空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

ブログ引っ越し1周年

2023年04月11日 23時00分00秒 | 身辺雑記

本日、ブログが引っ越して丸1年になります。


16年6カ月続いた前のブログ「空飛ぶ自由人」が、
運営会社のサービス停止により、
継続不能になったため、
こちらの goo blog に引っ越しし、
「空飛ぶ自由人・2」として、再出発。
あれから1年。
順調にブログは続いています。

写真の掲載、
文字の色付けは、
以前より使いやすくなりました。

前のブログのデータは、
コピーソフトを使って、
私のパソコンに移動。
私個人は、いつでも閲覧することが出来るのは有り難い。

頭が明瞭な限り、
続けていきますので、
今後ともよろしくお願いします

 


小説『凪待ち』

2023年04月10日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

2019年6月に公開された映画「凪待ち」の原作本、
ではなく、ノベライズ本

川崎に住む印刷工の木野本郁男は、
恋人の亜弓が故郷の石巻に戻るのを機に
ギャンブル(競輪)から足を洗い、
亜弓について石巻に転居する決心をした。
亜弓が帰郷を決めたのは、
父の勝美が末期ガンがあるにも関わらず、
治療を拒み、病身で漁師を続けているからだ。
亜弓の娘・美波は、川崎ではいじめに遇い、
不登校だったが、故郷に戻って復学し、友達とも再会していた。
美波は、郁男によくなついていた。

亜弓は美容院を開業し、
郁男は印刷会社で働きだす。
一時的にまともな暮らしになれたと思った矢先、
会社の同僚らが競輪のノミ屋で賭け事をしているのを知って
アドバイスをしたことでノミ屋について行った郁男は、
またも競輪の魔力に呑み込まれてしまう。

ある日、亜弓と衝突して家を飛び出した美波は家に戻らず、
パニックになった亜弓と共に、美波を探し歩いた郁男は、
亜弓と口論し、道路に置き去りにする。
その夜遅く、亜弓は何者かに殺害されてしまう。

葬式でも親族席には座れない郁男。
籍が入っていないから、
もう美波と一緒に暮らすことは出来ない。
自分が置き去りにしたせいで
亜弓は死んだという思いで自分を責める郁男。

その郁男は警察から殺人の疑いをかけられ、
社員をギャンブルに巻き込んだと会社に責められ、
会社での金の紛失まで疑われる。
カッとなった郁男は、
同僚と争い、機械を損傷し、解雇される。

恋人も、仕事もなくした郁男は、
「俺がいると不幸が舞い込む」と自暴自棄となり、
益々ギャンブルにのめりこみ、
ノミ屋に莫大な借金を抱え、
その負債の返済のために原発の除染に行かざるを得なくなるが・・・

という、ダメ人間を描く映画だが、
鑑賞当時、私は高く評価して、
このブログに次のように書いている。

絵に描いたようなクズの話。
しかし、そのダメ男が愛しく思えて来るのが、この映画の魅力。
立派な人物の素晴らしい行動を描いて
感動させる話は作るのは容易だが、
ろくでなしの愚かな行動を描いていながら、
これほど胸が震わせられるのはなぜなのだろう。

それは、映画や小説の基本中の基本、
「人間が描かれている」
からだろう。

主人公の郁男は、
腕がいい印刷工なのに、
ギャンブルをやめられず、
すぐにカッとなって暴力に走るどうしようもない男だが、
心の奥底では
普通の幸福を得ようともがいている。
そのような「人間」の典型がここには描かれている。
だから、胸を打つ。

それをリアリティ豊かに描いたオリジナル脚本の加藤正人、
演出の白石和彌監督、
そして、郁男を演じた香取慎吾の
3つが見事に化学反応を起こす。
脚本は繊細でていねいで、
先触れが後で効果を上げ、
郁男の姿に肉薄したカメラは、
郁男の内面の孤独を見事に描き出す。
ほんの小さな描写がそれを裏付けし、
よく録音された生活音がそれを支える。
(録音:浦田和治、音響効果:柴崎憲治)

