月下の道標

光と闇が映し出す心象的夜の風景と日常的自然風景

24.09.23ride

2024-09-29 | Road Bike


8月の終わりに稲刈りされていた田んぼに再び稲が育っていました。
温暖化で2期作も可能だと聞いたことがあります。
南濃町も2期作を始めたのでしょうか。

3連休3日目、天候と気温はまずまずのスタート。
南濃町から養老町〜垂井町〜関ヶ原まで走りました。


緑の絨毯。





いつもの駒野の時計橋




津屋川の朝焼け



駒野の津屋川堤では彼岸花がところどころ咲いていましたが、
群生で有名な美濃津屋付近は全く咲いていませんでした。



養老鉄道
休日は始発からサイクルトレインを運行していますが、
横目に眺めながら垂井まで頑張って走ります。



南宮大社前で休憩です。



丸山烽火場を眺めながらコンビニで休憩します。
この辺りは小高い場所にあるので関ヶ原町だけでなく垂井町まで一望できると思います。



昔の人は視力が良かったと思うんで
これぐらいは見えていたでしょう。





表佐の街道にあった石道標。
「南宮道」割れていますが「垂井道」と彫られていると思います。



表佐を抜けて帰路につきました。
いい天気でした。

夏のあいだ頑張って走った甲斐あって75km走れました。
21日は65km、中1日空けて2日で140km。
体力つきました。

さて、関ヶ原ウォーランドです。






入場をためらってしまう武者の等身大ウェルカム人形。




製造23年前。思ったより新しい 笑




風鈴と和傘が展示されていました。



期間限定
騎馬武者と和傘と風鈴の微妙なコラボレーション。



風鈴が・・・












風鈴・・・













拡大してみると・・・


ユーモラス!










ゆいちゃんとゆかちゃんがボランティアで彩色。









大谷吉継の忠臣・湯浅五助の首















関ヶ原ウォーランドは私が生まれる前の1964年、
合戦で死んでいった人たちへの鎮魂と弔いのために開業しました。
広大な敷地内に武将、足軽、鉄砲隊など200体をこえる人形が戦いの場面を再現しています。
小早川秀秋の裏切りの場面、大谷吉継の切腹、徳川家康の首実検などの有名なエピソードや、東西両陣軍の配置や動向を忠実に再現しています。
人形はすべてコンクリート製で2m近くある大きなもので、隣に並ぶと怖さを感じるほどの威圧感があります。岐阜の人形作家・浅野祥雲が作ったものですが、制作から60年以上経過し保存状態が悪く、調べたところ何度もリペイントされているようでした。
リペイントは専門ではない一般の(子供から大人)ボランティアによるもので、少し前に話題になったスペインの教会の、オリジナルからかけ離れた「修復」で話題をさらったキリストのフレスコ画や、ショッキングピンクやペパーミントグリーンの着色で「修復」された木彫りの聖母子像のように、浅野祥雲作とは言い難いものになっています。

けれど、浅野祥雲はもともと芸術を学んだわけではなく独学で作品を制作した人です。素朴な作風が一般ボランティアによってさらに磨きがかかり美術作品というには程遠いけれどユニークな作品となって在り続け訪れる人を楽しませています。







書体がこわい・・・



















24.09.21ride

2024-09-27 | Road Bike


9月2回目の3連休、初日は寝坊して6時近くに出発。小雨がぱらついたものの終始曇り空で気温が上がらず養老垂井関ヶ原コース65km 走行できました。





折返し地点の古戦場決戦地で休憩。
宇垣一成揮毫の石柱だったと今日はじめて気づきました・・・。
ここまで走ってくるのに暑さで相当バテていたようです。

暑さがやわらぎ(といっても汗だくですが)
体力に余裕があったので関ヶ原ウォーランドに行ってみました。



開店前だったので特に撮るものもなくいつものルートに戻ります(笑)








普段走行しているルートは古墳が数多く点在していて、Googleマップで検索するとその多さに驚きます。

古墳が住宅に囲まれているため見ることができなかったり、古墳自体が共同墓地になっていて立ち入りが憚られるなど見学が難しいこともあります。



綾戸古墳
円墳と周濠で構成されています。周濠には明治中頃までは水が湛えられていたようです。
すぐ東には矢道長塚古墳(前方後円墳)があるので次回のライドに寄ってみたいと思います。



長畑古墳群のうちの一基。



鬼塚古墳
前方後円墳と記されていますが
写真左の私有地の薮の中に前方部があるのではないかと言われています。

古墳巡りは夏は草が生い茂って全容が掴めないので、草の茂っていない時期に見に行ったほうがよいかもしれません。
今回は古墳のある場所を確認しただけなので詳しいことはまた調べてみたいと思います。






