時間はさかのぼりますが、GW期間中に特別公開の冷泉家にお邪魔してまいりました。
名前は知っているけれど、今まで場所は知りませんでした。
てっきり冷泉通りにあるものかと。
しかし、行ってみれば御所の北側、丸太町通りの同志社大学の横でした。
何回も前を通過していたんだ…
門をくぐって案内されたのは、台所。
京都弁でいうおくどさんですね。
大きな竈が二つありましたが、現在は文化財の建物ゆえ使用していないとのこと。
さらに奥にも普段使い用にあったそうです。
見渡すと、襖紙や土壁が雅な雰囲気をかもし、さすがは公家の住まいだとおもいます。
シンプルなんだけど、奥ゆかしい粋な感じ。
まさに憧れの数奇屋建築でした。
今回は端午の節句にちなんだ飾りがされていて、ふるい武者人形や飾りは
現在と大きく異なるものでした。
裏手には蔵が二つ有り、この中に国宝の文庫が入っていると思うと不思議なくらいの大きさです。
冷泉家の敷地自体がもっと大きなものだと勝手に想像していましたが、庭も住まいもそんなに広大ではなかったです。
でも、歴史をつなぐことの大変さを感じる家でした。
名前は知っているけれど、今まで場所は知りませんでした。
てっきり冷泉通りにあるものかと。
しかし、行ってみれば御所の北側、丸太町通りの同志社大学の横でした。
何回も前を通過していたんだ…
門をくぐって案内されたのは、台所。
京都弁でいうおくどさんですね。
大きな竈が二つありましたが、現在は文化財の建物ゆえ使用していないとのこと。
さらに奥にも普段使い用にあったそうです。
見渡すと、襖紙や土壁が雅な雰囲気をかもし、さすがは公家の住まいだとおもいます。
シンプルなんだけど、奥ゆかしい粋な感じ。
まさに憧れの数奇屋建築でした。
今回は端午の節句にちなんだ飾りがされていて、ふるい武者人形や飾りは
現在と大きく異なるものでした。
裏手には蔵が二つ有り、この中に国宝の文庫が入っていると思うと不思議なくらいの大きさです。
冷泉家の敷地自体がもっと大きなものだと勝手に想像していましたが、庭も住まいもそんなに広大ではなかったです。
でも、歴史をつなぐことの大変さを感じる家でした。