▼「若草山焼き」(奈良県 興福寺) Sankei 2015.1.25

死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。
詩編/ 23編 4節 (旧約聖書 新共同訳)
この世の最大の不幸は、
貧しさでも病気でもありません。
自分が誰からも
必要とされないと感じることです。
マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)

★イスラム国拘束:後藤さん 命守る
「一線」慎重対応 - 毎日新聞
◆毎日新聞 2015年01月21日 21時36分
(最終更新 01月21日 21時49分)
「イスラム国」とみられるメンバーに拘束されたジャーナリストの後藤健二さん(47)は、日本基督(キリスト)教団田園調布教会(東京都大田区)によると、1997年に同教会で洗礼を受け、年に1度ほど礼拝に訪れていた。キリスト教系ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」(千代田区)は、後藤さんに月1回のコラムの執筆を依頼していた。1回目の原稿が昨年10月24日にメールで届き、2日後に掲載された。
「戦争に行くという意味」と題したコラムの中で、後藤さんは「最前線で戦う兵士と成り行きを見守るしかない一般市民との間には『見えない一線』というものがあります。戦場を訪れるジャーナリストはそこを行き来します」「『見えない一線』を越えてしまったら、命の保証はほとんどありません」などとつづっていた。その後、同社は次回のコラムなどについて相談するメールを数回送ったが、後藤さんからの返信は届かなくなった。
テレビ番組製作のため、後藤さんと一緒にリビアなど中東地域を取材したことがあるテレビ東京の福田裕昭解説委員(53)は「とにかく慎重に対応するジャーナリストで、頼りになるパートナー。信じられない」と話す。
福田さんによると、後藤さんはレバノンで戦場ジャーナリストの訓練を受けていた。「平穏だと思っていても、いきなり戦闘地域になることがある。それが戦場では一番怖い」。後藤さんからそんなアドバイスを受けていたという。
パキスタンを中心に活動している国際支援団体代表の喜多村潤さん(29)は「常に現地の人の目線でニュースを伝える人で、それが自分の使命だと強い情熱を持っていた」と話した。【奥山智己、安高晋、三木陽介】

▲トルコとの国境に近いシリア北部の
都市アレッポでの取材風景
(写真:INDEPENDENT PRESS)
★【インタビュー】
国際ジャーナリスト・後藤健二
~それでも神は私を助けてくださる~
◆クリスチャントゥデイ
2014年5月30日11時32分
混乱と激戦が続くシリア。4年前の内戦勃発以来、この地で取材を続ける一人の日本人ジャーナリストがいる。日本基督教団田園調布教会の信徒であり、国際ジャーナリストとして活躍する後藤健二さんだ。後藤さんは映像制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インディペンデント・プレス」を設立。以来、世界各国の紛争地帯、貧困やエイズなどの問題を抱える地域を取材。その様子を、NHKニュースや各ドキュメンタリー番組、テレビ朝日「報道ステーション」、TBS「ニュース23」などを通して伝えている。近年では、主にシリアに出向き、取材を重ねている。
シリアへの出国を翌日に控えた5月27日、後藤さんにインタビューをする機会を得ることができた。柔和な笑顔で出迎えてくれた後藤さんは、「明日、シリアに行ってきます」とどこか楽しい所にでも旅へ行くかのように告げた。今回の取材は、来月3日に控えたシリア大統領選が主な目的だという。「人々の心が乱れ、不安な今だからこそ、日本の人々に訴えたいことがある」とその胸のうちを話してくれた。
「私が取材に訪れる場所=『現場』は、『耐えがたい困難がある、けれどもその中で人々が暮らし、生活を営んでいる場所』です。困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添いたいと思うのです。彼らには伝えたいメッセージが必ずあります。それを世界に向けてその様子を発信することで、何か解決策が見つかるかもしれない。そうすれば、私の仕事は『成功』ということになるのでは」
彼が神の計画のうちに、信仰を持ち、救われたのは、何がきっかけだったのだろうか。きっかけは、ある冬のクリスマス礼拝だったという。当時、クリスマスの「イベント」の一つとして、教会を訪れた後藤氏は、そこで何か大きな存在がこの世にいることに気づき、そして今までのどこか傲慢であった自分の人生を大きく悔いた。90年代初めの出来事であった。
すでに、国際ジャーナリストとして駆け出していた彼は、常に「死」と隣り合わせにいた。そのことを不安や恐怖に思わなかったわけではない。紛争地に出向くときは、ほとんど一人で飛行機に乗り、現地で通訳やドライバーなどとチームを組む。しかし、日本から一人で危険地帯に出向き、そこで死を迎えるようなことがあれば・・・。
「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。それからは、毎日生きていることに感謝し、神様に守られ、今も生きていることに感謝しているという。