街道から外れた業平川で立派な常夜燈を見つけました。
弘化3年(1846年)に建てられましたが昭和34年の伊勢湾台風で倒壊。
その後造り直されました。
河川の流路の変更や耕地の整備などで昔の水路は消滅していますが、
古い文献によると木曽川から墨俣を経由して揖斐川、相川、泥川まで上り表佐湊で陸揚げされたと記されています。
表佐湊の場所は特定されていませんが、業平川を南下した室原に泥川があるので、もしかするとこの場所も水運に利用され、表佐湊があったのかもしれません。







「がま(湧水)」古地図をみると垂井町や養老町に多く見られました。
河川や耕地の整備で今では3、4箇所しか残っていないそうです。
ライドをしながら探していましたが、どうりで見つからないはずです。
「がま」にはハリヨがたくさん泳いでいました。








24.09.16ride

2024-09-16 | Road Bike
3連休最終日、敬老の日。
大垣市内では敬老会が催されていますが、
招待状が来なかったので今日もチャリチャリ朝5時に出発です。

9月中頃になると夜が明けるのが遅くあたりは真っ暗。
堤防は野生動物(キツネとか)の飛び出しや、
虫が多く飛んでいて走るのが大変です。
夜が明けると暑いのでもう少し早く出発したいのですが。




養老町 大神宮石灯籠
先日多岐神社で灯籠が灯っていたのでもしやと思いましたが、
今でも常夜灯として道を照らしているようでした。






いつもの養老SAにて。
オシロイバナがわっさわっさ育っています。
丈夫そうだしタネができたら貰ってこうかなあ。





笹尾山にある旧小学校。
関ヶ原ではまだ29℃。
岩手の菩提寺まで走ります。





さるすべりがキレイでした。
少し涼しなったので花もいきいきしているようです。
耐寒性があるので関ヶ原のような寒冷地でも育つようですが
調べてみたら耐暑性も強いとのこと。
家の庭に・・・と思ったら、
樹皮がツルツルしているので猿でも滑るということで、
受験に失敗するとか運気が落ちるとか、
木肌がスベスベして人の生気を吸って成長するとかで縁起が悪いそうです。




伊富岐神社に到着。いい天気です。
緑鮮やかな田園を駆けぬけ垂井町岩手にある菩提寺に向かいます。




アートですなあ・・・




ゴールの菩提寺に到着です。
熊が出るそうなので休憩もそこそこに帰路に向かいます。





新しい石道標


相川






比女神社で小休憩。
すこし黄色くなった葉を見て秋を感じます。







10時半にもなると気温が31℃。
暑いですが真夏のヒリヒリするような照りつけはないです。





背丈以上にのびる杭瀬川堤防沿いのモロコシ。
堤防一帯モロコシに占拠されています・・・



セイバンかヒメか見分けが難しい。
見た目はさわやかですが、いちど生えたら根絶が難しい外来種。
在来種の生育を脅かしているそうです。
家、近所なんですけど・・・

今日は走行距離57km 2日合わせて97km。
まあまあ走れてよかったです。





















24.09.14ride

2024-09-15 | Road Bike

垂井町より北の山々を望む

3連休初日、午前中は晴れの予報
天気図を見ると三時間後には雨雲が南方より大垣上空を通過するようでした。
出かける頃には養老山地には湿度の高い雲が垂れこめ
夜が明けても雲が上がる様子はありませんでした。

雲重い・・・



朝6時ですが連休初日の養老SAは車がいっぱい




養老町にある多岐神社、灯籠が灯されているのを初めて見ました。



南宮大社によってしばし休憩します。
いつも着ているジャージが縮んできたので新品未使用1900円!のジャージをメルカリで購入しました。
価格も安いし色柄も派手すぎず良い感じですが生地がペラペラで・・・
ヘルメットにタイヤにチェーン交換と立て続けに出費したうえ、シューズの分割払いがまだ済んでおらず、贅沢ができないのでしょうがないとはいえ、いつまで着れるのだろうか・・・


雨雲がやってきそうなので帰路に着きます。
養老方面は厚い雲に覆われているのに・・・




垂井町はまだ快晴



左は養老山地 右は南宮山
天気がはっきりと分かれています。




伊吹や池田の山々は快晴なんですけどね・・・
走り足りないけれど洗車が面倒なので帰ります。


走行距離40km













24.09.08ride

2024-09-08 | Road Bike

久しぶりに養老垂井関ヶ原ライドしてきました。
坂道があって程々の負荷がかけられるので
体力造りがしたい私はこっちのコースが好きかも。
ほぼ平坦な南濃コースはのんびり走りたいときにいいかな。