香取慎吾は、どこでこんな演技力を習得したのかと
いぶかるほど、ダメ男の哀愁を演じきる。
心根の善良さと不器用さの間で困惑する
木野本郁男という人物像を
見事に肉付けしていた。
そして、真弓の父・勝美を演ずる、
ベテランの吉澤健の演技が深い感動を与える。

更に津波の爪痕がまだ残る石巻の光景が背景を支える。

山風、海風に翻弄された主人公が、
ようやく人生の凪の時を迎える、という
題名も的確。

という評価で、
私にしては珍しく、
5段階評価の「5」を付け、
その年の日本映画のベストワンに挙げている。

その映画がノベライズになっていることは知らなかったが、
図書館で見つけ、読んでみた。
2020年2月の刊行だから、
映画の公開から半年ほど経っての出版。

脚本を書いた加藤正人自身よる小説化なので、
ストーリーはそのまま。
というか、いかにもシナリオを小説に仕立て直した、というおもむきで、
小説を読む満足感とは遠いものだった。

空手家と柔道家が使う筋肉が違い、
また、バレーボールとバスケットボールの選手が
動かす体の部分が異なるように、
脚本家と小説家は、頭の中の活用する部分が違う。
それを知っている倉本聰は、小説には手を出さなかった(はず)。

ノベライズ本での成功例は、
小説の手腕を持つ別な人物が
小説の技法を用いて書いたものだ。

そういう意味で、
ちょっと残念な読書経験だった。


映画『屋根の上のバイオリン弾き物語』

2023年04月09日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

「屋根の上のバイオリン弾き」は、
1964年9月22日、
ニューヨークのインペリアル劇場で幕を開け、
1972年7月2日まで
7年9カ月、3242回のロングランで、
それまで「マイ・フェア・レディ」の持っていた
2717回の記録を塗り替えたミュージカル。
ショーレム・アレイヘムの短篇小説「牛乳屋テヴィエ」を原作とし、


今のウクライナにあった
帝政ロシア時代のユダヤ教徒の共同体の生活を描いたもの。
脚本:ジョゼフ・スタイン
作詞:シェルダン・ハーニック
作曲:ジェリー・ボック
製作:ハロルド・プリンス
演出・振付:ジェローム・ロビンス

19世紀末、
ロシアの架空の村アナテフカのユダヤ人のテヴィエは、
5人の娘に恵まれ、
ユダヤ教の戒律を厳格に守りつつ、幸せな日々を送っていた。
しかし、次第に伝統を守る生活に、
新しい波が押し寄せて来る。
長女ツァイテルは肉屋の後妻にと望まれるが、
幼馴染の仕立屋のモーテルと結婚してしまう。
次女ホーデルは革命家のパーチックと恋仲になり、
逮捕されたパーチックを追ってシベリアへ発つ。
更に三女は、あろうことか、異教徒のロシア青年と
ロシア正教会で結婚して、駆け落ちしてしまう。
そして、帝政ロシアの迫害で、
村全体が追放されることになり、
テヴィエたちは着の身着のままで住み慣れた村から出、
ニューヨークヘ向かう。

ユダヤ人一家を巡る、
地味な話で、
当初「ユダヤ人しか観に来ない」と言われたが、
舞台は大ヒット。
崩れゆく伝統の中での家族愛を描いたことが受けた原因だった。

この映画「屋根の上のバイオリン弾き物語」は、
ミュージカルの舞台ではなく、
1971年に映画化された背景を描くドキュメンタリー
監督のノーマン・ジュイソン


主役をつとめたトポル


音楽を手掛けたジョン・ウィリアムズ
3人の姉妹を演じた女優たちのインタビューで綴りつつ、
本編の映像を差し挟む。
ただ、インタビューは随分前のもので、
トポルなどは既に故人である。
ただ、ロケ地を巡る困難、セットや撮影の工夫などを丹念に追っており、
一つの映画を作る過程が分かって、興味深い。

