週末でございます。
まかろんは昨日、pixivの小説募集にポイっとしてきて、晴れやかな週末です。
(募集、といっても特に賞などなく、
抽選で メーカーから何か当たる程度のものなのですが😅
でも、書いてないと鈍ってしまうと思って参加してます〜)
投稿も終わったので、
思ったことを、またちょっと書いてみたいと思います。
(まずは皆さまに、おめでたいこと✨が起こりますように、の写真をどーぞ 😄)
年末年始に「多様性」ということで
思ったことを書かせていただきました。
それと似た話なのですけど、
年末年始に、宗教関係の人たちに、思うことを伝える機会がありました。
(ツイッターやブログに凸しただけですが 💦)
彼らが何か思ってくださったか、聞く耳もたなかったかは
どの方も、大人の対応をしてくださったので、よく分かりませんが、
宗教でまかろんが思うことは
たいていの宗教関係者は 教義 に目をうばわれて、
現実の人々への「共感力」「想像力」を忘れているな、ということです。
たいていの宗教には、教義、教えというものがあります。
それは、人間はこうであるべきだ、というものです。
宗教者はそれを目指して頑張るわけです。
立派です。
しかしながら、そうした人たちはえてして、
正しさに目を奪われて
その正しさと違う人たちを馬鹿にする心をもってしまいます。
これは一般の人にも見かけることですが、
なんでお前はこれこれと思わないのぉ〜?
こうすりゃ幸せになれるのに、なんでお前はこんなこと出来ないのぉ〜?
よく見かけるお説教ですね。
そして宗教の方たちは特に、
神がそう言ってる、仏典にそう書いてある、と言って
ご自分で考えようとなさってない、
まかろんにはそう見えます。
まかろんが思うのは、
そうした方々は、
最初に「正しさ」があって、それに人を押し込めればいい、
と思っているように思われます。
でも。
本当に、ご自分がその立場(身体条件、生育環境もふくめて)にあったら
相手のように思ったり行動したりしないのか、ということです。
そして本当にその立場になったとき、
今ご自分で口にされている綺麗なお説教を、実行できるのだろうか、
その言葉は自分に響くのだろうか、
ということです。
昨年末に書いた、「“多様性”と、”自分に正直になる”ということ。」 でも思ったことですが、
もっとみんな、自分(の弱さ)に正直になった方がいい、と
宗教の方にまかろんは思うのです。
大昔の人たちの言葉の解釈で、きゃっきゃするのが
本来の宗教なのでしょうか。
そもそも、信者のお金で衣食住がまかなわれて、雨風しのげて
違う立場からの意外な言動にも出くわさない、そういう環境で
自分は天や神と合一しただの、悟っただのと感じたところで、
自分の環境からちょっと何かが失われるだけで崩れる、
そんな程度のものではないかと思うのです。
まかろんは、見えない力に敬意をもつのは良いことだと思っています。
人間は、よく考えてみると、意外にそういう
見えない力に影響されて、
ぽっかり心に穴を開けたり、つつかれていたりするものです。
そして何か極限の状態で、はっと
何も準備できていない自分に出逢ったりするのです。
その、普段我々が考えないでいる領域に向きあうのが、宗教です。
だから宗教には敬意を感じています。
ですが、宗教(や哲学)に肝心なのは
昔の人の言葉を格好よく解釈することではなく、
世界中の、自分と違う立場の人たちの、
自分と違う行動原理に、謙虚であること、その「想像力」ではないかと思うのです。
その「想像力」がない宗教談義や哲学など
まかろんには、安全な壁のなかでの言葉遊び だと感じます。
こう申したところで、まかろんも思い込みや知らないことが多くある人間で、
日々皆さまのブログやいろんな話で、勉強させてもらっている身ですが・・😣💦
宗教に関心のない人には、何のこっちゃな記事だったかもしれませんね。
でも・・
本当に人々に寄り添える人が、一人でも増えるといい。
真剣に宗教をされている人たちの努力が勿体ない、と思うので、
どこかでこうした考えが届くといいな、と思って書きました。
あと、宗教にこりかたまった人に変な脅され方されて、
洗脳されそうな人たちにも。
皆さま一人ひとりの、幸せが叶う世界になることを願います。
↓良かったら、ぽちっと。明日からは作品の方、考えーる!💪
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まかろんは昨日、pixivの小説募集にポイっとしてきて、晴れやかな週末です。
