まかろんのお茶会

日々の小さなことを詩モドキにしてます。
皆さまのお茶菓子代わりに楽しんでもらえたら嬉しいです。

「8月終わった9月の朝」 (# 173)

2012-09-03 21:48:27 | お茶菓詩 (読み切りサイズ♪)
ども、お今晩は~。

9月になりました。
皆さま、いかがお過ごしですか。


今日ふと思ったんですが。

命は限りあるものだから精一杯生きろ、とか限りがあるから美しい、とか言うわけですが。
多分、限りがあるんだから「勿体ない」でしょ、という意味合いで受け取られている
ように思います。

けど、ちょっと違うかもね、と。

スノードームとかってあるでしょ。
ほら、人形とかを水の詰まった透明なドームに閉じ込めてある置物。

あれって、もしドームを壊して中の人形を取り出したとして、
その方が美しいですか?

それとか、帆船の模型をわざわざビンの中に入れてある飾り物とか。

物が何かに収まっている姿は、実は美しいんです。
それは「勿体ない」という意味合いとは関係ない。

この世の物も同じことなのかもしれない。

木は木という制限で存在する。机は机という制限で。
そしてヒトも生まれつきの身体条件・家庭環境・性別・人種・国・時代という制限の中で
存在する。

それは自分を縛るもの、と普通考えられているけど。

水の詰まった小さな球体という枠があるからこそ表現され輝く存在があるように、
俳句がわざわざ5・7・5という枠の中で宇宙を表現する芸術であるように、
我々もわざわざそういう枠を与えられているのかもしれない。

その枠(制限)こそが実は、ヒトを、そして全ての移り変わりゆく(=限りある)ものを
美しく存在させている、のではないでしょうか。

・・・てなことを思いました。


まあ、それはともかく。

新しい月を楽しんで下さい。


2012年9月3日ブログ直接投稿 「8月終わった9月の朝」

8月終わった 9月の朝
いろいろあったなと ふと思う
同じように過ぎてた毎日
でも振り返れば一日一日
積み重なって きらめいている

8月終わった 9月の朝
日差しは真夏と変わらないけど
何かが一つ 過ぎ去った
なぁ そうだろ
焦がされた心に 呟いてみる

いつまでも終わらない永遠
間延びした 輝くいのち
きらめく刻は 熱に浮かされ
夢 幻となって流れてゆく
終わらぬ夏休み ひと夏の夢

8月終わった 9月の朝
変わらぬ日差しに秋を見る
まだ夏の熱気に焦げた心と
夏のきらめき残る身体は
手招く秋に 静かに身構えていた



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コメント
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