▲(写真:INDEPENDENT PRESS)
受洗後の歩みの中でも多くの奇跡を目の当たりにしてきた。当時、混乱を極めていたチェチェン共和国。まだ取材経験の浅かった後藤さんは単身でチェチェンに向かった。チェチェン行きの飛行機では、隣の席にスペインから来たジャーナリストたちがいた。どこに泊まるのか、通訳はどうするのか——何もかも決まっていない状況だったが、彼らがすべてを手配してくれた。初めて会った若き日本人ジャーナリストに。
「何か大きな力に突き動かされている気がしました。彼らに出会わなかったら、チェンチェンを取材することはおろか、生きて帰って来られたかもわかりません。神様が守ってくださったとあの時も感じました」
シリアや他の紛争地での取材中、大きな選択に迫られる時がある。どちらの道に行ったら安全に目的が遂行できるか。まさに命をかけた「選択」だ。その時にいつも彼の頭をよぎるのは、「主なる神を試してはならない」(マタイ4:7)という聖句だった。選択を迫られたとき、「自分は神様を試しているのではないか?」と常に頭で考えながら、祈り、そして決断するという。父なる神は、決して自分を見捨てない。その言葉を信じての決断だ。
最後に後藤氏は、小さな聖書を差し出してくれた。いつも取材に出かけるときに手放さず持っている聖書だという。十数年前に同教会の牧師から頂いたものだと言い、大切そうにページをめくっていた。そこには、「神は私を助けてくださる」(詩篇54:6)という言葉が。「この言葉を、いつも心に刻み込んで、私は仕事をしています。多くの悲惨な現場、命の危険をも脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います」
柔和な笑顔の奥に秘められた強い信仰。何者かに全てを委ねた安心感と、それに背中を押されて飛び立っていく彼の姿は、キリスト者であるがゆえの愛ある強さなのではないかと感じた。人々の心に寄り添った彼のシリアからの言葉に、祈りをもってこれからも耳を傾けていきたい。
(クリスチャントゥデイ
2014年5月30日11時32分)
http://www.christiantoday.co.jp/articles/13401/20140530/goto-kenji.htm

死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。
詩編/ 23編 4節 (旧約聖書 新共同訳)
この世の最大の不幸は、
貧しさでも病気でもありません。
自分が誰からも
必要とされないと感じることです。
マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)

★イスラム国拘束:後藤さん 命守る
「一線」慎重対応 - 毎日新聞
◆毎日新聞 2015年01月21日 21時36分
(最終更新 01月21日 21時49分)
「イスラム国」とみられるメンバーに拘束されたジャーナリストの後藤健二さん(47)は、日本基督(キリスト)教団田園調布教会(東京都大田区)によると、1997年に同教会で洗礼を受け、年に1度ほど礼拝に訪れていた。キリスト教系ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」(千代田区)は、後藤さんに月1回のコラムの執筆を依頼していた。1回目の原稿が昨年10月24日にメールで届き、2日後に掲載された。
「戦争に行くという意味」と題したコラムの中で、後藤さんは「最前線で戦う兵士と成り行きを見守るしかない一般市民との間には『見えない一線』というものがあります。戦場を訪れるジャーナリストはそこを行き来します」「『見えない一線』を越えてしまったら、命の保証はほとんどありません」などとつづっていた。その後、同社は次回のコラムなどについて相談するメールを数回送ったが、後藤さんからの返信は届かなくなった。
テレビ番組製作のため、後藤さんと一緒にリビアなど中東地域を取材したことがあるテレビ東京の福田裕昭解説委員(53)は「とにかく慎重に対応するジャーナリストで、頼りになるパートナー。信じられない」と話す。
福田さんによると、後藤さんはレバノンで戦場ジャーナリストの訓練を受けていた。「平穏だと思っていても、いきなり戦闘地域になることがある。それが戦場では一番怖い」。後藤さんからそんなアドバイスを受けていたという。
パキスタンを中心に活動している国際支援団体代表の喜多村潤さん(29)は「常に現地の人の目線でニュースを伝える人で、それが自分の使命だと強い情熱を持っていた」と話した。【奥山智己、安高晋、三木陽介】

