月下の道標

光と闇が映し出す心象的夜の風景と日常的自然風景

24.10.26ride

2024-10-28 | Road Bike
 
 
朝6時10分に出発。
養老〜駒野〜垂井〜関ヶ原間走行距離80km
14時頃帰宅しましたが終始曇天。
少し肌寒い日でしたが走るとちょうどいい気温で、風もなく走りやすい日でした。
 
 
 
 
柿があちこちの庭で色づいていました。
 
 
 
セイタカアワダチソウもあちこちで見頃でした。
日本の生態系を脅かす外来種として指定されており、厄介な雑草として知られていますが、薬草としての効能もあるようで入浴剤として利用されています。
 
 
 
 
 
津屋で見た屋敷林。
南濃町のあたりは屋敷林を形成した家が多いです。
富山県の砺波平野の屋敷林は有名ですが、こちらでも立派な屋敷林を見かけます。
(そろそろ砺波平野の記事もアップしないと・・・)
 
 
 
駒野の時計橋。7時10分着で車も人も多くなる時間になります。
もう少し早い時間に出発した方がいいのだけれど夜明け前は寒いし、かといって厚着すると昼はまだ暑いしウェア選びが難しい。
 
 
 
思わず声をあげて急ブレーキをかけた志津の大神宮常夜灯。
いつも通る道を変更して見つけました。
この辺りは自然石でつくられた大型の灯籠が多く見入ってしまいます。
 
 
 
いつもの関ヶ原古戦場決戦地
 
 
 
 
古戦場記念館で休憩しました。
抹茶のアイスモナカ
 
 
 
のどかな風景を楽しみます。
 
 
 
 
伊富岐神社にて。
 
 
 
 
 
 
帰宅してシャワーを浴びる前に一気に食べました。
(庭で食べるの最近気に入っています 笑)
朝からおにぎり2個とアイスモナカ1個(合計約600kcal)ではもちませんでした。
60kmぐらいならこれで充分でしたが、80kmとなるともう少し食べた方が良さそうです。
 
 
 
 
 
我が家のヤマボウシ。
毎年夏の暑さで葉が赤くなる前に枯れてしまい9月には完全に葉を落としていましたが、今日まで赤く色づいてくれました。
植えて10年、環境に慣れてきたのであればうれしいですが、猛暑日が10月まで続いたとはいえ、雨の日も多かったし急に冷え込んだからかもしれません。
 
 
 
我が家のミズキ科の落葉樹はうまく育たず、こちらのヤマボウシは支柱よりも高い木だったのですが植栽後3年で枝枯れしてしまい、枯れたまま放っておいたら2年ほど前に再生しました。
こちらも今年の猛暑を乗りきったので赤くなってくれるのが待ち遠しいです。
もう1本、ハナミズキがありますが、植栽して2年ほどは順調に育っていたのですが、今年の春に枝枯れしました。原因はわかりませんが再生してくれるのを待っています。
 
 
 
 
 
 
 
 

2024.10.20ride

2024-10-20 | Road Bike


連休中は青森に出かけていたので2週間ぶりのライドでした。
旅行の疲れが残っているのか少々疲れました。
朝6時、外に出ると夏用タイツでは肌寒く、冬用タイツに着替えて出発。
上半身は夏用ウェアにウィンドブレーカーでちょうど良く、昼近くになっても気温は20℃前後で終始上着を脱ぐことはありませんでした。
風もやや強かったので冬用タイツにして正解でした。
気温が下がるといよいよ伊吹おろしがはじまります。
しごきがはじまります 笑
明日は仕事なので60kmだけ走行してきました。



走っていると金木犀のいい香りがします。








今日はこちらの和菓子をいただきます。
草餅が名物のようですがバラ売りがなかったので最中を買いました。



「鈴もなか」




餡は小豆本来の甘みを抽出していて甘さ控えめで上品な味の最中でした。
2個くらいはパクパク食べれちゃうかも。
1個140円。







24.10.05ride

2024-10-06 | Road Bike

 
寝坊しましたが、南濃町方面は今し方まで雨が降っていたみたいで路面が少し濡れていました。寝坊してちょうど良かったです。
コースはいつもの南濃町〜養老町〜垂井町〜関ヶ原町。
前日にGoogle mapで予習しておいた関ヶ原町旧中山道不破関跡まで走ります。
 
 
 
 
五三川沿いの木は葉を落として季節の変化を見せてくれます。
朝は肌寒くてウインドブレーカーを羽織って走りました。
 
 
 
五三川沿いを彩る彼岸花を眺めながら走ります。
 
 
 
田んぼのあぜにもたくさん咲いています。
 
 
 
津屋川堤防駒野橋付近の彼岸花
 
 
駒野橋
いつもより1時間遅い7時に到着しました。
雨がぱらつきましたがすぐ止みました。
 
 
 
 
 
