Wind of Mind

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自作の音楽や美味しいものなど気ままにアップしていきます!^^ゞ

ロック編:リンゴ・スター1(Goodnight Vienna)

2006年06月15日 | 洋楽のルーツ
リンゴはビートルズがデビューする直前にそれまでドラマーだったピート・ベストに替わって加わった一番新しいビートルでした。4人の中では一番楽曲的には地味な存在のリンゴですが、70年代は結構目立っていたんです。
解散直前の79年3月にスタンダードを集めたアルバム、同12月にはカントリーを集めたアルバムを発表。
バングラディッシュのコンサートではジョージのバックを務めるなどセッションでも活躍しました。
そして73年にアルバム「リンゴ」を発表。
この時はビートルズの4人が解散後初めてアルバムに名を連ね、ジョン、ポール、ジョージがリンゴに曲を提供するということで、大々的な宣伝があり興味をそそられました。当然のごとく、再結成の話も出ていたと思います。
このアルバムからジョージとの共作「想い出のフォトグラフ」、ジョンの曲「アイム・ザ・グレイティスト」などが大ヒット。
その後も「Goodnight Vienna(邦題:グッドナイト・ウイーン)」を発表。ジョン・レノンやエルトン・ジョン、ニルソンなど豪華なメンバーがリンゴに曲を提供しています。何故かリンゴの周りには豪華なメンバーが集まります。
私はこのアルバムで、ウィーンのことをヴィエナというのだと知りました。


怪獣大百科(バルゴン)

2006年06月14日 | 怪獣館
最近またガメラが復活したのをひそかに喜んでいる一人ですが、やはりオリジナルのガメラの方がカッコいい。ちょっと前の平成ガメラシリーズもオリジナルのシリーズのほうがはるかに良いと思うのは単にリアルタイムで見ていたからだけではないと思います。
カメが空を飛ぶというユニークな発想。しかもその飛び方がカッコいい!
ガメラの象徴甲羅も昔のトゲトゲのほうが怪獣らしくてカッコいい。
バルゴンの虹の殺人光線とかギャオスの超音波メスで切り刻まれ緑色の血を流すガメラ。
あの頃でも非常に斬新な武器だったと思います。
当時「ガメラ対バルゴン」も「ガメラ対ギャオス」も映画館で見た記憶があります。
しかし、このバルゴンとギャオスは怪獣の中でもかなりのイケメン?で人気も高いとか。。。
私もこの2匹(と言うのかな?)はかなりお気に入りで当時プラモデルを作って遊んだものです。
写真は当時のプラモデルの箱の写真を切り取りスクラップブックに張って作った怪獣大百科の1ページです。

ロック編:ジョージ・ハリスン(クラプトンとの友情)

2006年06月14日 | 洋楽のルーツ
1991年12月エリック・クラプトンとのジョイントツアーが東京ドームで行われました。
私も、是非ジョージに会いたくて(といっても米粒ほどのジョージを見るだけですが)後輩と見に行きました。
このコンサートは、当時息子を事故で亡くした直後だったクラプトンがジョージに申し入れ実現したもので、1989年のリンゴ・スター、1990年のポール・マッカートニーに次いで、元ビートルズが3年連続で来日したことが話題となりました。結局これが、ジョージの最後のライヴツアーとなりましたが、コンサートはすばらしく、感動の連続でした。私はジョージに会えたというだけで満足でしたが、クラプトンのギターもすばらしくジョージとの友情の深さを感じる暖かみのあるコンサートだったと思います。もちろんこのツアーはクラプトンのバンドにより全面的にバックアップ。正直言ってギターの音色はクラプトンとジョージではかなり違いますが、ジョージは一生懸命さが伝わってくるアーティストなのです。
これは、昔から感じていたことですがジョージの堅実で真面目な人間性が聴く物に好感を与えるのだと思います。
ジョージも我々にすばらしい夢と希望を与えてくれましたが、2001年11月29日永遠の眠りにつきました。

