▼「通し矢」2015.1.19 (京都市東山区)

さて、主にある囚人であるわたしは、
あなたがたに勧める。
あなたがたが召された
その召しにふさわしく歩き、
平和のきずなで結ばれて、
聖霊による一致を守り続けるように
努めなさい。
エペソ人への手紙 4章1, 3節
新約聖書 口語訳
私たちのすることは
大海のたった一滴の水に
すぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって
大海となるのです。
マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)
★バルセロナでたどるガウディの軌跡 -
◆日経ビジネスオンライン 2015年1月28日
http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20141208/274870/
2015年1月現在、スペインにある世界遺産は44。世界遺産保有国としてはイタリア、中国に次ぎ3番目だ。その中で唯一、個人の名を冠した遺産が、19世紀から20世紀にかけて活躍した名建築家「アントニ・ガウディの作品群」。バルセロナでは、彼の手掛けた7つの建築作品が世界遺産に登録されている。一個人の作品ながら「世界の至宝」と認められた建築群の顔ぶれを紹介しよう。
色タイルを駆使した館で鮮烈デビュー
いまやすっかりバルセロナのランドマークとなった、サグラダ・ファミリア教会。超高層ビルがあっという間に建ってしまう現代において、この教会は着工から130年余を経た今なお、建設途上にある。尖塔群がそびえる姿は、超巨大な切り株のよう。教会のイメージを覆すこの建物の設計者こそ、「神の建築家」と呼ばれたアントニ・ガウディだ。

▲バルセロナ市街を一望。ほぼ中央、巨大な切り株のごとくそびえるのがサグラダ・ファミリア教会
1852年に生まれ、26歳で建築家となったガウディは、73歳で死去するまでに25の建築作品を残した。世界遺産に登録された7つの建物のうち、6つがバルセロナ市内の中心部にあり、その中の5つが主要な大通りから近い場所にある。中心部の作品は徒歩で回ることも不可能ではないが、地下鉄などを利用して回るのがいいだろう。ここでは、制作年代順に建物を見ていこう。
まずは、31歳の時に手掛けたカサ・ビセンス。タイル製造業者ビセンス氏の別邸で、ガウディの処女作だ。現在も居住者がいるため外部からの見学になるが、施主の職業に応じてタイルを多用した外観は実際に目の当たりにすると、ギョッとするほど奇抜だ。

▲ブロックで組み立てたかのような外観。この家の評判のため、施主の会社の株価が上がったという
ガウディ建築の象徴の1つが、目のくらむような曲線の多用だが、駆け出しだった頃の作品であるこの建物は直線が主体。しかし、多彩な色のタイル使い、ベランダの手すりのうねり具合、随所に見られる鳥や植物といった自然のモチーフなど、後のガウディ作品に見られるエッセンスはしっかり散りばめられている。一見、ガウディらしくないこの建物が、彼の建築の原点なのだ。

▲ガウディは自然を“師”とした。鉄柵のモチーフはシュロの葉である
生涯を独身で過ごしたガウディだが、この建物では、片思いをしていた女性の家の食堂のデザインや装飾を再現したとか。内部が公開される機会があれば、ぜひのぞいてみたいものである。
バルセロナ中心部はカタルーニャ広場を中心にして、南が旧市街、北が新市街になっている。ガウディの世界遺産建築の多くは新市街にあるが、唯一、旧市街にあるのが、34歳の時に手掛けたグエル邸。19世紀後半のバルセロナを代表する実業家だった、エウセビオ・グエルの個人宅だ。グエルは、若きガウディの才能に目を留め、生涯にわたって面倒を見た“パトロン”である。建築家には依頼者が必要。ガウディにとって、大富豪のグエルの存在は大きかった。