のんびりいつもの養老SAで朝食。
今日はサンドイッチ。



朝5時に出発、昨日ほどではないですが、
朝はだいぶん涼しくなりました。
9時まではそれほど暑くなかったのですが、
10時くらいには温度が一気に上がりました。
まだまだ暑さが厳しいです。



垂井の南宮大社と朝倉運動公園を経由して
関ヶ原へ到着。朝から人や車が多く賑やかでした。
昨夜イベントがあったようでかたずけをしていました。




コスモスもそろそろ。



朝食したばかりですが
いつも家までもたないので関ヶ原でエネルギーチャージ。


最近、地元では米がどこへ行ってもなくて
市外まで買付けに行っています。
買い物だけで疲労困憊・・・
見たところ暑さや先日の台風の影響もなく収穫できそうなんですけど・・・。

いつもより重めのギヤで鍛えてきました。
今日は53km。















24.09.07ride

2024-09-07 | Road Bike




今日もチャリチャリ駒野まで行きました。
2週間ぶりのライドで少し疲れました。
少し運動していないとすぐ体力が落ちる。
年を重ねるとこうなっちゃうんだなあ。

天満神社の鳥居
社殿はこの先の街道を越えたところにあります。


養老線が参道を跨いでいます。


こちらも参道なのかな?地図上では春日神社がありました。

津屋川に流れる支流で砂防川のようですが
車が通った跡がありました。
MTBなら行きましたが・・・

前日の台風でなのか参道が荒れていて天満神社にはたどり着けませんでした。


養老ナシ
産地は岐阜・愛知・三重の三県のみの希少種
樹齢数百年といわれた養老ナシから遺伝子を保存し育成された子孫。
残念ながら親株は台風によって枯死したそうです。


今日は45km。
明日も走ろう。










24.08.31台風10号

2024-09-01 | Daily life





写真は岐阜県と滋賀県境にある伊吹山地を水源とする相川。
垂井町南部の山を水源とする泥川と垂井町北部の山を水源とする大谷川が合流した地点で撮影。
長引く大雨で水位が危険水位近くに達している。
相川、泥川、大谷川、いずれの川も過去には何度も流路を変えた暴れ川の異名をもつ。
急峻な山麓から一気に平野へ流れこむため、
普段は水量が少ないがひとたび大雨になると激流となり、流域に被害を及ぼしている。
これらが南流して杭瀬川と合流するため杭瀬川も一気に増水する。




8月31日の河川の状況
※Yahooより転載












自宅近くを流れる杭瀬川の河川敷にある杭瀬川スポーツ公園
31日大雨がおさまった直後と明日後。
橋は高架になっているが、ここまで水かさが増すと天井川になる。
グラウンドは水の中。






















普段はスポーツ公園として市民に開放しているが、
大雨で川嵩が増すと遊水池となる。












































大垣市街地の水門川


九州から一週間かけて上陸した台風10号
長く続いた雨は31日に線状降水帯になり、市内を流れる杭瀬川上流域が氾濫し揖斐郡池田町と赤坂町が浸水。
水門川も市役所付近は免れたが所々溢れた場所があったようだ。
市街地の方が排水が悪いのか道路の冠水を多く見聞きした。







自宅側道を流れる水路もあと30分も雨が続けば冠水するところだった。
雨が止むとすぐに水は引いたが、近所では出水したところもあった。
報道はされていないが、道路の冠水、建物の浸水被害は市内全域、垂井町や養老町など西濃各地の至る所に及んでいた。

もともと大垣市は地下水が豊富で水とともに発展してきた地域だが洪水常襲地域でもある。
今では河川の氾濫は少なくなったが、外水氾濫だけでなく内水氾濫による浸水被害も被ってきている。



大垣城の石垣には過去に起きた洪水の水位が示されている。


他所から嫁いできた私は大雨になると不安で事の顛末をあれこれ調べているが、
古くから住む人はどこの町に水が溜まるかよく知っている。

大垣市は水に関係する地名が多く残っていて、「大垣」の名は洪水から家屋や集落を守るために築いた大きな垣から付けられているそうだ。




特に水の浸かる地域の民家では見上げるほど高く築いた石垣を見ることができる。
自宅がある青柳町は今回氾濫した杭瀬川の堤防を補強した柳の木からつけられている。
浸水する土地の微高地や川の氾濫で流れた土砂が溜まってできた土地をさす「島」のつく地名も多く、
湿地帯のなかに多くの島が浮かんでいるように見えたという八島町は今回の大雨で冠水した。
今でも洪水常襲地域である荒川町は近くの川の流れが早くよく氾濫するのでその名がつけられている。
地名はその土地の歴史の背景を表すというが、今回の水害もやはりその名が示していた場所で発生している。





台風が去ったあと久しぶりに見た夕焼け。