さて、次回はビートルズの中の人格者?リンゴです。

ロック編:ジョージ・ハリスン2(トラベリング・ウィルベリーズ)

2006年06月12日 | 洋楽のルーツ
1987年に発表された「クラウド・ナイン」は同名のタイトル曲がヘビーな感じのブルースっぽいロックで久々に私好みでした。
この裏にはエレクトリックライトオーケストラのジェフ・リンの存在があったことを後に知ることになります。
ジェフ・リンを共同プロデューサーとして迎えた「クラウド・ナイン」のヒットによりジョージは第一線に復活。その勢いに乗って翌88年にはリン、ボブ・ディラン、ロイ・オービソン、トム・ペティらと覆面バンド「トラベリング・ウィルベリーズ」を結成します。これが良かった!フォークとブルースとロックンロールが融合されたようなちょっと泥臭さの残る音楽で、すっかり気に入ってしまいました。覆面バンドというのがまたいい。ボブ・ディランはじめ凄いメンバーなのにジャケットの写真は全員サングラスをしてメンバーの名前も○○ウィルベリーとされていて笑えました。1枚目の次が3枚目というのも不思議で、確かなにか理由(こじつけ?)があり、サウンドだけでなくこのいかがわしさになんともいえない魅力を感じました(苦笑)

これが噂の前沢牛タタキ丼だ!

2006年06月11日 | 食道楽
正確に言うと、前沢牛タタキ丼セット1,300円です。
前沢牛が結構乗っていて口に入れるととろける豪華なランチですが、この時はちょっとタレが多かったのか味がきつく感じました。
ご飯がもっと多ければいいのかもしれません。
とはいっても、前沢牛が堪能できて、小鉢、味噌汁、香の物、コーヒー付きでこのお値段はお手ごろなのでは。。。



チャグチャグ馬コ、今年は101頭!!

2006年06月10日 | 名所・旧跡ギャラリー
今日はチャグチャグ馬コの日でした。
チャグチャグ馬コとは毎年6月に行われる「蒼前様」を信仰とするお祭で、100頭ほどの馬が、滝沢村の蒼前神社から盛岡市の八幡宮まで15キロの道のりを行進するお祭です。馬のあでやかな飾り付けとたくさんの鈴が特徴で、歩くたびにチャグチャグと鳴る鈴の音が名称の由来といわれています。
昭和53年には国の無形民俗文化財に選定。平成8年には、馬の鈴の音が環境省の「残したい“日本の音風景100選”」に認定されています。

もともとは農民の祭典であり、旧暦の5月5日に行われていましたが、農繁期と重なるため昭和33年から新暦の6月15日とされました。農事暦の中のハレの日に行われるためチャグチャグの日は晴れるといわれていたそうです。平成13年からは6月の第2土曜日になりましたが、今日は昨日からの雨の心配をよそに、日中は晴れ間が出て暑いくらいになりました。四季のめぐりの象徴ともいうべきお祭りなのです。

ロック編:ジョージ・ハリスン1(マイ・スウィート・ロード)

2006年06月10日 | 洋楽のルーツ
ジョンの次はジョージでいきましょう。

ジョージはアビー・ロードの勢いをそのまま継続するかのような名曲「マイ・スウィート・ロード」を擁したなんと3枚組みのアルバム「オール・シングス・マストパス」を70年に発表。
ただこの曲は盗作問題で裁判沙汰になり結局敗訴したのですが。そんなに似ていないと思いましたが(苦笑)
翌年8月には、シタールの師であるラヴィ・シャンカールの要請でロック界初の大規模なチャリティー・コンサートであるバングラデシュ・コンサートを開催。エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、レオン・ラッセル等が参加したイベントは大成功を収めました。このコンサートは映画にもなり私が見た時は「レット・イット・ビー」、ストーンズの「ギミー・シェルター」と3本立てだったと思います。
白いスーツで歌うジョージがかっこよかった。
タイトルの「バングラディッシュ」も大好きな曲です。
73年には「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」を発表。
このアルバムからは「ギブ・ミー・ラヴ」が大ヒット。
この頃のジョージは精悍さが増し最高にかっこよかった。
ある雑誌に最近のジョージはキリストのような風貌だというような記事が書かれていて、まさにぴったりのイメージだとにんまりした覚えがあります。
しかしジョージはその後「ダーク・ホース」「ジョージ・ハリスン帝国」「ゴーン・トロッポ」などのアルバムを発表するも曲はいまいちで、1987年の「クラウド・ナイン」の発表までは低迷期といえる時代をさまようことになります。