▲縦の空間が有効に活用されたグエル邸。屋上に立ち並ぶ煙突も実にカラフルだ
グエル邸は、狭い土地を有効に活用した、地下1階、地上4階の建物。一見すると、外観はシンプルで小さい建物という印象だが、その思いは中に入れば簡単に覆される。そこに広がるのは、実に重厚にして優雅な空間なのだ。特にメーンフロアの中央サロンは高さ17.5mの吹き抜けで、小さな穴の開いた円蓋は、まるで小宇宙のイメージだ。ここでどんな豪勢な生活が繰り広げられていたのかと、自然に想像が広がっていく。

▲初期のガウディは、イスラム建築の影響を受けていた。中央サロンの空間構成は、アルハンブラ宮殿から着想を得たといわれる
グエルは、ガウディから届いた高額の請求書を嘆く執事に、「たったそれだけか。芸術には金がかかるんだよ」と笑ったという。そして、本来は別宅にするはずだったこの屋敷を本館として使用した。内部を見学すれば「確かにこれは芸術だ!」と納得。日本語の音声ガイドが、細部に込められたガウディの趣向も教えてくれる。
バルセロナ市街を一望する高台に広がるグエル公園も、グエルの依頼により、ガウディが48歳の時に着手したものである。共同施設を備えた60戸の分譲住宅地とする予定だったが、資金不足等により未完に終わり、グエルの死後、公園となった。

▲観光客、市民を問わず、グエル公園はいつも多くの人でごった返す
園内には、色鮮やかな破砕タイルをあしらったベンチ、市場になるはずだった列柱ホール、ヤシの木のような脚柱を備えた回廊や陸橋などが点在する。特に、入り口に建つ2棟の建物の屋根は、カタルーニャ生まれの画家ダリが「砂糖をまぶしたタルト菓子のよう」と評したかわいさだ。散策していると次から次へと多彩なオブジェが出現し、テーマパークのようで実に楽しい。さぞや、ガウディは存分に羽を伸ばして設計したのだろう。そう思わせるような場所である。

▲巨大なテラスを縁取るベンチは、実際に職人を座らせて型取りしたという。確かに座れば、体にしっかりなじむ
バルセロナの目抜き通りの1つグラシア通り沿いに建つカサ・バトリョは、ガウディが54歳の時に完成させた集合住宅。色ガラスやセラミックをふんだんに利用したファサード(建物正面)は、これまたお菓子のよう。「しかしまあ、よくもこんなものを……」と思わず感嘆のため息が出てしまう。出窓の形と、そこに設けられた骨のような列柱から、当時の人々はこの建物に「骨の家」「あくびの家」などのニックネームを付けたという。

▲カサ・バトリョの外観。「骨の家」も「あくびの家」も、言い得て妙である
青と白を基調にした内部空間のモチーフは「海底洞窟」だとか。それは、実際に足を踏み入れればうなずける。とにかく直線や角がほとんど見当たらず、どこもかしこもウェーブだらけ。洞窟というより“歪みの世界”に迷い込んだような錯覚に陥る。

▲中央広間はこのように“ぐにゃぐにゃした”空間。平衡感覚を失ってしまう
建設当時、現場を訪れた施主のバトリョ夫妻に対して、建設計画を話すガウディ。施主夫妻は興味深げに傾聴するも、現場を離れると、バトリョ氏が妻に言う。「あの建築家の考えには納得できない」。本来なら、立場的には建築家が下。だがその建築家に面と向かって施主が何も言えないほど、当時のガウディには権威があったのだ。果たして現在、カサ・バトリョはガウディの最高傑作の1つである。
カサ・バトリョから歩いて5分ほどの交差点に建つカサ・ミラは、ガウディがカサ・バトリョ完成の年に着手した高級マンションだ。これも、ホイップクリームを塗りつけた巨大なケーキのような外観だ。うねる外壁は波のよう。バルコニーには複雑な鉄細工が絡みつく。当時の人々は「さすがのガウディも今回はやりすぎだ」とささやき合った。

