観音経には、
観音様の持つ威力について、さまざまな功徳が説かれています。
中でも、
私たちの生きていく上で出会う、様々な災難・苦難を述べて、
観音の御名を称えることによって、
それらの災難・苦難が消滅していくことが説かれています。
例えば、「或遭王難苦」。
会社であれば、
社長との相性が今一で、何かと難癖をつけられたり、
誤解の果てに、減給されたり左遷されたり。
また、
国との関係で言えば、冤罪ですね。
無実の罪で警察に捕まって、
刑務所に囚われの身となる。
今行われているウイグル族の虐待、
自治権を奪われた上に、
監視下におかれて自由のない生活を送る。
チベット族もそうですね、
とつぜん中共軍が侵入してきて、
あらゆる建物や家を破壊し、
チベット族の人権を蹂躙し、
抵抗する僧侶を無残に殺害する。
今行われている世界の状況は、他人ごとではないですよね。
それを日本政府は、見て見ぬふりをして、
経済的な面の利益を優先させて外交を行っている。
いつか、自分自身の身の上に、
それが帰って来ることを覚悟しなければなりませんね。
時に、
大儀を優先させることがなければ、
日本人は情けない人種だと、
軽蔑されることになるんじゃないか。
(おっと、道が逸れてしまいましたが)
そんな時、
観音様に祈りを捧げると、
観音様は即座にその祈りの声を聞き届けて、
その祈りに応えてくださるというのです。
絶え間なく、観音様への祈りを届けることによって、
その観音の救済のバイブレーションが、
災難や苦難をだんだんと消し去ってくださるという。
例えば、
とつぜん通り魔に襲われて、
己の頭上に刀が、今まさに振り下ろされんとされる
その刹那、
刀がボロボロと折れていく。
例えば、
大洪水に襲われて、今まさに沈まんとするその時、
観音の御名を唱えれば、
徐々に水は引いていき、命拾いをする。
観音を信仰していると、
観音さまはいつも見守っていてくださり、
危機の時には、
さっと姿を現して救ってくださるというのだ。
そんな方がおられれば言うことないのにね。
そんな頼もしい方がおられたら、
なんと安心なことか。
いつ何時、そんな災難に遭うかもしれない。
いつ何時、ピンチに陥るかもしれない。
そんなときのために、
私たちは正しい信仰を持つことが大事なんだと思う。
そして、これは秘伝ですが、
外に起きる災難や苦難は、
実は自分自身の中に種が有るんだということです。
原因は自分自身に有るんだということなんですね。
そんなこと嘘だ!
大半の人はそう思われると思います。
そんなことは認めないと。
悪いのはあいつらだ、
こんなひどい仕打ちを彼らはしたんだ。
理不尽じゃないか!
そう思われるだろうと思うのです。
ところが、
仏教を学んでいくと、
そうではないことが、だんだんと分かってくるんですね。
人は生まれ変わり、死に変わりしていく、
そういう前世を持っていることに気づくのです。
前世のでの行いを、
私たちは持っているのだという。
そこに人生の謎と答えが隠されているのですね。
(つづく)