▲トルコとの国境に近いシリア北部の
都市アレッポでの取材風景
(写真:INDEPENDENT PRESS)
★【インタビュー】
国際ジャーナリスト・後藤健二
~それでも神は私を助けてくださる~
◆クリスチャントゥデイ
2014年5月30日11時32分
混乱と激戦が続くシリア。4年前の内戦勃発以来、この地で取材を続ける一人の日本人ジャーナリストがいる。日本基督教団田園調布教会の信徒であり、国際ジャーナリストとして活躍する後藤健二さんだ。後藤さんは映像制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インディペンデント・プレス」を設立。以来、世界各国の紛争地帯、貧困やエイズなどの問題を抱える地域を取材。その様子を、NHKニュースや各ドキュメンタリー番組、テレビ朝日「報道ステーション」、TBS「ニュース23」などを通して伝えている。近年では、主にシリアに出向き、取材を重ねている。
シリアへの出国を翌日に控えた5月27日、後藤さんにインタビューをする機会を得ることができた。柔和な笑顔で出迎えてくれた後藤さんは、「明日、シリアに行ってきます」とどこか楽しい所にでも旅へ行くかのように告げた。今回の取材は、来月3日に控えたシリア大統領選が主な目的だという。「人々の心が乱れ、不安な今だからこそ、日本の人々に訴えたいことがある」とその胸のうちを話してくれた。
「私が取材に訪れる場所=『現場』は、『耐えがたい困難がある、けれどもその中で人々が暮らし、生活を営んでいる場所』です。困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添いたいと思うのです。彼らには伝えたいメッセージが必ずあります。それを世界に向けてその様子を発信することで、何か解決策が見つかるかもしれない。そうすれば、私の仕事は『成功』ということになるのでは」
彼が神の計画のうちに、信仰を持ち、救われたのは、何がきっかけだったのだろうか。きっかけは、ある冬のクリスマス礼拝だったという。当時、クリスマスの「イベント」の一つとして、教会を訪れた後藤氏は、そこで何か大きな存在がこの世にいることに気づき、そして今までのどこか傲慢であった自分の人生を大きく悔いた。90年代初めの出来事であった。
すでに、国際ジャーナリストとして駆け出していた彼は、常に「死」と隣り合わせにいた。そのことを不安や恐怖に思わなかったわけではない。紛争地に出向くときは、ほとんど一人で飛行機に乗り、現地で通訳やドライバーなどとチームを組む。しかし、日本から一人で危険地帯に出向き、そこで死を迎えるようなことがあれば・・・。
「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。それからは、毎日生きていることに感謝し、神様に守られ、今も生きていることに感謝しているという。

▲(写真:INDEPENDENT PRESS)
受洗後の歩みの中でも多くの奇跡を目の当たりにしてきた。当時、混乱を極めていたチェチェン共和国。まだ取材経験の浅かった後藤さんは単身でチェチェンに向かった。チェチェン行きの飛行機では、隣の席にスペインから来たジャーナリストたちがいた。どこに泊まるのか、通訳はどうするのか——何もかも決まっていない状況だったが、彼らがすべてを手配してくれた。初めて会った若き日本人ジャーナリストに。
「何か大きな力に突き動かされている気がしました。彼らに出会わなかったら、チェンチェンを取材することはおろか、生きて帰って来られたかもわかりません。神様が守ってくださったとあの時も感じました」
シリアや他の紛争地での取材中、大きな選択に迫られる時がある。どちらの道に行ったら安全に目的が遂行できるか。まさに命をかけた「選択」だ。その時にいつも彼の頭をよぎるのは、「主なる神を試してはならない」(マタイ4:7)という聖句だった。選択を迫られたとき、「自分は神様を試しているのではないか?」と常に頭で考えながら、祈り、そして決断するという。父なる神は、決して自分を見捨てない。その言葉を信じての決断だ。
最後に後藤氏は、小さな聖書を差し出してくれた。いつも取材に出かけるときに手放さず持っている聖書だという。十数年前に同教会の牧師から頂いたものだと言い、大切そうにページをめくっていた。そこには、「神は私を助けてくださる」(詩篇54:6)という言葉が。「この言葉を、いつも心に刻み込んで、私は仕事をしています。多くの悲惨な現場、命の危険をも脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います」
柔和な笑顔の奥に秘められた強い信仰。何者かに全てを委ねた安心感と、それに背中を押されて飛び立っていく彼の姿は、キリスト者であるがゆえの愛ある強さなのではないかと感じた。人々の心に寄り添った彼のシリアからの言葉に、祈りをもってこれからも耳を傾けていきたい。
(クリスチャントゥデイ
2014年5月30日11時32分)
http://www.christiantoday.co.jp/articles/13401/20140530/goto-kenji.htm