▲石切り場のような姿から「ラ・ペドレラ」のあだ名が付けられたカサ・ミラ。地元ではもっぱら、そのあだ名で呼ばれている
実は、30代後半の時に地中海の避暑地で、ガウディは人妻に恋をした。彼は彼女に、「いつか地中海の美しさを建築で表現する」と約束したという。恋は成就しなかった。が、彼はその約束を、カサ・ミラで果たそうとしたのだ。ガウディがなぜ独身を貫いたかは不明だが、手掛けた作品に女性にまつわるエピソードがよく出てくることから考えると、恋多き男だったのかもしれない。半面、彼は女性と一度も肉体関係を持たなかったともいわれている。真相は闇のかなただ。
カサ・ミラは室内空間でも、直線や角が極力排されている。カサ・バトリョ同様に、長い間とどまっていると目まいを起こしそうなほどだ。

▲まるで美術館であるかのようなカサ・ミラのエントランスホール
カサ・ミラは建設中、建設基準を大幅に超える違法建築だった。一時、市は取り壊しを命じたが、最終的には記念碑的建築物として法の適用外とした。結果カサ・ミラは、今ではサグラダ・ファミリア教会と肩を並べるガウディの代表作だ。ガウディの権威は施主だけではなく、法さえ圧倒したのである。

▲屋上の煙突や換気塔もこの調子。映画監督のジョージ・ルーカスはこれを見て、「スター・ウォーズ」シリーズのダース・ベイダーと帝国軍兵士を思いついたという
56歳の時、ガウディは再びグエルの依頼で、バルセロナ郊外にあった繊維工業団地の教会建設に着手する。だが、6年目に工事から手を引いたため、完成したのは地下部分のみ。それが、コロニア・グエル地下礼拝堂だ。

▲自然の中にたたずむコロニア・グエル地下礼拝堂。ガウディは周囲の木を切ることを避け、階段のデザインを変更した
未完とはいえ、建物が郊外の自然に溶け込んでたたずむ姿は一見の価値あり。内部のベンチや聖水器のデザインも秀逸だ。また、柱を放射線状に斜めに立て、天井の重さを分散させる内部構造は、後のサグラダ・ファミリア教会に受け継がれている。ガウディ建築の変遷を知るには見逃せない建物である上、のどかな雰囲気に浸ることもできるので、ぜひ足を伸ばしたい。

▲礼拝堂内部の下部身廊。奥に合唱隊席、さらに広報控室がある。ベンチももちろんガウディのデザインだ
そして、ガウディが生涯を捧げたのが、言わずと知れたサグラダ・ファミリア教会。実はこの教会、建設に着手したのはカサ・ビセンス同様、ガウディ31歳の時である。62歳になった頃には、ガウディは他の仕事を一切断り、教会内に寝泊まりするようになる。その姿、みすぼらしい浮浪者のようだったという。まさに、なりふり構わず教会建設に没頭したのだ。ガウディが「神の建築家」といわれるゆえんである。

▲ガウディが生涯を捧げたサグラダ・ファミリア教会
この教会は「生誕」「受難」「栄光」と名付けられた3つのファサードを持つが、完成しているのは東側の生誕のファサードのみ。表面を埋め尽くす彫刻はキリスト誕生を題材にしたもので、その精密さには驚かされる。その驚きは、内部に足を踏み入れても続く。身廊は、円柱の森さながら。ステンドグラスからの光が、木漏れ日のように注ぎ込む。天井は最も高いところで75m。あきれるほどの空間なのである。

▲巨木の群れを思わせるような内部の身廊
また、生誕・受難のファサードにそびえる塔は、いずれもエレベーターで高さ50~60mほどの地点まで登ることができ、そこからはガウディ活躍の舞台となった町を一望できる。ただし、生誕のファサード側の下りは、目のくらむようならせん階段を利用せねばならない。渦巻く階段散策はなかなかスリリングだ。