駒野町の旧街道を通ります。
古い建物が残っているうちに撮っておきます。
人が住まなくなるとあっというまに壊れてしまうんですよね・・・
 
 
 
 
工事は着々と進んでいるようです・・・
 
 
 
養老町に到着してもまだ曇天でした。
寒いぐらい涼しいですが風もやや強く風速4m。
距離伸ばせるかな・・・
養老SAでコーヒーブレイク1時間後晴れてきました。
 
 
 
伊吹山も雲がなくすっきり見えます。
 
 
 
南宮大社で休憩。
尾張屋支店、古い建物には違いないですが、看板に書かれた電話番号が2-2503!(現在は22-・・・・)
ここを通る時はいつも早朝開店前で気にしていなかったのですが、どうやら和菓子屋さんらしい。今度菓子を食べてみよう。
 
 
久しぶりに快晴の真禅院三重塔
 
 
 
不破高校心臓破りの坂 笑 を登り息も切れ切れですが、休憩もそこそこに(自撮りもそこそこに)関ヶ原へ向かいます。
 
 
 
 
 
朝倉運動公園ではイベントが開催していました。
「天下無双 東西最強痛車決戦」
始まったばかりで痛車はまだ集まっていませんでした。
地元の新聞にも掲載されるぐらい大きなイベントなので見たかったです。
 
 
 
宝蔵寺
 
 
笹尾山を抜けてウォーランドに到着しました。
宝蔵寺はウォーランド開園と同時に関ヶ原合戦での戦没者慰霊のために建てられました。傍には第二次世界大戦で亡くなった兵士の慰霊碑もあります。
 
観音像はおそらく浅野祥雲氏作。
 
 
 
 
 
 
 
ウォーランド沿いの道路で見つけました。
演出なのか・・・
 
 
 
 
 
火薬庫跡も天気が良い日はこわくない・・・かも。
 
 
余裕で記念写真 笑
(前回は写真撮ってとっとと退散しました)
 
 
 
 
ウォーランドから鍾乳洞までは曇天は薄気味悪いけれど晴れていれば快走ロード!
 
 
 
ここも晴れていれば・・・笑
今回はゴールが違うのでUターンします。
 
 
名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠跡地
終戦後、村に返還されました。
 
 
 
広域農道を通り松尾・藤下(とうげ)に向かいます。
この道も休日は車が少ないので南進(下り)であれば快走できます。
 
 
 
 
 
旧中山道に到着しました。
 
昔の道路形状がほぼ残っているようで、車の離合が厳しい狭い道です。
かなりの高低差もあり坂の途中で止まるとペダルのこぎ出しがキツイです。
 
 
 
 
 
彼岸花は見頃を過ぎていましたが、
視力の悪い私にはノープロブレムです 笑
 
 
 
戸佐々神社(不破関 西城門跡)
不破関を鎮護する神社
 
 
垂井・関ヶ原町の神社はお祭りの準備がされていました。
戸佐々神社前を通る旧中山道はとても狭く神社の20mほど崖下には藤古川が流れています。
不破関は関の三方を土塁で囲み、ここ西側は断崖にある藤古川の要害を利用し設置されていました。
 
 
 
 
 
 
 
藤古川
関所の傍を流れているので関の藤川と呼ばれていました。
壬申の乱では藤古川を挟んで開戦したと伝えられています。
 
 
 
 
不破関跡
壬申の乱で勝利した大海人皇子が要所としてここを不破関としました。
(東山道・美濃不破関。東海道・伊勢鈴鹿関、北陸道・越前愛発関とともに、古代律令制下の三関のひとつ)
こちらも急坂狭隘な場所にあります。
 
 
険しい地形を巧みに利用した関所。
現地に行くとこのあたりが軍事や交通の要衝だったことがよくわかります。
 
 
 
 
 
不破関 東城門跡
国道21号線にある松尾の信号を旧中山道へ入ったところにあります。
桓武天皇が関の停廃を命じる789年まで、関の東と西には城門が設置され厳重に守られていました。
 
 
 
 
福島正則陣跡
 
 
月見宮の大杉 樹齢800年!
 
 
 
 
松尾周辺はまだ古い風景が残っています。
 
 
 
 
関ヶ原古戦場開戦地
 
 
 
 
 
古戦場記念館で休憩します。
サイクルラックはMINOURA製でした。
 
 
 
垂井町北部の山々を望みます。
 
 
 
 
 
 
 
中山道垂井宿を通過して帰ります。
 
 
 
 
 
いつも通過する旧道沿いにある比女神社。
明日祭が開かれます。
 
 
 
 
 
垂井町旧道
 
 
 
見慣れた町の道路脇に彼岸花。
群生地まで見に行かなくてもたくさん見ることができました。
この日の走行距離は86km、6日は67km。2日間で153km。
1日の走行距離更新中です。
年内は80km前後を維持していきたいと思います。
 