監督のノーマン・ジュイソンが「ユダヤ人になりたかった」
というのは驚き。

名字の Jewison が「ユダヤ人の息子」という意味だったとは。
後に彼はユダヤ式で結婚式をあげている。
また、 本作の後、
「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1973)の映画化も監督している。


また、俳優の一人が、
ユダヤ人の特徴である鼻をかくすようにしていたのだが、
バーブラ・ストライサンドの出現で、
鼻に誇りを持つようになった、という話も面白い。
また、ノーマンが監督した「夜の大捜査線」(1967)について、
ロバート・ケネディが「歴史的な映画になる」と
予言したという挿話も、初めて知った。

改めて感じるのは、
この作品の背景となったユダヤ人問題で、
日本人には身近でないので、
どこまで作品を理解したかは不明。
ただ、映画が日本でも大ヒットしたことから、
深いところでユダヤ人と根がつながっていることが伺える。(後述)

ちなみに、
世界3大テヴィエというのがあるそうで、
ゼロ・モステル、トポル、森繁久弥のこと。
誰が決めたのかは不明。
ブロードウェイ初演のゼロ・モステルではなく、
ロンドンキャストのトポルが選ばれた理由も興味深い。

「屋根の上のバイオリン弾き」は、
2017年度のアカデミー賞で、
作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、美術賞など8部門にノミネートされ、
撮影賞、音楽賞、音響賞の3部門で受賞
ゴールデングローブ賞では、
作品賞、主演男優賞 (共にミュージカル・コメディ部門) で受賞している。

ノーマン・ジュイソンは、
「夜の大捜査線」、

「屋根の上のバイオリン弾き」、
「月の輝く夜に」(1987)の3作で


アカデミー賞の監督賞候補になったが、
受賞には至らなかった。
しかし、1999年、特別賞が授与され、
「屋根の上のバイオリン弾き」の中の「金持ちなら」の曲で送られて、
ステージに立った。

5段階評価の「4」

ヒューマントラストシネマ有楽町他で上映中。

ユダヤ人とは、
ユダヤ教の信者またはユダヤ教信者を親に持つ者によって構成される
宗教集団のこと。
狭い意味では、
今のパレスチナに住んでいたイスラエル民族の中のユダ氏族の子孫を示す。
今は、ユダヤ人の母親から生まれた者、
あるいは正式な手続きを経てユダヤ教に入信した者がユダヤ人であると規定されている。
イスラエルの国内法である帰還法は
「ユダヤ人の母から産まれ、あるいはユダヤ教徒に改宗した者で、
他の宗教の成員ではない者」
をユダヤ人と定義している。
現在の調査では、全世界に1340万を超えるユダヤ教徒が存在する。

元々の居住地域は、
今のイスラエルの地域(パレスチナ)だが、
離散と流浪の歴史を持っている。
ローマ帝国の侵攻により、
故郷を離れ、世界中に散り散りになり、
各地で共同体を形成し、
固有の宗教や歴史を固く保持する少数派の集団となった。
「来るべき年には、エルサレムで」
という挨拶があるように、
故郷へ戻ることへの希望が民族を支え、
その帰還運動によって成立したのがイスラエル国家である。

聖典は旧約聖書
それとは別にトーラーと呼ばれる戒律書を持ち、
それによって生活の規範が厳しく定められている。
言葉は現地の言葉と、
イディッシュ語という独特の言語を話す。
元来優秀な民族で、
科学分野、芸術分野、経済分野で強い影響力を持っている。

以下は、おまけの与太話。

ところで、日本人はイスラエル民族の末裔だ、
という説がある。
イスラエルの12氏族のうち、
北と南に別れた後、
南の子孫たちは、後のユダヤ人になるが、
北の10氏族の行方が分からない。
歴史の中で消滅し、
「ミッシング・リンク」と呼ばれるが、
それが渡り渡って、日本に来た、という説。

