人間の発する言葉は変わり易く危うい
人間が発する言葉だけに頼ってはいけない
そんな世の中で人間はいかにして
主体的にいられるかを荘子は説いた
荘子の時代から凡そ300年後
漢の国にインドから仏教が伝わった
当初は混乱の時代を共通する道徳で
まとめようとする儒教優位の世の中で
個人の生き方を説いた仏教は
あまり浸透しなかった
しかし、やがて政治の世界で敗北した者が
心の寄りどころとして宗教や哲学を
求めるようになると老荘思想と仏教が
爆発的に広がって行きます
この時にインドの仏典を翻訳するに際して
老子や荘子から多くの言葉が用いられた
そして国家が荘子や仏教を重んじるようになると
両者は神格化されていったのです
荘子や仏教には
自分をなくして、そこに没頭できる人
どんな役にも成りきれる人
このような人を主人公という
自分が、を無くすことで主体的な人格に
小我を捨てて大我を得る
天命を受け入れる
やむを得ずの思想
究極の受け身
やむを得ずしてしかる後に起ち
知と故とを去りて天の理に循う
つまり計画や目標は予断
自分を中心に考えられた仕業
自分の側で計画して目標を立て
それがうまく行かない事で人は
苦しみを持ち苦悩する
こうだから
こうして
このように
ああして
常に自分の側で考え計画すると
それが思い通りに行かない時に
人は予断し苦しむことになる
だから、こうでなければならないと考えない
こう計画したのだから
こうならないといけない
そんなことは考えない
こうしなければならない
そんな風には考えない
こうでなければならないと考えない
やむを得ずの心
その心が最高の受け身の心
その心が最高の幸せの心
そう荘子は言っているのです
(*⌒▽⌒*)
毎日を楽しく有意義に過ごせるような
さまざまな情報を発信しています
ブログ名
あなたの想いはあなたそのもの
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荘子の時代から凡そ300年後
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まとめようとする儒教優位の世の中で
個人の生き方を説いた仏教は
あまり浸透しなかった
しかし、やがて政治の世界で敗北した者が
心の寄りどころとして宗教や哲学を
求めるようになると老荘思想と仏教が
爆発的に広がって行きます
この時にインドの仏典を翻訳するに際して
老子や荘子から多くの言葉が用いられた
そして国家が荘子や仏教を重んじるようになると
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荘子や仏教には
自分をなくして、そこに没頭できる人
どんな役にも成りきれる人
このような人を主人公という
自分が、を無くすことで主体的な人格に
小我を捨てて大我を得る
天命を受け入れる
やむを得ずの思想
究極の受け身
やむを得ずしてしかる後に起ち
知と故とを去りて天の理に循う
つまり計画や目標は予断
自分を中心に考えられた仕業
自分の側で計画して目標を立て
それがうまく行かない事で人は
苦しみを持ち苦悩する
こうだから
こうして
このように
ああして
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それが思い通りに行かない時に
人は予断し苦しむことになる
だから、こうでなければならないと考えない
こう計画したのだから
こうならないといけない
そんなことは考えない
こうしなければならない
そんな風には考えない
こうでなければならないと考えない
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