 
帰宅後、恒例の自撮り
効果測定 笑
 
 
だいぶん締まってきたと思うのですが、お腹のお肉がなかなか減らない。
自転車ってお腹もシェイプアップできると思ったのですが・・・うむむ。
脚は筋肉がついて鍛えられていますがもう少し贅肉を減らして筋肉をつけたい。
ただ細いだけじゃ萎んだおばさんになってしまうので 笑
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

24.09.29ride

2024-10-05 | Road Bike
9月最終日曜日、南濃町から養老町~垂井町~関ヶ原町ルートを走ろうと思いましたが、
南濃町では到着する頃に降雨の予報が出ていたので、南濃町で走る予定だった20km分の距離を関ヶ原で延長して補うことにしました。


養老町牧田川
いつもは水が流れていますがこの日は全く流れていませんでした。
12時には大垣も降雨の予定なので養老SAや南宮大社での休憩もそこそこに関ヶ原に向かいました。



いつもの笹尾山とウォーランドを経由して、 玉の火薬庫がある地域に到着しました。


火薬庫営門跡
写真左側にも入り口に設置された門柱の一部(石造り)が残っています。
当時の地図を見ると道路に沿って関ヶ原鍾乳洞までトロッコ軌道が配置されていたようです。

大正3年(1914年)第一次世界大戦が始まった頃、国内の軍事力が強化されていき、
陸軍省は大正5年(1916年)、不破郡玉村(現関ヶ原町玉)に名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠を設置しました。
その敷地面積は270haにおよび火薬庫として国内随一を誇っていました。

火薬庫の建設地の条件として、
山に囲まれ警戒や取締りが容易なこと。
本州の中央に位置し交通機関の利用に利便が良いこと。(江勢鉄道 伊勢四日市〜近江木之本間関ヶ原駅経由の開通)
庫内地域が広く人家から離れ危害のおそれがないこと。
気温が比較的清涼なことなどが挙げられ建設候補地として玉村が選ばれました。
玉村での用地買収は難航したようで、村の面積のほとんどが利用価値の低い丘陵山地で、耕地の少ない玉村の村民にとって貴重な耕地を失うことになる火薬庫の建設は死活問題で、多くの村民が建設に反対していました。 

当時の国策に従わざるをえない社会情勢と軍の強硬によって火薬庫の建設が決定しましたが、終戦後、火薬庫は進駐軍によって閉鎖・解体され跡地は村に返還されました。
参照「平和の願い」玉区地域振興委員会





営門と立哨台







洗濯場跡
案内板立ってないので分かりにくいですが火薬庫の遺構です。





半洞窟火薬庫
営門の先には半洞窟火薬庫が残っています。連結棟で15棟ありました。
半洞窟火薬庫とは、倉庫の上に土を被せて樹木を植えて周囲の山と一体化し洞窟風にしたものをいいます。

終戦後、この棟は解体されず、昭和41年(1966年)にスケートセンターとして再開発され、食堂や休憩場、貸靴場として利用されていました。




関ヶ原鍾乳洞の入り口
戦時中、写真の鍾乳洞入り口までに煉瓦やコンクリートでつくられた地上火薬庫が28棟が配置されていましたが、終戦後、進駐軍によって解体されました。
地上火薬庫とは地上に倉庫をつくり周囲を土塁で囲んだものをいいます。
跡地にはメナードランドなどの娯楽施設が開設されたので(現在は廃園)、火薬庫の遺構を探すのは難しいかもしれません。





土塁と隧道跡でしょうか。
この道にもトロッコ軌道が通っていたようです。




立哨台の奥には洞窟火薬庫があります。









洞窟火薬庫





鍾乳洞のある一帯では写真のような洞窟火薬庫を見ることができます。
洞窟火薬庫とは山腹や丘陵を利用し横穴を掘って内部に倉庫をつくったものをいいます。


洞窟火薬庫内部の様子
内部奥の方でたくさんの虫の羽音が聞こえていたのと真っ暗で怖かったのでこれ以上は近づけませんでした。












鍾乳洞売店にはサイクルラックが設置されていました。


行動食
麺類以外は何もなかったのであずきモナカです。



鍾乳洞
鍾乳洞横には玉倉部神社があります。




石には日本武尊と彫られています。
火薬庫ができたときにその敷地内の守護神として建立したと伝えられています。
傍らには「玉倉部の清水」が流れています。
売店にあるそば屋の店主が、壬申の乱は皇位継承争いだけでなく地域の水をめぐった争いでもあると話してくれました。
地元でしか知られていない逸話もありそうなので、また調べてみたいと思います。



ネットに何やらたくさんくっついていました。



ヘビ・・・(つくりものだと思いますが)


道路脇にも何やらあります。




トラ!
壊されなきゃいいけどなあ。



垂井町内を通過して帰ります。



天気予報どうり、帰宅後30分で土砂降り。
走行距離67km。まずまず走れました。