もう20年以上も前のことです。
開祖がカリフォルニアにおけるゴールドラッシュ時代で、
金鉱を掘り当てた人のお話をされたことがありました。
私はそのお話を、今でも忘れることができません。
開祖がなぜ、その話をされたのか、
その当時は理解できなかったのですが、
今では、
その話の真意をよく理解できるのです。
そうです、
金鉱は誰にも目の前にあるのだという。
その金鉱をお前も掘り当てろ!と
そう言われて、発破をかけられたんですね。
大成功者は、その金鉱を掘り当てた人なのです。
誰もが、夢の実現に向かって、人生を歩んで行くのですが、
その誰もが夢の実現に成功するわけではありません。
それは、
その人生の上に、障害が立ちはだかるからです。
その障害を前に、人はもろくも敗れ去るからです。
あるいは、また、その障害という壁を乗り越えることができなかったからですね。
高校生のドラフトと同じで、
高校野球で活躍して、一躍注目を浴びた選手は、
プロ野球選手になる夢を抱いて、ドラフトに望むわけです。
ドラフトで何位かの指名を受けて、
彼は憧れのプロ野球の球団と、契約を交わしますよね。
その時点で、
多分、素質は誰もそう変わりはないんだと思うのです。
中には、超大物だと騒がれて、入団する高校生もいるわけですが、
みんながみんな、期待通りにその実力を発揮して、
プロ野球で活躍できるわけではないですよね。
案外、
無名の人がその後に活躍をするのは、よく耳にします。
中には、10年間努力してがんばったけど、
自分の才能や運に絶望して、引退を決める選手もいますよね。
ひょっとして、
その選手には、もう少しで、
芽が出る一歩手前まで行っていたかもしれない。
それと同じで、
ある金鉱堀りの職人が、もう粘り強く、
何年も何年も、掘り続けた。
もうかれこれずーっと掘り続けたんだが、
最後に、この脈は金がない。
そう思って、掘り続けるのをあきらめたというんです。
ところが、
そのあとに来た掘り手の職人が、
一メートル掘ったところ、
あっと驚くことに、金鉱を掘り当てたんですね。
なんと、運のよい人でしょうか。
後からきて、その後を引きつづいて堀った人は、
一メートルも掘ったところで、
金鉱を掘り当ててしまったんです。
だから、言わないこっちゃないと、
誰もそんなことは考えもしなかったでしょう。
誰も外れ金鉱を掘った人を笑ったと思うんです。
でも、
しぶとくあきらめないで、掘り続けたんだがが、
最後の最後で、結局、あきらめてしまった。
そして、
あとから来た人に、その努力の結果を取られてしまったわけです。
単にあきらめるな!というだけでは、
成功の条件にはならないですね。
以上の話からでも分かるように、
「運」の良さと、反対に「不運」というものが、
両者の決定的な違いとなっている。
しかし、それと同時に、
最後まであきらめない執念が、
大事なんだということを教えてくれているように思います。
成功できない条件を取り除き、
そして、成功するまであきらめないで努力する。
問題はそこだと思うのです。
成功できないならば、何が成功を阻んでいるのか、
それを掘り下げて考えていく。
そして、
その原因を突き止めて、
その原因を取り除くようにする。
あとは、成功するまであきらめないで、
成功するための努力を惜しまず、がんばる。
しかし、
ここで考えなければならないのは、
成功するのは、並大抵の努力では足らないということです。
不通の努力では足りないのです。
もう死に物狂いの努力。
一心不乱の努力。
寝食を忘れ、小便に血が混じるほどの努力。
そういう努力があってこそ、成功を手にすることができる。
それも、
金鉱を掘り当てるほどの成功を望むならば、
並みの努力では、努力とは言えないと人は言うでしょう。
このことは、
私の肝に銘じるべき内容のお話であります。
追い詰められれば追い詰められるほど、
この話が思い出されてきますね。
だったら、
そんな絶望的な夢はあきらめろと言われて、
ああそうですかと、
あきらめるわけにはいかないんですね。
狂おしいほどの夢の実現に邁進してこそ、
人生を生きるに値するのではないでそうか。
苦しく困難な人生に賭けるのが、充実した人生となるのだと、
私は考えるのです。
さあ、やりましょう!
私たちも、これからの時代を切り開いていく、
新時代のリーダーとなるのです。