くうあり

自分なりの気付きを綴るブログ  

不登校を通して価値観が大きく変わった

2021-01-14 13:23:00 | 子育て
学校から帰ってきた娘が疲れ切っている

辛い 行きたくない もう嫌だ

の連呼。




夕方のくもんは早くに宿題を終えていてやる気はあったし時間の余裕もあった。

でも突っ伏していて動けない様子。

「だいぶ疲れてるみたいだから今日はくもんは無理して行かなくていいんじゃない?」

と声をかけるが、

「いや行く」と辛そうな顔で車に乗る。




寒すぎて窓が凍っていて出かけるのに少し時間がかかりそう。

「これは行けないんじゃね?」

とほっとした様子で、じゃ、今日は休もう!と家に戻ってきた。娘はすぐさまごめーんと言っていた。

「いや、今日は疲れすぎてて様子がおかしいから休んで正解なんじゃない?ちょっとゆっくりして息抜きしたほうがいいわ」

と本音で言えた。


ソファーに転がってテレビを見ながら、先生の圧がすごいとか、間違えると怒るし忘れると怒るから緊張する、プレッシャーがつらいなどなど色々と話してくれた。これだけ疲れてたら、くもんの方は休んで良かったなと思った。休んだからこそ色々と話が聞けた。

「だいぶ辛そうだし、学校休めそうな日を選んでたまには休んでパワーチャージしたら」

と勧めるけど

「休むと勉強についていけないし、授業で言ったことがテストに出るから行かないと不利」

と言う。


「毎日オンライン配信だったら行かなくてすむのにね〜。もう少し圧の少なそうな学校を探してもいいし、高校は希望のところに行ければいいから、自宅学習でも全然いいんだよ〜 道はたくさんあるから今の学校にこだわることもないんじゃない?」

と話すのだけど

「友達は今のところがいいからなぁ」

と言う。そうかそうかとひとしきり聞いたら顔色がだいぶ良くなっていた!

「今の学校でがんばるなら家では息抜きしようね。勉強もそんな頑張って上を目指すこともないし、学校は友達と会う場所だと思って、ラクしてスルーできる方法を考えていけばいいんじゃない?」

と話すと、

「まぁでも、ちゃんとやりたい性格だからしょうがないんだよね。」

と自己分析していた。色々話して気が済んだようで翌日は行きたくないーと言いながら学校に出かけた。



2年前の私は、子どもが習い事を休みたいと言うのも許せず、めっちゃ怒っていた。

恥ずかしいから泳げるようになりたいと言うので5年生からスイミングに通い始めた娘は、行けば楽しいのだけど、学校に行けなかった日は家を出られないので月4回のところ2回しか行けないという状態になっていった。

今考えれば2回も行けてるのだが、私はいつも、「また⁈」とイライラしながら欠席連絡を入れ、お金がもったいない!毎回行けないならやめなさい!となじった。


お金云々というよりは、「行けない」というのを私が受け止められず、連絡入れることでネガティブな事実を刻みたくないと思っていたし、敗北感があったのだと思う。子育てがうまくいかなかった、失敗した、というような思いに囚われてしまっていた。失敗なんて子どもに失礼な話だった。


苦手を克服したいから意を決して苦手なことに挑戦しようとしたのに、月4回のうち4回完璧に通えないなら許さないと辞めさせられ、くじかれた気持ちは相当辛く悲しく親を恨みたくなるような感情だっただろうと思う。今ならそれがすごく分かって、悪いことしてしまったと胸がきゅっと締め付けられる。


2年前の私は、娘に対しても自分に対しても、人並みとか人以上に何かができる能力があって、自信があって元気ハツラツ前向きでいることが一番いいという価値観をもっていたと思う。だから、子どもが不登校になった事実は親として烙印を押されたような辛さがあった。一番辛いのは本人だったはずなのに。

今の私は、人と比べず、自分だけの心地よさを知って、自分らしく生きていけばいいという価値観を持ち始めている。

2年間で娘から本当に大切なことを学ばせてもらった。

これからも多分間違えることはあると思うけど、学んだことを胸に刻んで、自分や家族の心にそっと寄り添える私でいたい





(写真は、夏によく作った凍ったフルーツを浮かべたソーダです。子どもが喜んでいて嬉しかった〜 笑顔になれることをできるだけたくさん見つけたいです

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「空あり kuu-ari /執着を手放す日々」

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