▲生誕のファサード側の塔内部。のんびり降りてくれば30分ほどもかかる
サグラダ・ファミリア教会にしても、これまで見てきた建築にしても、とにかくガウディ建築は複雑極まりない。さぞや、職人たちも苦労したことだろう。実際、彼の建築は図面で表すことが難しく、建設にあたっては模型が用いられたという。そのためガウディは「図面が描けない」と皮肉られることもあったとか。
そんなガウディは、サグラダ・ファミリア教会の建設を「神からの使命」と信じた。だが、73歳の時に不慮の事故に襲われる。仕事の合間にミサへ向かう途中、路面電車にはねられたのである。道路に身を横たえるみすぼらしい老人に対し、道行くタクシーは病院へ運ぶことを拒否。やっと運ばれた病院でも、浮浪者として放置されたといわれる。その老人が高名な建築家だと気付いた時にはすでに手遅れ。病院収容から3日後に、ガウディは世を去った。
以前は、サグラダ・ファミリア教会の完成には300年はかかるといわれていた。だが、先端IT技術の利用などで、工事がスピードアップ。現在の公式発表では、11年後の2026年に完成するといわれている。自分は完成した姿が見られないと思っていたが、11年後なら十分可能性がある。その姿、楽しみだ。

▲生誕のファサードとは反対側になる受難のファサードの眺め。完成の日が待ち遠しい
最後にせっかくバルセロナを訪れたのなら、もう1つの世界遺産「バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院」も見ておきたい。ガウディと同時期に活躍した建築家、ルイス・ドメネクが手掛けた病院と音楽堂だ。ガウディより2歳上のドメネクは、ガウディが建築学校の生徒だった当時、その学校で教壇に立っていたという人物である。
グエル邸と同じ旧市街に建つカタルーニャ音楽堂は、とにかく華美の一言。それは外観だけではない。内部も万華鏡のような美しさ。驚くべきことに、天井にまでステンドグラスが施されている。ドメネクは、音楽堂で最も重要な遮音性や音響効果を犠牲にしてまで、装飾美を追求したのだ。カタルーニャ音楽堂には、ガウディに対するドメネクのライバル心が見えるようである。

▲貧しかったガウディとは異なり、ドメネクは上流階級の出身。その広い人脈で、建設には高名な芸術家も多く参加した
採光の美しさが充満する内部は、日中に行われている見学ツアーへの参加が望ましいが、カタルーニャ音楽堂はまだ現役。コンサートが頻繁に行われている。夜のコンサートに足を運べば、日中とは異なる美しさが見いだせるはずだ。

▲宝石箱のような音楽堂内部。天井のみならす、壁も3面がステンドグラスで彩られている
一方のサン・パウ病院は、サグラダ・ファミリア教会からガウディ通りを進んだ突き当りに広がる。広大な敷地に48棟の建物が点在する病院は、黄色やピンクを主体にしたステンドグラス、モザイク、タイルなどが随所に使用され、これまたおとぎの世界のよう。芸術には人を癒やす力があると信じたドメネクが、患者に安らぎを与え、精神的苦痛を取り除くために採用した結果だ。そのため、大病院にありがちな重苦しさなどみじんも感じられない。

▲敷地内の建物はそれぞれ独立して建つが、地下の廊下で結ばれ、自由に行き来できるようになっていた
サン・パウ病院は老朽化のため、2009年に閉鎖。その後は修復作業が行われていたが、2014年に作業が完了した。現在は一般公開が行われているので、ぜひ敷地内を歩いて、“癒やし効果”をとくと感じたい。
バルセロナには他にも、同時代の斬新な建物が多い。その理由は、当時のバルセロナが、スペインの中で一早く産業革命を迎えていたからだ。飛躍的に発展する町は人口が急増し、新たな建築や増改築の必要に迫られたのである。新興ブルジョワは豊かな経済力を背景に、豪華な新建築を次々と建築家たちに依頼。建築家たちは腕をふるって応え、その筆頭がガウディやドメネクだったというわけだ。そして、この「建設の時代」が、バルセロナをスペイン第2の都市に押し上げたのである。
(バルセロナでたどるガウディの軌跡 - JAGZY)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20141208/274870/?P=5

