主は国々の争いを裁き、
多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし/
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず/
もはや戦うことを学ばない。
「イザヤ書」/ 2章 4節
旧約聖書 新共同訳
大切なことは、
人よりもっと多くの仕事をすることです。
人に与えられた人生が六十年であれ七十年であれ、
時間が限られていることに変わりはありません。
その時間をどのように使うかによって、
普通の人の二倍にも三倍にもなる
豊かな人生を生きることができます。
時間を必要度に応じて細かく刻み、
一瞬でも無駄に使わずに一生懸命働けば、
その人生は本当に貴いものになります。
人が一本の木を植えるとき、
自分は二本、三本の木を植えるのだ、
という勤勉で誠実な姿勢を持って
生きるべきです。
★カラシニコフ氏「懺悔の書簡」
昨年、露正教会に「痛み耐え難い」
◆産経新聞 2014年1月13日 20:03 【ロシア】
▲2007年7月、モスクワの中央軍事博物館でAK47自動小銃の第1号モデルを手にするカラシニコフ氏(AP=共同)
【モスクワ=遠藤良介】ロシアの有力紙イズベスチヤは13日、旧ソ連製カラシニコフ自動小銃(AK)の設計者で昨年12月に死去したミハイル・カラシニコフ氏が同年4月、露正教会のトップであるキリル総主教に「懺悔(ざんげ)の書簡」を送っていたと伝えた。
書簡を入手した同紙によると、カラシニコフ氏は自らの開発した小銃で多数の人命が奪われたことについて、「心の痛みは耐え難い」と告白。「私には、たとえ敵のものであっても、人々の死に罪があるのか」「神は光と影、善と悪を不可分のものとして創りたまったのか」と問うている。
正教会関係者は「祖国防衛を目的とした武器の開発や使用は支持される」との立場を同紙に説明し、「カラシニコフ氏は愛国主義の模範だ」とする返信をキリル総主教が出したことを明らかにした。
カラシニコフ氏が第二次大戦での経験から開発したAKは信頼性と使いやすさから普及し、模造品も含めて世界に1億丁が存在すると推定されている。「世界で最も人を殺した武器」と評されることについて、生前の同氏は「和平合意できず、暴力に訴える政治家の責任だ」と語っていた。
(産経新聞 2014年1月13日)
▲メドベージェフ露大統領(左)から
ロシア最高位勲章「ロシアの英雄」を
授与されたミハイル・カラシニコフ氏
=2009年11月10日、モスクワ
★自動小銃AK47生みの親、
M・カラシニコフ氏死去 94歳
◆産経新聞2013年12月24日 07:59
旧ソ連の銃器設計者で自動小銃AK47の生みの親であるミハイル・カラシニコフ氏が23日、ロシア中部ウドムルト共和国イジェフスク市で死去した。94歳だった。同共和国大統領報道部が発表した。胃の出血のため11月中旬から同市で入院していた。同報道部は「傑出した銃器設計者」が「長く続いた重体の末に死亡した」と伝えた。
1919年、西シベリア・アルタイ地方生まれ。中等教育を終えた後、農業機械や鉄道関連の仕事を経て38年に徴兵され、第2次大戦の独ソ戦では戦車長に。負傷を機に銃の設計に取り組み、45~47年に行われた開発コンテストで評価されカラシニコフ自動小銃の初期モデルAK47を開発。49年にソ連軍に採用された。
AK47は使いやすく丈夫で価格も安かったためライセンス生産、模造品も含めて全世界の紛争地で今日まで使われ「人類史上、最も多くの人を殺した武器」とされる。生涯で150以上の武器を開発、2009年、ロシアで最高位の勲章「ロシア連邦英雄」を受章した。
(共同)
★プーチン大統領
「カラシニコフ銃、勝利の象徴」
功績たたえる
◆産経新聞 2013年12月24日 17:59 【ロシア】
ロシアのプーチン大統領は24日、AK47自動小銃設計者ミハイル・カラシニコフ氏の死去を受けて声明を発表し「彼が創造した兵器は、わが軍の勝利の象徴として永遠に残るだろう」とたたえた。
タス通信によると、プーチン氏は23日に「深い哀悼の意」を表明。メドベージェフ首相も「傑出した銃器設計者は生涯をかけて、祖国とその安全に貢献した」と功績をたたえた。
ロシア通信によると、同氏を治療した医師は、この半年で3回目の入院だったと語り、病院で死去したことを明らかにした。(共同)
【今日の御言葉】