ロック編:ジョン・レノン(スターティング・オーバー)

2006年06月09日 | 洋楽のルーツ
さて、ジョンのお話も最終回です。写真は「ロックン・ロール」のジャケット、若き日のジョンがカッコいい!!
「ロックンロール」大ヒットのあと、ジョンは息子ショーンの子育てのために、5年間活動を停止しますが、1980年活動を再開。11月に「ダブル・ファンタジー」を発表します。このアルバムには「スターティング・オーバー」「ウーマン」などポップでカッコいい曲が入っています。アルバムジャケットは篠山紀信が撮影。しかし。。。
永遠のロックンローラー、ジョン・レノンは1980年12月8日凶弾に倒れ、永遠に帰らぬ人となってしまいます。
ジョンの復活にはかつての盟友ポールの存在が刺激になっていたといわれています。不仲が伝えられていた2人ですが、ポールはジョンが活動を休止している間にも何度か訪ね、ポールの「カミング・アップ」のヒットがジョンの音楽活動を再開させるきっかけになるなど、常にいい意味で刺激しあう仲であったということです。さらに、ジョンは他人がポールの悪口を言うのは許さなかった。ジョンにとってポールは「兄弟」であり、彼との確執は「兄弟ゲンカ」みたいなもので他人が干渉してくる筋合いの物ではないと常に言っていたといわれています。
確かに、よくケンカする相手ほど、お互いのことを一番よくわかっていたりします。
ポールは日本公演でもジョンのために「ヒア・トゥデイ」をジョージには「サムシング」をウクレレで、そしてリンダには「マイ・ラヴ」を歌いました。時が全てを洗い流してくれたかのように。。。熱い物が胸にこみ上げてきました。
ジョンにはもう会うことは出来ませんが、その歌声は我々の心の中に永遠に生き続けていくことでしょう。

ロック編:ジョン・レノン2(心の壁・愛の橋)

2006年06月08日 | 洋楽のルーツ
73年に発表された「マインド・ゲームス」はまさにリアルタイムで経験。
タイトル曲は結構好きでしたが、アルバムジャケットは不気味。ヨーコの影響がモロにでているとか。このオノヨーコという人は、最近少し落ち着いたかと思えば、ジョンのトリビュートライブではまた呪文のような絶叫をしている姿をテレビで見てしまいました。やはり変わっていないな~と(苦笑)
このアルバムには「あいすみません」なんて日本語が使われた曲もありました(苦笑)
わたしはこのMINDという言葉が気に入っていて、しばしば引用しています。
このブログのタイトルにも、そのルーツはこのアルバムタイトルにあります。
次に出たのが「心の壁・愛の橋」です。これは、買いました!
エルトン・ジョンとの共演「真夜中を突っ走れ」、不思議なバラード「夢の夢」などがヒット。ジャケットの写真もかっこよく、メガネをいくつかけてるかなんて数えたりして(笑)
このジャケットのイラストはジョンが子供の頃描いたものと知りまたビックリ。
あの頃はジョンも波に乗っていて、このアルバムは好セールスを記録したと思います。
そして翌年、「ロックン・ロール」を発表。スタンダードナンバーのカバーでしたが、全ての曲がかっこよく、「スタンド・バイ・ミー」が大ヒット。
このアルバムジャケットの革ジャンの若いジョンがまた最高にカッコよかった。
いまだに大好きな1枚です。