さて、主にある囚人であるわたしは、
あなたがたに勧める。
あなたがたが召された
その召しにふさわしく歩き、
平和のきずなで結ばれて、
聖霊による一致を守り続けるように
努めなさい。
エペソ人への手紙 4章1, 3節
新約聖書 口語訳
私たちのすることは
大海のたった一滴の水に
すぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって
大海となるのです。
マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)
★バルセロナでたどるガウディの軌跡 -
◆日経ビジネスオンライン 2015年1月28日
http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20141208/274870/
2015年1月現在、スペインにある世界遺産は44。世界遺産保有国としてはイタリア、中国に次ぎ3番目だ。その中で唯一、個人の名を冠した遺産が、19世紀から20世紀にかけて活躍した名建築家「アントニ・ガウディの作品群」。バルセロナでは、彼の手掛けた7つの建築作品が世界遺産に登録されている。一個人の作品ながら「世界の至宝」と認められた建築群の顔ぶれを紹介しよう。
色タイルを駆使した館で鮮烈デビュー
いまやすっかりバルセロナのランドマークとなった、サグラダ・ファミリア教会。超高層ビルがあっという間に建ってしまう現代において、この教会は着工から130年余を経た今なお、建設途上にある。尖塔群がそびえる姿は、超巨大な切り株のよう。教会のイメージを覆すこの建物の設計者こそ、「神の建築家」と呼ばれたアントニ・ガウディだ。

▲バルセロナ市街を一望。ほぼ中央、巨大な切り株のごとくそびえるのがサグラダ・ファミリア教会
1852年に生まれ、26歳で建築家となったガウディは、73歳で死去するまでに25の建築作品を残した。世界遺産に登録された7つの建物のうち、6つがバルセロナ市内の中心部にあり、その中の5つが主要な大通りから近い場所にある。中心部の作品は徒歩で回ることも不可能ではないが、地下鉄などを利用して回るのがいいだろう。ここでは、制作年代順に建物を見ていこう。
まずは、31歳の時に手掛けたカサ・ビセンス。タイル製造業者ビセンス氏の別邸で、ガウディの処女作だ。現在も居住者がいるため外部からの見学になるが、施主の職業に応じてタイルを多用した外観は実際に目の当たりにすると、ギョッとするほど奇抜だ。

▲ブロックで組み立てたかのような外観。この家の評判のため、施主の会社の株価が上がったという
ガウディ建築の象徴の1つが、目のくらむような曲線の多用だが、駆け出しだった頃の作品であるこの建物は直線が主体。しかし、多彩な色のタイル使い、ベランダの手すりのうねり具合、随所に見られる鳥や植物といった自然のモチーフなど、後のガウディ作品に見られるエッセンスはしっかり散りばめられている。一見、ガウディらしくないこの建物が、彼の建築の原点なのだ。

▲ガウディは自然を“師”とした。鉄柵のモチーフはシュロの葉である
生涯を独身で過ごしたガウディだが、この建物では、片思いをしていた女性の家の食堂のデザインや装飾を再現したとか。内部が公開される機会があれば、ぜひのぞいてみたいものである。
バルセロナ中心部はカタルーニャ広場を中心にして、南が旧市街、北が新市街になっている。ガウディの世界遺産建築の多くは新市街にあるが、唯一、旧市街にあるのが、34歳の時に手掛けたグエル邸。19世紀後半のバルセロナを代表する実業家だった、エウセビオ・グエルの個人宅だ。グエルは、若きガウディの才能に目を留め、生涯にわたって面倒を見た“パトロン”である。建築家には依頼者が必要。ガウディにとって、大富豪のグエルの存在は大きかった。

