地で行われる戦没者追悼式はキリスト教式ですが、誰も政教分離違反とは言いません。なぜなら、戦没者たちは時の「政府」のためではなく「国家」のために身を投げ出した人々ですから、国がアメリカの伝統的宗教であるキリスト教によって追悼し、顕彰するのは当然と考えられているからです。

 同様に、大統領の就任式も、国家の永続性を担保し象徴するための儀式ですから、キリスト教式で行われています。

 ◆皇室祭祀と四方拝

 他方、わが国では憲法の政教分離を理由に、皇室祭祀(さいし)は皇室の私的行為とされています。しかし、本当にそうでしょうか。というのは、皇室祭祀は一宗一派の宗教と異なり、天皇による「国家国民のための公的な祈り」だからです。

 「皇室祭祀」には大祭、小祭、旬祭の3種類があります。大祭は天皇陛下が衣冠束帯を召され、自ら祭文を奏上される重要なお祭りであり、それに小祭、旬祭を加えると、年間60回にも及びます。


 このうち四方拝(しほうはい)は、元日の早朝5時半から行われる天皇の最も重要なお祭りの一つです。黄櫨染御袍(こうろぜんのごぼう)という装束に身を包まれた天皇陛下が、宮中三殿の西側にある神嘉殿の南庭において伊勢神宮をはじめ四方の神々に「国家の安泰と国民の幸福」を祈られるものですが、凍(い)てつくような寒さの中、伊勢神宮の方角だけ開かれた屏風(びょうぶ)に囲まれて、天皇陛下が篝火(かがりび)の灯された暗闇の中で静かに祈りを捧(ささ)げられる、天皇御一人しかできないお祭りが四方拝です。これは平安時代の初期から始められたもので、千年以上の歴史があります。世界には20以上の君主国が存在しますが、常に国民の幸福と国家の安泰を祈り続けている君主など、他にはいません。

 このような理由から、新憲法には、皇室祭祀が天皇の公的行為であることを明記する必要があります。

                   ◇

【プロフィル】百地章

 ももち・あきら 京都大学大学院法学研究科修士課程修了。愛媛大学教授を経て現在、日本大学法学部教授。国士舘大学大学院客員教授。専門は憲法学。法学博士。産経新聞「国民の憲法」起草委員。著書に『憲法の常識 常識の憲法』『憲法と日本の再生』『「人権擁護法」と言論の危機』『外国人参政権問題Q&A』など。67歳。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/131228/edc13122811240001-n2.htm



▲『日本は天皇の祈りに守られている』
松浦光修 (写真)



【今日の御言葉】

御子のために造られたもの【島之内教会 祈り響く文化発信基地 】

2014-01-18 01:58:33 | 今日の御言葉


万物は、

天にあるものも地にあるものも、

見えるものも見えないものも、
位も主権も、支配も権威も、

みな御子にあって造られたからである。

これらいっさいのものは、

御子によって造られ、
御子のために造られたのである。

「コロサイの信徒への手紙」 1章16節
新約聖書 口語訳



家庭というのは、
人類愛を学び教える学校です。

父母の温かい愛を受けて育った子供は、
外に出ていけば、家で学んだとおりに、
困っている人を愛の心で助けるでしょう。

また、兄弟姉妹の間で
情け深い愛を分かち合って育った子供は、
社会に出て隣人と厚い情を
分かち合って生きていくでしょう。

愛で養育された人は、
世の中のどんな人でも家族のように思うものです。

自分の家族のように思って人に仕え、
人に自分のものを分けてあげる愛の心は、
真の家庭から始まります。


【舞台の遺伝子】

★島之内教会 祈り響く文化発信基地

◆産経新聞 2013年12月28日 09:38
【クリスマス】



▲ビルやマンションに囲まれた島之内教会。ネオンや車のライトが十字架を浮かび上がらせる=大阪市中央区東心斎橋(長時間露光)