西洋の人類学者が、明治時代、日本に訪れた時、
皇族の顔を見て、
「ミッシングリングがいた!」
と叫んだ、という話がある。
(出所不明)

様々な根拠として、
モーゼがエジプトを脱出する前、
エジプトを災厄が襲ったにもかかわらず、
イスラエル民族の家は、羊の血を門に塗って災厄を免れた、
という話が旧約聖書にあるが、
日本の神社の鳥居の形と赤い色がその名残である。
古事記に、男女の神によって、日本が生み出されたという話があるが、
それは、創世記にあるアダムとエバのことである。
イザナギ、イザナミの二人の神は
「誘う木」と「誘う実」であり、
それは、蛇の誘惑で、果実を食べた話、「誘惑の木」「実」と通じる。
「親」という文字は、
木の上に立ってアダムとエバを見守る、親なる神を表現している。
大きな舟を表す「船」という文字は、
ノアの方舟に入ったノアと3人の息子とその連れ合い
(合計8人、つまり、八口)を示す。
仲人が男女を仲介する制度は、日本とユダヤだけに共通する。
日本の祭りでの神輿の起源
モーセの十戒を納めた箱、
担いで移動した聖なる櫃である。
皇室が守る三種の神器には、ヘブライ文字が刻まれている。
古代ヘブライ語と日本語には沢山の近似点がある。
「君が代」さえ、ヘブライ語で意味が通じる。

等々、こじつけとも真実とも知れない説。
一度日本人とユダヤ人のDNAを比較したらどうかと思うが。

東北地方の戸来(へらい) には、
「イエスの墓」というのさえある。
十字架にかかったのは、
イエスの双子の兄弟のイスキリで、
イエスは逃れて日本に来て死んだ、という珍説。
なお、戸来(へらい) は、「ヘブライ」に通じる。

「屋根の上のバイオリン弾き」の日本でのヒットは、
その根底にユダヤ人と親戚関係のDNAあるから?

 


ビッグバンド ジャズコンサート

2023年04月08日 23時00分00秒 | 身辺雑記

今日は、午後から、カミさんと一緒に、↓ここへ。

浦安音楽ホール


二つあるホールのうち、
小さい方のハーモニーホール

というのは、↓のチラシを公民館で見つけ、

ビッグバンドを3千円足らずで聴けるなら、
と参った次第。

ザ・フォース・アベニュー・ビッグ・サウンズ・オーケストラ


2009年に創立されたバンドで、
四街道市を中心に、
千葉全域で音楽活動をしているという。

今日の編成は、
サックス5(うち2はクラリネットを兼ねる)、
トロンボーン4、トランペット4、
ギター1、ベース1、ピアノ1、ドラムス1の
17人。
うちドラムスは2人いて、
前半と後半で入れ代わり。
6曲は、女性シンガーのボーカル付き。

曲目は、第1部が
Blue Flame
ムーンライト・セレナーデ
YA GOTTA TRY HARDER
サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート
THE LADY IDS A TRAMP
BEWITCHED
Day In Day Out
イン・ザ・ムード
Love For Sale
の9曲。

休憩を挟んで、第2部が、
A列車で行こう
危険な関係のブルース
COUNT BUBBA
イパネマの娘
EMBERCEABLE YOU
マック・ザ・ナイフ
鈴懸の道
Just Friends
TIME CHECK
シング・シング・シング
の10曲。

実は、私は、このバンドを見くびっていた。
よくあるオジサンたちの趣味のジャズ愛好家の集まり、
くらいに思っていた。

しかし、最初の音を聴いて驚愕。
レベルが高い
それもそのはず、
メンバーには、シャープス&フラッツなどで演奏していた
プロが入っている。
日本一の称号を持つ演奏者もいる。
従って、ところどころに入るソロも、
技術が高く、心地よい。
どうやらバンドマスターの児玉好廣さんという人が
人脈で集めた、質の高い演奏者の集まりのようなのだ。