▲縦の空間が有効に活用されたグエル邸。屋上に立ち並ぶ煙突も実にカラフルだ
グエル邸は、狭い土地を有効に活用した、地下1階、地上4階の建物。一見すると、外観はシンプルで小さい建物という印象だが、その思いは中に入れば簡単に覆される。そこに広がるのは、実に重厚にして優雅な空間なのだ。特にメーンフロアの中央サロンは高さ17.5mの吹き抜けで、小さな穴の開いた円蓋は、まるで小宇宙のイメージだ。ここでどんな豪勢な生活が繰り広げられていたのかと、自然に想像が広がっていく。

▲初期のガウディは、イスラム建築の影響を受けていた。中央サロンの空間構成は、アルハンブラ宮殿から着想を得たといわれる
グエルは、ガウディから届いた高額の請求書を嘆く執事に、「たったそれだけか。芸術には金がかかるんだよ」と笑ったという。そして、本来は別宅にするはずだったこの屋敷を本館として使用した。内部を見学すれば「確かにこれは芸術だ!」と納得。日本語の音声ガイドが、細部に込められたガウディの趣向も教えてくれる。
バルセロナ市街を一望する高台に広がるグエル公園も、グエルの依頼により、ガウディが48歳の時に着手したものである。共同施設を備えた60戸の分譲住宅地とする予定だったが、資金不足等により未完に終わり、グエルの死後、公園となった。

▲観光客、市民を問わず、グエル公園はいつも多くの人でごった返す
園内には、色鮮やかな破砕タイルをあしらったベンチ、市場になるはずだった列柱ホール、ヤシの木のような脚柱を備えた回廊や陸橋などが点在する。特に、入り口に建つ2棟の建物の屋根は、カタルーニャ生まれの画家ダリが「砂糖をまぶしたタルト菓子のよう」と評したかわいさだ。散策していると次から次へと多彩なオブジェが出現し、テーマパークのようで実に楽しい。さぞや、ガウディは存分に羽を伸ばして設計したのだろう。そう思わせるような場所である。

▲巨大なテラスを縁取るベンチは、実際に職人を座らせて型取りしたという。確かに座れば、体にしっかりなじむ
バルセロナの目抜き通りの1つグラシア通り沿いに建つカサ・バトリョは、ガウディが54歳の時に完成させた集合住宅。色ガラスやセラミックをふんだんに利用したファサード(建物正面)は、これまたお菓子のよう。「しかしまあ、よくもこんなものを……」と思わず感嘆のため息が出てしまう。出窓の形と、そこに設けられた骨のような列柱から、当時の人々はこの建物に「骨の家」「あくびの家」などのニックネームを付けたという。

▲カサ・バトリョの外観。「骨の家」も「あくびの家」も、言い得て妙である
青と白を基調にした内部空間のモチーフは「海底洞窟」だとか。それは、実際に足を踏み入れればうなずける。とにかく直線や角がほとんど見当たらず、どこもかしこもウェーブだらけ。洞窟というより“歪みの世界”に迷い込んだような錯覚に陥る。

▲中央広間はこのように“ぐにゃぐにゃした”空間。平衡感覚を失ってしまう
建設当時、現場を訪れた施主のバトリョ夫妻に対して、建設計画を話すガウディ。施主夫妻は興味深げに傾聴するも、現場を離れると、バトリョ氏が妻に言う。「あの建築家の考えには納得できない」。本来なら、立場的には建築家が下。だがその建築家に面と向かって施主が何も言えないほど、当時のガウディには権威があったのだ。果たして現在、カサ・バトリョはガウディの最高傑作の1つである。
カサ・バトリョから歩いて5分ほどの交差点に建つカサ・ミラは、ガウディがカサ・バトリョ完成の年に着手した高級マンションだ。これも、ホイップクリームを塗りつけた巨大なケーキのような外観だ。うねる外壁は波のよう。バルコニーには複雑な鉄細工が絡みつく。当時の人々は「さすがのガウディも今回はやりすぎだ」とささやき合った。

