楚人冠公園を経て、手賀沼のハケ道(マツモトキヨシの裏の通り)から、
京都の奥座敷のような雰囲気のある、石畳の天神坂(最後の地図③)を上った。
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天神坂の中ほどにあったコンクリートの擁壁(ようへき)には、
「天神坂の記」と題された石碑が埋め込まれていた。
それによると、石畳の階段坂は平成に入ってから整備されたようである。
その前はどのような坂道だったのか・・・・
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天神坂を上りきると右側に「嘉納治五郎の別荘跡」があった(巻頭の写真)。
嘉納治五郎の別荘跡は閉門されていて中に入ることが出来なかったが、
前庭からの眺望はなかなかのものであるようだ。
また、天神坂の道を挟んで反対側が民芸運動の提唱者の「柳宗悦」の居宅跡(三樹壮)であるが、
その頃のものは残っておらず、案内板だけが建てられていた。下の写真。
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なかなか雰囲気のある天神坂なので、下る時にも撮影。
左側の竹林には今年生まれた若竹が成長していた。
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再びハケの道に出てそのままハケの道を辿り「志賀直哉邸跡」へ・・・・・続く。
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ハケの道(上の地図黄色部分の道路)のハケとは、
崖地の下とか水はけのハケで湧水地とかの意味があるようで、
昔はハケの道が手賀沼の岸辺に面していたようである。