 年の瀬の慌ただしい夕刻。カフェやレストラン、ブティックなどが並ぶ大阪・ミナミの通称「ヨーロッパ通り」(周防町通り)には、人の波が絶えない。

 繁華街のネオンに照らされた十字架がひときわ目を引くのは、創立130年を超える日本キリスト教団の島之内教会(大阪市中央区東心斎橋)だ。

 礼拝堂に入ると、繁華街の喧騒(けんそう)から一転、静かで厳かな空気が伝わってくる。戦時中、大火の被害を受けながらも、伝道活動などを通し、戦後の復興を支えた。また、“開かれた教会”として一般にも広く開放。コンサートや舞踊などの文化活動が盛んな教会としても知られている。

 礼拝堂には昭和43年、「島之内小劇場」が誕生し、つかこうへいさん、唐十郎さんらが演劇活動を行った。47年には、戦後における上方落語協会の悲願の定席「島之内寄席」が開催されるなど、文化発信基地としての役割を担ってきた。

 大門義和牧師(71)は、「礼拝堂を文化活動に使用することにはさまざまな意見があります。しかし、教会は公民館のような存在だと思っています」と語る。

 日本キリスト教団島之内教会から、歌声が響く。関西を中心に活動する声楽家のグループ「アンマークトシンガーズ」のクリスマスコンサートが開かれていた。声楽家の女性が、十字架がしつらえられたアーチ状の祭壇に上ると、声はさらに大きく響き渡った。

 グループ代表の藤原さおりさん(40)は、「礼拝堂を会場に一般のコンサートができる教会は、そう多くないです。教会の文化への深い理解があってこそで、貴重な体験です」と話す。

 礼拝のない日に、コンサートや舞踊など文化活動の団体に礼拝堂を貸し出す。祭壇でインド舞踊が行われたり、ジャズが演奏されたりとさまざまだ。



 その歴史をひもとくと、“開かれた教会”の立役者となったのが、第12代牧師の西原明氏(1928-2009)だ。昭和30年代半ば、ニューヨークの教会で、芝居やジャズ、モダンダンスなどの上演を見たことがきっかけだという。

 後に、西原牧師は島之内教会に赴任。43年、地元の劇団「プロメテ」の協力などで「島之内小劇場」を創設した。礼拝堂と祭壇をそのまま劇場空間として提供し、つかこうへいさん、唐十郎さんらが演劇活動を行った。当時、大阪には現代演劇などを定期的に上演できる劇場がなく、文化発信の中心的な役割を果たしたという。

 もちろん、礼拝堂を利用することについて、信徒の意見はさまざまだった。「宗教も演劇も人々の心の灯になればいい」というのが西原牧師の思いだったという。



 落語会も催された。昭和47年、上方落語協会の会長だった六代目笑福亭松鶴さん(1918-86年)が中心となり実現させた定席「島之内寄席」。当時の上方落語の噺家(はなしか)50人が出演。舞台や会場の設営、下足番、お茶出しまで裏方の仕事を噺家たちが担ったという。

 「礼拝堂の長いすを地下に降ろし、約60枚の畳を敷きつめる作業もみんなでやりました。高座も作られ、落語が始まると礼拝堂とは思えない雰囲気。ここで噺家として育ててもらいましたね。若くて夢に燃えていた場所です」

 懐かしそうに話すのは、桂春若さんだ。若き日の桂文枝さん、桂文珍さんらもここで高座に上がり、笑福亭鶴瓶さんも下足番を務めたという。

 文化活動だけではない。昭和48年には「関西いのちの電話」が創設され、その後、「自殺防止センター(現大阪自殺防止センター)」として、24時間対応のスタッフが常駐するなど社会活動の場ともなる。

 「一般の方に親しんでいただいた教会。礼拝がないときは地域の人に使ってもらい、愛される教会として続いてほしい」。その願いが受け継がれている。

文 横山由紀子

写真 岡本義彦


 島之内教会 明治15年創立。昭和4年、現在の3階建ての教会施設が完成した。昭和20年、大阪大空襲で建物内部が焼失したが、改修工事などを経て、平成21年に国の登録有形文化財に指定された。歓楽街の中にある教会として都市伝道を進めるとともに、芝居、落語、音楽などの芸術活動を支援。

(MSN産経ニュース2013年12月28日)
http://sankei.jp.msn.com/smp/west/west_life/news/131228/wlf13122809380008-s.htm


【今日の御言葉】