▲石切り場のような姿から「ラ・ペドレラ」のあだ名が付けられたカサ・ミラ。地元ではもっぱら、そのあだ名で呼ばれている
実は、30代後半の時に地中海の避暑地で、ガウディは人妻に恋をした。彼は彼女に、「いつか地中海の美しさを建築で表現する」と約束したという。恋は成就しなかった。が、彼はその約束を、カサ・ミラで果たそうとしたのだ。ガウディがなぜ独身を貫いたかは不明だが、手掛けた作品に女性にまつわるエピソードがよく出てくることから考えると、恋多き男だったのかもしれない。半面、彼は女性と一度も肉体関係を持たなかったともいわれている。真相は闇のかなただ。
カサ・ミラは室内空間でも、直線や角が極力排されている。カサ・バトリョ同様に、長い間とどまっていると目まいを起こしそうなほどだ。

▲まるで美術館であるかのようなカサ・ミラのエントランスホール
カサ・ミラは建設中、建設基準を大幅に超える違法建築だった。一時、市は取り壊しを命じたが、最終的には記念碑的建築物として法の適用外とした。結果カサ・ミラは、今ではサグラダ・ファミリア教会と肩を並べるガウディの代表作だ。ガウディの権威は施主だけではなく、法さえ圧倒したのである。

▲屋上の煙突や換気塔もこの調子。映画監督のジョージ・ルーカスはこれを見て、「スター・ウォーズ」シリーズのダース・ベイダーと帝国軍兵士を思いついたという
56歳の時、ガウディは再びグエルの依頼で、バルセロナ郊外にあった繊維工業団地の教会建設に着手する。だが、6年目に工事から手を引いたため、完成したのは地下部分のみ。それが、コロニア・グエル地下礼拝堂だ。

▲自然の中にたたずむコロニア・グエル地下礼拝堂。ガウディは周囲の木を切ることを避け、階段のデザインを変更した
未完とはいえ、建物が郊外の自然に溶け込んでたたずむ姿は一見の価値あり。内部のベンチや聖水器のデザインも秀逸だ。また、柱を放射線状に斜めに立て、天井の重さを分散させる内部構造は、後のサグラダ・ファミリア教会に受け継がれている。ガウディ建築の変遷を知るには見逃せない建物である上、のどかな雰囲気に浸ることもできるので、ぜひ足を伸ばしたい。

▲礼拝堂内部の下部身廊。奥に合唱隊席、さらに広報控室がある。ベンチももちろんガウディのデザインだ
そして、ガウディが生涯を捧げたのが、言わずと知れたサグラダ・ファミリア教会。実はこの教会、建設に着手したのはカサ・ビセンス同様、ガウディ31歳の時である。62歳になった頃には、ガウディは他の仕事を一切断り、教会内に寝泊まりするようになる。その姿、みすぼらしい浮浪者のようだったという。まさに、なりふり構わず教会建設に没頭したのだ。ガウディが「神の建築家」といわれるゆえんである。

▲ガウディが生涯を捧げたサグラダ・ファミリア教会
この教会は「生誕」「受難」「栄光」と名付けられた3つのファサードを持つが、完成しているのは東側の生誕のファサードのみ。表面を埋め尽くす彫刻はキリスト誕生を題材にしたもので、その精密さには驚かされる。その驚きは、内部に足を踏み入れても続く。身廊は、円柱の森さながら。ステンドグラスからの光が、木漏れ日のように注ぎ込む。天井は最も高いところで75m。あきれるほどの空間なのである。

▲巨木の群れを思わせるような内部の身廊
また、生誕・受難のファサードにそびえる塔は、いずれもエレベーターで高さ50~60mほどの地点まで登ることができ、そこからはガウディ活躍の舞台となった町を一望できる。ただし、生誕のファサード側の下りは、目のくらむようならせん階段を利用せねばならない。渦巻く階段散策はなかなかスリリングだ。

