愛は隣り人に害を加えることはない。
だから、
愛は律法を完成するものである。
「ローマの信徒への手紙」 13章10節
新約聖書 口語訳
人よりも高い位置に上がったとしても、
一瞬の栄華にすぎず、
人よりもたくさんの
財物を集めたとしても、
死の門の前では一切合財捨てて
行かなければなりません。
お金や名誉や学識、
そのすべてが時と共に
流れていってしまい、
歳月が過ぎればすべて
なくなってしまいます。
いくら立派で偉大な人だとしても、
命が尽きた瞬間に終わってしまう
哀れな命にすぎません。
自分とは何か、
自分がなぜ
生きなければならないのかを、
いくら考えても分からないのが
人間です。
したがって、
自分が生まれた動機と目的が
自分によるものではないように、
自分が生きるべき目的も、
やはり自分のためではないことを
悟らなければなりません。
ですから、人生いかに生きるべきか、
ということに対する答えは簡単です。
愛によって生まれたのですから、
愛の道を求めて
生きなければなりません。
★徳田氏を裏切った元側近
「今の理事長は『徳田虎雄2号』です」
◆NEWS ポストセブン 2013年12月11日
(水)7時5分配信
逮捕者まで出し、猪瀬直樹・東京都知事の“5000万円問題”にも波及した徳洲会騒動。発端は、33年にもわたって徳洲会創設者で前理事長の徳田虎雄氏に仕えた元側近・能宗克行(のうそう・かつゆき)容疑者(57)が、徳田氏の親族と対立を深め離反、同会の内部資料を東京地検に持ち込んだことだった。
こうした動きが徳洲会による選挙支援の「暗部」を解き明かすことになった一方、徳洲側も能宗容疑者を警視庁に刑事告訴していた。警視庁は12月3日、3000万円の業務上横領容疑で能宗容疑者を逮捕。『トラオ 不随の病院王 徳田虎雄』(小学館文庫)の著者・青木理氏(ジャーナリスト)が逮捕前の能宗容疑者の「肉声」と騒動の「核心」をレポートする。
* * *
「銀行からカネを借りまくって、がむしゃらに前へ前へと病院建設に突き進んでいたころ……、苦しかったけど、あのころが一番楽しかった。でも、もう終わりです。そんな時代は、もう終わってしまったんです」
男は、すこし寂しそうにつぶやいた。能宗克行、57歳。日本最大の民間医療グループ・徳洲会を舞台に最近巻き起こった事件は、この男の行動がすべての発火点となった。東京地検特捜部が強制捜査に乗り出した公職選挙法違反の容疑事案も、各メディアに乱舞している関連の記事やニュースも、ほとんどは能宗のもたらした情報に基づいている。
それも当然だろう。つい最近まで能宗は、徳洲会グループに君臨する絶対的ドン・徳田虎雄の絶大な信頼を受ける最側近、懐刀だった。グループの事務総長として病院経営や管理の実務を取り仕切り、巨大組織につきまとう“汚れ仕事”の処理を一手に引き受けてきたのも能宗であった。
ところが昨年9月、能宗は突如、事務総長職からの解任を通告された。今年2月には、懲戒解雇という形でグループから追放されている。その能宗が、グループの内部資料などを特捜部に持ち込んだのである。徳田の次男で自民党衆院議員となっている毅(42)が出馬した昨年の衆院選をめぐり、グループぐるみの選挙戦を繰り広げていたことを裏づける内部資料まで提供して──。
表面的にみれば、組織を追われた側近の決定的な裏切りである。だが能宗は、30年以上にわたって徳田に寄り添い、ともに歩み続けてきた大番頭だった。いったいなぜ、こんな事態に立ち至ってしまったのか。能宗が明かす。
「理事長(徳田)は本当に魅力的な人でした。たぐいまれな行動力と実行力で、不可能を可能にしてきたのが理事長でした。でも、変わってしまったんです。いまの理事長は、むかしの理事長じゃない。もう別人なんです。私にとってみれば、“徳田虎雄2号”みたいな感じのね……」
徳田が医師を志したのは、弟を亡くした幼き日の経験だった。治療さえ受けられれば何ともない病で死んだ弟の姿を目の当たりにし、離島や僻地にすこしでも充実した医療を届けることが自らのライフワークだと思い定めた。
実際に徳田は、徳洲会グループを拡大させる中で、故郷・奄美をはじめとする離島や僻地に総合病院を相次いで打ち立ててきた。政界に進出したのも、病院建設計画に医師会や政界、関連自治体から横槍を入れられることが多かったためであり、徳田に言わせれば、閉鎖的な日本の医療体制を変革するためには政治的パワーが必要だと考えたからだった。
そんな徳田が2002年ごろ、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した。ALSとは、意識や感覚はまったく正常なのに、体中の筋力が徐々に失われていく難病である。病状が進行して全身不随になった患者は、唯一残される眼球の動きで外部に意思を伝えるしかない。そんな状況に陥りながらも、徳田はグループ経営の指揮を執りつづけていた。
「徳洲会が行ってきた離島や僻地での医療は、本当にすごいことなんです。これは理事長にしかできなかったことだし、その目的のために猛進する姿は、私にとって途方もなく魅力的でした。『何でもあり』で突き進んできた人だったけれど、それが許されていたのは、(離島や僻地医療の)実績があったからです」(能宗)
だが、自らが掲げる目標に突進する徳田は、いつのころからか変質してしまったと能宗はいう(文中敬称略)。
(NEWS ポストセブン 2013年12月11日)
▲細川護煕元首相の
「祖父」である
近衛文麿元首相 (写真)
『近衛文麿の戦争責任』
中川八洋 (PHP研究所)
日本を地獄の底に突き落とした
「仮面の戦争屋」の正体を暴く
【今日の御言葉】