私は6月頃からデパートでアルバイトを始めていましたが、ついに函館での生活に嫌気が差し8月には我慢できずに札幌へ行く決心をしました。
親も自宅でくすぶっている私の札幌行きについては反対しませんでした。
札幌へ旅立つその日のことは今でもはっきりと覚えています。
珍しく厳格なおやじが家の外まで見送ってくれました。
するとお袋が出てきません。親父がお袋を呼びに行きました。
ようやくお袋も出てきてくれました。しかし様子がおかしい。
私はその時見たのです。
お袋の目に光る涙を。。。
それを見たとき、両親がいかに自分のことを心配してくれていたのかを身にしみて感じました。このまま札幌へ行っていいのか?
しかし、もう後戻りは出来ませんでした。
そんな不安を抱えながら札幌行きの汽車へ乗りました。
でも、全然嬉しくはありませんでした。向こうへ行けば、何とかなる。と自分に言い聞かせるのが精一杯でした。駅まで迎えに来ているはずの彼女だけが心の支えでした。
忘れもしない1982年8月8日暑い暑い夏の日でした。
それから毎年、8月8日が来るたびにこの日のことを思い出しました。
私にとって8月8日は、乗り越えなくてはいけない日になってしまいました。
親も自宅でくすぶっている私の札幌行きについては反対しませんでした。
札幌へ旅立つその日のことは今でもはっきりと覚えています。
珍しく厳格なおやじが家の外まで見送ってくれました。
するとお袋が出てきません。親父がお袋を呼びに行きました。
ようやくお袋も出てきてくれました。しかし様子がおかしい。
私はその時見たのです。
お袋の目に光る涙を。。。
それを見たとき、両親がいかに自分のことを心配してくれていたのかを身にしみて感じました。このまま札幌へ行っていいのか?
しかし、もう後戻りは出来ませんでした。
そんな不安を抱えながら札幌行きの汽車へ乗りました。
でも、全然嬉しくはありませんでした。向こうへ行けば、何とかなる。と自分に言い聞かせるのが精一杯でした。駅まで迎えに来ているはずの彼女だけが心の支えでした。
忘れもしない1982年8月8日暑い暑い夏の日でした。
それから毎年、8月8日が来るたびにこの日のことを思い出しました。
私にとって8月8日は、乗り越えなくてはいけない日になってしまいました。