▲生誕のファサード側の塔内部。のんびり降りてくれば30分ほどもかかる
サグラダ・ファミリア教会にしても、これまで見てきた建築にしても、とにかくガウディ建築は複雑極まりない。さぞや、職人たちも苦労したことだろう。実際、彼の建築は図面で表すことが難しく、建設にあたっては模型が用いられたという。そのためガウディは「図面が描けない」と皮肉られることもあったとか。
そんなガウディは、サグラダ・ファミリア教会の建設を「神からの使命」と信じた。だが、73歳の時に不慮の事故に襲われる。仕事の合間にミサへ向かう途中、路面電車にはねられたのである。道路に身を横たえるみすぼらしい老人に対し、道行くタクシーは病院へ運ぶことを拒否。やっと運ばれた病院でも、浮浪者として放置されたといわれる。その老人が高名な建築家だと気付いた時にはすでに手遅れ。病院収容から3日後に、ガウディは世を去った。
以前は、サグラダ・ファミリア教会の完成には300年はかかるといわれていた。だが、先端IT技術の利用などで、工事がスピードアップ。現在の公式発表では、11年後の2026年に完成するといわれている。自分は完成した姿が見られないと思っていたが、11年後なら十分可能性がある。その姿、楽しみだ。

▲生誕のファサードとは反対側になる受難のファサードの眺め。完成の日が待ち遠しい
最後にせっかくバルセロナを訪れたのなら、もう1つの世界遺産「バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院」も見ておきたい。ガウディと同時期に活躍した建築家、ルイス・ドメネクが手掛けた病院と音楽堂だ。ガウディより2歳上のドメネクは、ガウディが建築学校の生徒だった当時、その学校で教壇に立っていたという人物である。
グエル邸と同じ旧市街に建つカタルーニャ音楽堂は、とにかく華美の一言。それは外観だけではない。内部も万華鏡のような美しさ。驚くべきことに、天井にまでステンドグラスが施されている。ドメネクは、音楽堂で最も重要な遮音性や音響効果を犠牲にしてまで、装飾美を追求したのだ。カタルーニャ音楽堂には、ガウディに対するドメネクのライバル心が見えるようである。

▲貧しかったガウディとは異なり、ドメネクは上流階級の出身。その広い人脈で、建設には高名な芸術家も多く参加した
採光の美しさが充満する内部は、日中に行われている見学ツアーへの参加が望ましいが、カタルーニャ音楽堂はまだ現役。コンサートが頻繁に行われている。夜のコンサートに足を運べば、日中とは異なる美しさが見いだせるはずだ。

▲宝石箱のような音楽堂内部。天井のみならす、壁も3面がステンドグラスで彩られている
一方のサン・パウ病院は、サグラダ・ファミリア教会からガウディ通りを進んだ突き当りに広がる。広大な敷地に48棟の建物が点在する病院は、黄色やピンクを主体にしたステンドグラス、モザイク、タイルなどが随所に使用され、これまたおとぎの世界のよう。芸術には人を癒やす力があると信じたドメネクが、患者に安らぎを与え、精神的苦痛を取り除くために採用した結果だ。そのため、大病院にありがちな重苦しさなどみじんも感じられない。

▲敷地内の建物はそれぞれ独立して建つが、地下の廊下で結ばれ、自由に行き来できるようになっていた
サン・パウ病院は老朽化のため、2009年に閉鎖。その後は修復作業が行われていたが、2014年に作業が完了した。現在は一般公開が行われているので、ぜひ敷地内を歩いて、“癒やし効果”をとくと感じたい。
バルセロナには他にも、同時代の斬新な建物が多い。その理由は、当時のバルセロナが、スペインの中で一早く産業革命を迎えていたからだ。飛躍的に発展する町は人口が急増し、新たな建築や増改築の必要に迫られたのである。新興ブルジョワは豊かな経済力を背景に、豪華な新建築を次々と建築家たちに依頼。建築家たちは腕をふるって応え、その筆頭がガウディやドメネクだったというわけだ。そして、この「建設の時代」が、バルセロナをスペイン第2の都市に押し上げたのである。
(バルセロナでたどるガウディの軌跡 - JAGZY)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/jagzy/20141208/274870/?P=5