まかろんのお茶会

日々の小さなことを詩モドキにしてます。
皆さまのお茶菓子代わりに楽しんでもらえたら嬉しいです。

「君が呼ぶから僕は居る」 (# 214)

2013-06-14 22:20:52 | お茶菓詩 (読み切りサイズ♪)
ひさびさのお茶会です、お今晩はっ。


人間が「自分」で在る、ってどういうことなんでしょうね。

インターネットが発達して、SNSで個人が気軽に情報を発信できるようになった今、
至る所で人々の「承認願望」を見ることができるようになりました。

他人叩き、炎上、絵描きさんなど創作者の「ホントは“いいね”が欲しいんだ」というぶっちゃけ投稿などなど・・・

承認願望、ってとかく
思い上がり、間違ったもの、失くすべきもの、として
考えられることが多いのですが、本当にそうなんだろうかと思わずにいられません。

だってこんなにみんな、人の“いいね”に餓えて苦しんでいるじゃないですか。

こんなに人間が欲しているなら、それは何か、
人間として根源的に必要なことから来ているのではないか、と思うのです。

なぜ人間に他人の“いいね”がそんなにも必要なのかは、
ごめんなさい、まだ2018年のまかろんにはよく分かっていないのですが。


貴方が苦しまなくていいように。
貴方が他の人を叩かなくていいように。
貴方が笑顔で生きられるように。

そういう世界になるよう、微力ですけどまかろんも頑張っています。


ではではまた~。


2013年6月14日ブログ直接投稿 「君が呼ぶから僕は居る」

君がつけた 僕の名前
親からもらった名前はあるけど
君のその目で僕を映して
君のその声で僕を呼んだ
その時 新しい「僕」が生まれた

君がくれた 新しい「僕」
今までの自分より素敵な気がした
その新しい「僕」にしがみついて
気がつけば 僕はちぎれて
暗い虚空のどこかに消えていた

君が「僕」を呼ぶから僕は居る
関係の中にしかいない「僕」
君が「僕」を呼ばないとき
僕はどこに行ってるのかな

君が「僕」を見るから僕は在る
君の見る目に聖別された「僕」
君が「僕」を見ないとき
僕はいったい何なんだろう

君がくれた 僕の名前
だけど この「僕」も僕じゃなかった
僕はどこにいるんだろう
僕を与えてくれる誰かはどこ
僕を探している僕は・・・

君が「僕」を呼ぶとき僕は居た
関係の中にしかいない「僕」
誰か 僕の名前を呼んでよ
そしたら僕が何だか分かるかな


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コメント (2)
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