子の神参道の門前近くには、旧村川別荘(帝大教授、村川堅固の別荘)があったが、
この日(火曜日)はあいにく休館日で、中に入ることができなかった。
子の神大黒天
子の神大黒天は神仏一体の寺社で、延寿院と子之神大黒天社が祀られていて、
真言宗豊山派。本尊は不動明王。
他に子将神像えびす、大黒天を合祀。大黒天社は足腰の疾病に効験があり、
子之神は 腰下の疾患にご利益があると言われている。
変わったつくりの門から境内に入ると、左側に本殿があり、
本殿前には「七福神が掘られた」大きな石が鎮座していた。
残念ながら子の神大黒天境内では撮影をしなかったので紹介できませんので、
「子の神大黒天」境内等については詳細についてはこちらから
再度ハケの道に出て、手賀沼大橋入り口近くのベンチが置いてある草原にて一休み兼昼食。
目の前には田植えを終えたばかりのような田圃が広がっていた。(下の写真)
奥に見えるのは手賀沼親水広場にある「水の館」
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ベンチ近くの草叢には蓮華草の花が咲いており、よく見ると「雄蕊」が確認できた。
蓮華の花の雄蕊を見るのも撮るのも私にとっては初めてである(巻頭の写真)。
その後下の地図のコースをたどって手賀沼公園を経て、我孫子駅に戻った。
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余談
大黒天と大国主尊と「だいこくさま」
この関係について調べてみた。
で、細かいことには目を瞑る日本人のファジーばかりが目立って、詳細は何もわからなかった。
仏教的見地からは、大黒天(だいこくてん)とは、
ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ(摩訶迦羅)のことであるとされ、
密教の大黒天 は マハーカーラが元になり出来た密教の神である。
仏教の大黒天 は 密教の大黒天が元になり出来た仏教の天部に属する神である。
神道の大黒天 は 密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、七福神の一柱としても知られる。
としており、
神道的には廃仏毀釈や、神仏混合によって仏教上の「大黒天」と結びついたとあり、
正確なことは何もわからなかったのである。
だいこく様と因幡の白兎の物語は、
古事記に記載されている説話なので、記録として残されているのは「大国主命」が古いということになるが、
仏教伝来と古事記の編纂で年代比較すると学説的には仏教伝来が先である。
さらに、『日本書紀』本文によると大国主命はスサノオの息子。
また『古事記』、『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、
スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。
ということで、どちらが先かは「鶏と卵」と同じで不明という結論でした。
神仏集合された寺社で、神社なのが寺なのか迷った時は、
「大黒天」の名称が使われていれば仏教なのでその施設はお寺であり、
「大国主命」の名称が使われておれば神道なので神社と解釈する程度でよいのかもしれない。