・・・と、いうわけで、まかろん2014年度の新緑の詩、
「砂漠に咲く花」終幕でございます。
いかがでしたでしょうか。
内容が内容だったので、陽気なおしゃべりなんか付けては
皆さまのお邪魔になるかと思い、塩コンブ(ご挨拶)を控えておりました。
皆さま、お元気にされてましたか。
今これ書いてるの、2018年なのですけど、
あらためて読むとアラが・・・
1回会社飛び出したくらいで、その場でクビにはならんだろ。
気が付かなかったわけではないのですが、
そこを現実に沿うようにエピソードを組み立てなおすだけの、
精神力と取材力と物語作成能力が足りませんでした。
4年間、ずーっと気になってたんですよねぇ、
今ここであらためて、このころは実力不足だったと告白します。
ここで以前心配してた通り、完成できた物語詩はこれが最後になってしまっています。
4月の桜の詩で、自分のやってきたことの限界に気づき、
5月の新緑の詩で、やっぱりその先に行かなきゃダメだと思い。
6月の梅雨の詩で先に行こうとして・・行き詰りました。
今は何とか、梅雨の詩に戻るだけの物語り力のために、
別の作品を書いているところです。
今これ、以前書いた後書きを消して書き直しているところですが、
あの頃から進んだわたしもいて、止まったままのわたしもいます。
4月の桜の詩で思ったこと。
5月の新緑の詩で決めたこと。
4年経っても、その思いはまだ変わっていません。
その間に何人もの人に馬鹿にされて押しのけられたりもしたけど。
多くの人の、心の奥底におしこめられた痛みに癒しの光を届けられるようになりたいです。
またいつか、お会いしましょう。
人気ブログランキング ← 読んでくれて、ありがとう☆
<2014年に書いた後書きの一部をここに残しておきます・・個人的な備忘録としてテヘ☆>
なんというか、4月の桜の詩でですね、
あの、まかろん、4月の詩でですね、
自分の中のすぴ的理解を突き詰めるだけ突き詰めて。
ギリギリまで頑張って、で、ですね。
・・・まだ、生きてるわけなんですよ。
まだ、変わらない、全然救われていない、ドロドロの生がそこにある。
それでね、思ったんですよ、
まかろんのすぴはまだ、観念でしかなかった、って。
そして観念のすぴは、人生の主軸・主目的には決してならない、って。
これ、皆さまはとうに気づかれてたことかもしれませんが、
すぴさえ学べば。
究極のすぴに到達しさえすれば、全ては救われる。
嘘です。
だってまだ、生きている。
すぴの砦の中に逃げたって、ダメです。
生きてる限り、この生を続けている限り、いつかはその砦から出て、
生と向き合わないといけない。
すぴを学ぶのは良いことだけど、
否応なしに砦から生へ追い出されたとき、
むかつく仕事や人間関係、危機的経済状況などと直面するとき、
さあどうする。
まかろんは、またすぴを学ぶ者は、これに対して
観念的な言葉ではなく、腹の底からの答えを返さないといけません。
そして答えは多分、すぴの講演やら本の中でなく、
各々の人生の中にある、と思うのです。
なので。
まかろんは、すぴ的展開にはこだわるのをやめようと思ったのです。
主人公の「精神的成長」だの、「救い」だの、そういう展開に
なるかもしれないし、ならないかもしれない。
その時々のまかろんに与えられた物語を、紡いでいこうと思ってます。
「砂漠に咲く花」終幕でございます。
いかがでしたでしょうか。
内容が内容だったので、陽気なおしゃべりなんか付けては
皆さまのお邪魔になるかと思い、塩コンブ(ご挨拶)を控えておりました。
皆さま、お元気にされてましたか。
今これ書いてるの、2018年なのですけど、
あらためて読むとアラが・・・
1回会社飛び出したくらいで、その場でクビにはならんだろ。
気が付かなかったわけではないのですが、
そこを現実に沿うようにエピソードを組み立てなおすだけの、
精神力と取材力と物語作成能力が足りませんでした。
4年間、ずーっと気になってたんですよねぇ、
今ここであらためて、このころは実力不足だったと告白します。
ここで以前心配してた通り、完成できた物語詩はこれが最後になってしまっています。
4月の桜の詩で、自分のやってきたことの限界に気づき、
5月の新緑の詩で、やっぱりその先に行かなきゃダメだと思い。
6月の梅雨の詩で先に行こうとして・・行き詰りました。
今は何とか、梅雨の詩に戻るだけの物語り力のために、
別の作品を書いているところです。
今これ、以前書いた後書きを消して書き直しているところですが、
あの頃から進んだわたしもいて、止まったままのわたしもいます。
4月の桜の詩で思ったこと。
5月の新緑の詩で決めたこと。
4年経っても、その思いはまだ変わっていません。
その間に何人もの人に馬鹿にされて押しのけられたりもしたけど。
多くの人の、心の奥底におしこめられた痛みに癒しの光を届けられるようになりたいです。
またいつか、お会いしましょう。

<2014年に書いた後書きの一部をここに残しておきます・・個人的な備忘録としてテヘ☆>
なんというか、4月の桜の詩でですね、
あの、まかろん、4月の詩でですね、
自分の中のすぴ的理解を突き詰めるだけ突き詰めて。
ギリギリまで頑張って、で、ですね。
・・・まだ、生きてるわけなんですよ。
まだ、変わらない、全然救われていない、ドロドロの生がそこにある。
それでね、思ったんですよ、
まかろんのすぴはまだ、観念でしかなかった、って。
そして観念のすぴは、人生の主軸・主目的には決してならない、って。
これ、皆さまはとうに気づかれてたことかもしれませんが、
すぴさえ学べば。
究極のすぴに到達しさえすれば、全ては救われる。
嘘です。
だってまだ、生きている。
すぴの砦の中に逃げたって、ダメです。
生きてる限り、この生を続けている限り、いつかはその砦から出て、
生と向き合わないといけない。
すぴを学ぶのは良いことだけど、
否応なしに砦から生へ追い出されたとき、
むかつく仕事や人間関係、危機的経済状況などと直面するとき、
さあどうする。
まかろんは、またすぴを学ぶ者は、これに対して
観念的な言葉ではなく、腹の底からの答えを返さないといけません。
そして答えは多分、すぴの講演やら本の中でなく、
各々の人生の中にある、と思うのです。
なので。
まかろんは、すぴ的展開にはこだわるのをやめようと思ったのです。
主人公の「精神的成長」だの、「救い」だの、そういう展開に
なるかもしれないし、ならないかもしれない。
その時々のまかろんに与えられた物語を、紡いでいこうと思ってます。