というわけで、
趣味の演奏に付き合うつもりが、
高いレベルのビッグバンドの演奏に遭遇し、
幸福なひとときを過ごしたというわけ。

しかし、200名入る会場に、
60名ほどの入り。
3000円弱の入場料で、
チケットの売上は18万円ほど。
これで19人の演者に対しては、
いくら支払っているのか。
プロだから、まさか無料というわけにはいくまい。
市から、いくばくかの補助が出ているのか。
と、心配になってしまった。

今後の活動は、
千葉市や浦安市、四街道市での
ウクライナ避難民支援チャリティライブや
浦安市民会館や印西市文化ホール、四街道公民館、千葉市美浜文化ホールなどでの
公演があるという。

↓は、コンサートの中で記念撮影をする、という珍事。

従って、撮影OKと判断。

↓は、フィナーレ。

今日の観客は中高年ばかり。
若い人は、ビッグバンドという概念さえ知らないだろう。
いや、ジャズという音楽ジャンルさえ触れることはないかもしれない。

今日、聴いてみて、やはりビッグバンドはいい。
昔、日本にもビッグバンドが華やかなりし時があり、
海外からもベニー・グッドマン・オーケストラや
カウント・ベイシー・オーケストラをはじめ、
沢山のビッグバンドがやって来た時代があった。

これも失われつつある文化か。
その灯火を消さないでほしいものだ。

 


小説『風の果て』

2023年04月06日 23時00分00秒 | わが町浦安

[書籍紹介]

藩の首席家老・桑山又左衛門宛に果たし状が届く。
昔、同じ道場で友情をはぐくんだ、野瀬市之亟からのものだった。
又左衛門は市之亟の消息を探る中で、
30年前の片貝道場で過ごした日々に思いを馳せる。

15、6歳で入門し、
道場で親しく過ごしたのは、
上村隼太、杉山鹿之助、野瀬市之丞、寺田一蔵、三矢庄六の5人。
鹿之助以外は、次男、三男坊の部屋住み
(家督を相続できない身分の男子で、まだ別家に婿入りせず、実家に留まっている者)で、
どこか釣り合う家への養子縁組を探している。
行き先がみつからなければ、
「厄介叔父」(冷や飯食いのまま年を取り、実家の世話になっている者)になって、
肩身の狭い思いをして生きるしかない。
鹿之助だけは、家老の家柄の長男で、
ゆくゆくは藩の中枢に入っていく身だが、
身分差のある隼太たち4人とも気さくに付き合ってくれた。
しかし、鹿之助が家督を継いだ時、
4人の身分差は決定的なものとなる。
あこがれていた千加を鹿之助が娶ったことで、
隼太は、青春の終わりを感ずる。

物語は、果たし状を受けた後の又左衛門の去就と、
5人の若者の青春群像を交互に描く。
主人公の現在を又左衛門、
青春時代を隼太(はやた)の名前で表記して区別する。
杉山鹿之助は、杉山忠兵衛と名を改める。

青年時代を同じ道場で過ごした若者たちは、
やがて家柄に従い、あるいは結婚を通じて、
全く違った人生をたどることになる。

寺田一蔵は2人の中では最も早く縁談がまとまり、
50石で勘定方の宮坂家に婿入りした。
しかし、妻の身持ちの悪さが原因で刃傷沙汰を起こして脱藩
討手の市之丞に斬られる。
その死に様は悲惨を極め、
市之丞の心に深い傷を残すことになる。

野瀬市之丞は最後まで冷や飯食いで、
婿にも行かずに厄介叔父になった。
剣の腕が優れていることから、
脱藩した一蔵に対する討手の1人に選ばれ、
一蔵を斬ってからますます変人ぶりに磨きがかかった。
又左衛門が筆頭家老に昇進した後、
果たし状を送りつけてきた。

