クリスマスも近いので、マグダラのマリアの本を借りて読んでいました。
彼女は弟子の中で抜きん出た才能があり、巫女的能力もありましたから、イエスに助言をしていた可能性すらあると、私は感じています。
正確に言うとイエスに助言していたのはマグダラのマリアではなく、マグダラのマリアを依代として、聖なる存在がイエスに何かを伝えていたのだと思います。
そしてイエスの幼い頃からの婚約者であり、妻でもありました。
しかし抜きんでていた才能と、イエスから誰よりも信頼され愛されているということから、一部の弟子たちに嫉妬されました。
そしてイエス亡き後は、意図的に迫害されたと言う記述も見て取れます。
マリーアントワネットなど、天真爛漫な性格も相まって、周囲による捏造などで、悪意のある噂を作られて、誤解を受けている人たちを見ると腹が立ってしまうのです。
マグダラのマリアのこういった本を読むと、やはり腹が立ちました。
でも、同時に思ったのです。
少なくともマグダラのマリア本人は、このことを辛いとか腹が立つと感じていないだろうと。
彼女は精神性が高いので、周囲のその未熟ささえも許し、それを聖なる意思を持って、むしろ彼らを導かなくてはならないと思っていたのではないかと。
だとしたら、怒りを感じる私は、まだまだ未熟者だと、お得意の自分を責める方向に動きかけました。
そんな中、何年かぶりにハンターハンターを読みました(笑)
(寝る前は漫画読むこと多いのです)
そこに、主人公の言葉が載っていました。
まっすぐで天然の主人公が、本気の喧嘩を始めた人を止めようとした登場人物の1人に言うのです。
その人のことを知りたければ、その人が何かに怒りを感じろと親代わりの人から教わった。
彼らの人生の中で大切なものだから怒ったのだ。だからほっておけ。
それで止めずに見守ります。
ちなみに結果は、この後、突発的な事故が起き、主人公を共同で助けたことから、お互いの非を詫びて仲間になるのです(笑)
私は怒りを感じることを未熟だと、ついつい思ってしまいます。
でも怒りもその人自身の一部であり、その人が大切だからこそ、怒りを感じるのだなぁと改めて思いました。
私が怒りを感じる事は、悪意を持って特定の人間の足を引っ張ることや、悪意を持って集団で誰かを貶めるやり方に対してです。
おそらく幼い頃の体験が起因しているんだと思います。
それは未熟だからということではなく、そのことが自分の人生において、大変不利益なスタートとなったから。
そしてその理不尽な思いがまだ解消されていないからと感じました。
次のステップに進むのに、解消されていない感情と、インナーチャイルドを癒してみようと改めて思いました^ ^
感情は、潜在意識に潜む自分のセルフイメージを見つける大切な鍵となります。
だから、こんなことで怒るなんてと、自分を責めて終わるのではなくて、なぜ怒りを感じるのだろうと、掘り下げることが大切なのだと思いした😊