おはようございます
仕事量が増えて疲れ果ててる私です
だるい
エーッと、さっきまでは、柿ピーぼりぼりかじりながらツイキャスの視聴をしておりました
時間があるので更新したいと思います
このごろ、やることなすこと飽きてきつつあるというのか、新鮮味を感じなくなってるので、ブログでブツブツやるのに、ストレス解放を求めようかなとw
そう言えば思い出したけど、昨日やったかな、大府の叔母さんが、家へ来ていた
父親にお菓子あげるみたいで、これは、お父さんの分やでなと言って、置いてた
ちづちゃんにたまに会っとんのかて聞かれたけど、正月から会ってない気がする
まあ、何ヶ月かに一回は様子伺いの電話はしてます
何事も思い通りにならないのが人生って言うけれど、人によって孤独なものと、そうでないものがいる
ひとりでいると孤独
ふたりでいると嫉妬
さんにんでいると疎外感
て、あるお店のトイレに昔、貼られてたけど、無い物ねだりが、人のサガ
人といると、一人の孤独が愛おしいのに、やっと一人になると喋る相手がほしくなるということの繰り返し
この孤独感とかいうのは、けっこう、人の行動に影響してるように思える
人は皆、孤独であるし、ひとり静かにしてる方がよいと釈迦は言ってるが、人に期待してしまう
阿部敏郎さんが、大空へって曲を歌ってたけど、あれって誰の曲なんだろう
心のドアに鍵をかけたのは一体いつのことだろう
鍵をかけたことさえ鍵のありかさえ忘れてしまった
って、なんか、言い当ててるよね現代社会の人間関係w
まあみんながみんな、そーなわけじゃないのはわかってる
鎌倉円覚寺の横田南嶺さんが、江戸時代の禅僧、盤珪さんの話をしてるのが、YouTubeにアップされてる
貪ったり、怒ったり、愚痴をこぼしたりしなかったら、仏なんです、だれもが
禅の話だと平常心是道っていうのもあるから、怒りや憎しみが無ければ、もう、なんかせんでも、仏なのかもしらんw
こういう美しい世界観の話を聞いてると、心が救われるような気分になれる
しかし、貪り、怒り、愚痴という三毒が、癖のようになってしもうてる僕なんかは、すぐに、ネガティブになってるから、ありのままと言っても、平常心というても、これが難しい話ではある
そう言えば、円覚寺の名前で思い浮かんだけど、悟りの話では、よく円が出てくる
大円鏡智とか、十牛図の円とか、普通に書で丸を書いたりとか、京都の寺の悟りの窓とか
ぼくは、自己に集中するグルジェフさんのテクニックをしていると、頭の後ろから視覚の世界が円の中にあるように見える
丁度、あの京都の寺の、悟りの窓とまったく同じように、円の中に風景があり、自分は真っ暗なところにいるように見えるのだ
これが、何なのか、まったく情報がないから、変になってるだけかもしれないが、なにしろ、この円を見ている感には、不思議な力があると思うている
ほなら、またです