(募集、といっても特に賞などなく、
抽選で メーカーから何か当たる程度のものなのですが😅
でも、書いてないと鈍ってしまうと思って参加してます〜)
投稿も終わったので、
思ったことを、またちょっと書いてみたいと思います。
(まずは皆さまに、おめでたいこと✨が起こりますように、の写真をどーぞ 😄)
年末年始に「多様性」ということで
思ったことを書かせていただきました。
それと似た話なのですけど、
年末年始に、宗教関係の人たちに、思うことを伝える機会がありました。
(ツイッターやブログに凸しただけですが 💦)
彼らが何か思ってくださったか、聞く耳もたなかったかは
どの方も、大人の対応をしてくださったので、よく分かりませんが、
宗教でまかろんが思うことは
たいていの宗教関係者は 教義 に目をうばわれて、
現実の人々への「共感力」「想像力」を忘れているな、ということです。
たいていの宗教には、教義、教えというものがあります。
それは、人間はこうであるべきだ、というものです。
宗教者はそれを目指して頑張るわけです。
立派です。
しかしながら、そうした人たちはえてして、
正しさに目を奪われて
その正しさと違う人たちを馬鹿にする心をもってしまいます。
これは一般の人にも見かけることですが、
なんでお前はこれこれと思わないのぉ〜?
こうすりゃ幸せになれるのに、なんでお前はこんなこと出来ないのぉ〜?
よく見かけるお説教ですね。
そして宗教の方たちは特に、
神がそう言ってる、仏典にそう書いてある、と言って
ご自分で考えようとなさってない、
まかろんにはそう見えます。
まかろんが思うのは、
そうした方々は、
最初に「正しさ」があって、それに人を押し込めればいい、
と思っているように思われます。
でも。
本当に、ご自分がその立場(身体条件、生育環境もふくめて)にあったら
相手のように思ったり行動したりしないのか、ということです。
そして本当にその立場になったとき、
今ご自分で口にされている綺麗なお説教を、実行できるのだろうか、
その言葉は自分に響くのだろうか、
ということです。
昨年末に書いた、「“多様性”と、”自分に正直になる”ということ。」 でも思ったことですが、
もっとみんな、自分(の弱さ)に正直になった方がいい、と
宗教の方にまかろんは思うのです。
大昔の人たちの言葉の解釈で、きゃっきゃするのが
本来の宗教なのでしょうか。
そもそも、信者のお金で衣食住がまかなわれて、雨風しのげて
違う立場からの意外な言動にも出くわさない、そういう環境で
自分は天や神と合一しただの、悟っただのと感じたところで、
自分の環境からちょっと何かが失われるだけで崩れる、
そんな程度のものではないかと思うのです。
まかろんは、見えない力に敬意をもつのは良いことだと思っています。
人間は、よく考えてみると、意外にそういう
見えない力に影響されて、
ぽっかり心に穴を開けたり、つつかれていたりするものです。
そして何か極限の状態で、はっと
何も準備できていない自分に出逢ったりするのです。
その、普段我々が考えないでいる領域に向きあうのが、宗教です。
だから宗教には敬意を感じています。
ですが、宗教(や哲学)に肝心なのは
昔の人の言葉を格好よく解釈することではなく、
世界中の、自分と違う立場の人たちの、
自分と違う行動原理に、謙虚であること、その「想像力」ではないかと思うのです。
その「想像力」がない宗教談義や哲学など
まかろんには、安全な壁のなかでの言葉遊び だと感じます。
こう申したところで、まかろんも思い込みや知らないことが多くある人間で、
日々皆さまのブログやいろんな話で、勉強させてもらっている身ですが・・😣💦
宗教に関心のない人には、何のこっちゃな記事だったかもしれませんね。
でも・・
本当に人々に寄り添える人が、一人でも増えるといい。
真剣に宗教をされている人たちの努力が勿体ない、と思うので、
どこかでこうした考えが届くといいな、と思って書きました。
あと、宗教にこりかたまった人に変な脅され方されて、
洗脳されそうな人たちにも。
皆さま一人ひとりの、幸せが叶う世界になることを願います。
↓良かったら、ぽちっと。明日からは作品の方、考えーる!💪
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