三矢庄六は、わずか20石の普請方である藤井家に婿養子に入り、
開墾工事で肉体労働にも参加。
新吾という息子がいて、藩校では秀才のひとりに数え上げられている。

こうして、30年の間に、
5人のそれぞれの人生はまったく別の歩みとなる。

個人の能力よりも、
家柄がものを言う時代のこと。
「上士は下士と交わらず」と言われ、
藩の中でも、厳格な身分差別があった。
その中で、隼太は、
藩のうるさ方で郡奉行・桑山孫助の家に婿入りし、
その農政に対する情熱で、
郡奉行、郡代へと出世し、
ついに、中老として、執政の中に入り込む。
そして、かつての友・筆頭家老の杉山忠兵衛と対立し、
最後には、失脚させる。

藩は借金だらけで、
借り主との交渉の成功が執政の功績とされ、
本質的には何の解決策もない。
その中で、又左衛門は、
荒れ地・太蔵が原を開墾すれば
3千町歩もの田地が得られると考えられ、
ただ、谷川から水を引く方法がないために実行できなかったのを、
水の手を確保する手立てを講じ、
領内の富商、羽太屋から資金を引き出して開墾着手に成功し、
その功績を藩主に認められて郡代に昇進し、
その後さらに中老に昇進して執政入りした。

百姓を締めつけることだけを考える執政の中で、
百姓の実情に通じた又左衛門は、
新たな耕作地を作り出して、
藩士と農民に課せられた苛政を改善する。

こうした、一人の男の出世に伴う
心境の変化が、大変ていねいに描かれる。
成功したかに見える主人公の胸中にも、
寂寞とした風が吹き抜ける。
中老になった途端、周囲に人が群がって来る。
賄賂めいた金も渡される。
更に家老になると、もっとそれはひどくなる。
私利を追究することはしないものの、
その環境に又左衛門は陶酔に似たものを感ずる。
これが権力を持つということかと。
その快感に又左衛門は酔う。

忠兵衛との確執の本質も分かっている。
忠兵衛が又左衛門の執政入りに反対したことを聞き、こう言う。

「忠兵衛は、むかしの仲間であるわしが
応分の出世をすることは格別の文句はなかったろうが、
中老となると話が違うと思ったかも知れんな。
中老、家老は家柄で決まると思っているのだ。
ひと口で言えば、
忠兵衛がそういう考えているところに、
わしが土足で踏みこんだ形になったわけだろう」
「忠兵衛が言う家柄は軽んずべきものではないが、
そこに固執すると
藩はいまの時勢を乗り切れぬ。
そのことを、わしはいずれ忠兵衛にわからせてやるさ」

市之丞との果たし合いで、倒した後、
ただ一人残った友の庄六を訪ねて、又左衛門は言う。

「庄六、おれは貴様がうらやましい。
執政などというものになるから、
友だちとも斬り合わねばならぬ」
「そんなことは覚悟の上じゃないのか」
庄六は、不意に突き放すように言った。
「情におぼれては、家老は勤まるまい。
それに、普請組勤めは
時には人夫にまじって、
腰まで川につかりながら
掛け矢をふるうこともあるのだぞ。
命がけの仕事よ」
「・・・」
「うらやましいだと?
バカを言ってもらっては困る」

命をかけて貫いた開墾も、
さほど大きく藩を変えることにはならず、
又左衛門の勝利は苦いものだった。

やがて、徳川幕府が倒れ、
藩もなくなる時が来る。
その時を知ったら、
又左衛門はどう思うのだろうか。

久々に読んだ藤沢周平の長編小説。
堅固な骨格、多彩な人物配置、
練り上げた事件など、
やはり、長編小説でも素晴らしい手腕を見せる。
時を忘れて読んだ。

週刊朝日に1983年10月から1984年8月まで連載し、
1985年に単行本化、
その後、文庫に収録された。

2007年に、NHKでテレビドラマ化された。

又左衛門に佐藤浩市、
杉山忠兵衛に仲村トオル、
野瀬市之丞に遠藤憲一
という布陣。
8話として放送されたが、
第8話はオリジナル。