[書籍紹介]
乙川優三郎による現代小説。
昭和三十年代、中央高速が走る信州の小さな町。
三人のベビーブーマーの青年が東京での生活を夢見る。
畳屋のせがれ・相良梁児、母子家庭に育った大庭喜久男、
そして、寺の跡取り息子の保科正道。
町には、アメリカ風のメニューが売りの「プラザ」があり、
そのオーナーの柴田の生き方が憧れだった。
物語は3つの章に分かれ、
青年時代、壮年、晩年を描く。
「森を捨てて」
三人はそれぞれ上京を果たし、
最初保科のアパートに居候した相良は、
後から上京してきた大庭と共同生活をし、
広告代理店にもぐり込んで、コピーライターとして、一歩を踏み出す。
保科は、寺の跡取りをしなければならない宿命に鬱々としながら、
大学を卒業し、故郷に帰る。
俳優を目指す大庭は大手の劇団に合格する。
相良は入社後10年、応募したコピーが宣伝会議賞を受賞した。
「流れる日々」
次第に広告業界で位置を獲得した相良だが、
一行の表現からはみ出してしまう思いが募り、
作詞の世界に自分の挑戦を見出す。
少しずつ名前が出るようになった時、
ハーフのジャズ歌手ロッティに恋し、結婚生活が始まった。
大庭は、主に悪役だが、役がつくようになり、顔も売れる。
生活も安定し、母親を東京に呼んで一緒に生活するようになる。
相良の作詞家としての仕事に油の載ってきた時期、
娘のジェニィが誕生する。
娘のジェニィはロスに進学することになり、
ロッティは、娘と一緒に暮らすという。
母子の不在中、
相良は大庭の元恋人宇田川陽子と再会する。
「レストランならプラザ」
相良は妻と娘のジェニィの暮らすロスへ赴く。
久しぶりに会った娘は美しく成長していたが、
ロッティとの距離は埋まらないままだった。
音楽界の変化で、
作詞の仕事も需要が減り、
相良は小説に挑戦しようとしてみる。
小説が完成すると、陽子に送り、
20年来のなじみのレストランで、向かい合う。
陽子からの核心をついた感想は貴重なことばであった。
作品が出来ると、陽子に読んでもらい、感想を求めた。
そして、新人賞を獲得し、
原稿の依頼もぼちぼち入って来るようになると、
陽子と生活するようになる。
鎌倉に居を構えた大庭は、知事選に出馬して知事となるが、
スキャンダルでマスコミの砲火を浴びる。
故郷の寺を継いだ友人・保科正道の訃報が届く。
両親を施設に送った相良は、
家を処分することに決め、故郷に向かう。
「プラザ」を訪れ訪ね、年老いてかくしゃくとしているオーナーに会う。
オーナーは言う。
「よくきたな。夢は叶えたか、少しはましな人間になったか」
亡くなった仁科とここにはいるはずもない大庭と三人で最後の会話を交わす。
乙川氏の作品は翻訳家や装幀家や染色家など、職人を描くのが上手い。
今度は日本語の職人の話。
会社勤めのコピーライターから作詞家へ、そして最後は小説家へと、
言葉を紡ぐ仕事を辿った男の物語。
たった一行のコピーから、
数行、数十行の歌詞へ、
そして、何百行の小説へと行数を増やしながら、
日本語を原稿に定着させる仕事に集中する。
書くことに生きるという人生だ。
文を磨く苦しみが壮絶であることが伝わる。
昭和生まれの男たちが辿る平成、令和までの魂の変遷。
時代を追ってはいるが、
社会問題や政治は全く顔を出さない。
ただ三人の職業的遍歴に集中する。
地方都市の青年の東京への憧憬を描いて興味深い。
乙川氏は1953年生まれだから、
主人公たち団塊の世代とは少しずれるが、
心情的には同じものなのだろう。
若い頃にグアム島でカレーのコマーシャルの仕事を一緒にした
神定トオルの姿は西城秀樹を想起させる。
流行歌に対する、次の記述が目を引く。
哀愁と根性ばかり歌う演歌や
老成と未熟をない交ぜにしたようなフォークに
うまく馴染めなかった彼は、
この新しい音楽シーン(注:ニューミュージック)に期待していた。
センスのよい音と斬新な歌詞が胸をくすぐる。
彼らシンガーソングライターの創るものには、
自分の色とでもいうべき特徴が
自然に備わっているのも魅力であった。
ありふれた言葉も
歌詞に組み込まれると
生き生きとするのを知ると、
歌謡詞とコピーは似ていると思った。
題名の「潜熱」とは、
①内部にひそんでいて外にあらわれない熱。
②固体が融解したり液体が蒸発したりするときなどに外部から吸収する熱量。
物質の状態変化(相転移)にのみ費やされ,温度変化としては現れない熱。
気化熱、融解熱など。
例えば0℃の氷1gを融解させるのに必要な融解熱は79.4cal だが、
この熱を氷に加えても氷の温度は上昇せず,
すべて融解に使われ、融解が完全に終わるまでは温度は一定に保たれる。
小説の題名としては、①のことだろう。
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