超お久しぶりです。
先月は更新しないといけないなと漠然と思っていたのですが、バタバタしていたのとブログのやる気低下で出来ませんでした。
で、なぜ、いきなり今日、更新かと言いますとですね。
なんと明日から人生初の入院になってしまったからなのです。
とりあえずは4日間の検査入院ということでしたが、怖くて、不安で、しかたありませんw
それでいろいろ考えましたが、これぞ『生老病死』のリアルバージョンの苦であるわけですね。
しかし、それに対して、悟り何ぞと言い出したところで、この、目の前の痛みへの超絶恐怖は、どうしようもない。
あ、今のところ、体の痛みはありませんので、治療の時、痛くないかなあという超絶恐怖なのです!
だって今日の歯医者さんでさえ、めちゃめちゃ怖いんだもん。
それで、ですね。
こうまあ、今更ながらウォーキングとかしている時に考えました。
現実世界は、ここしかない。
つまり、よく言われる、いまここ、眼前、リアルなるここ、なのですが、それ以外に、何もないとはいっても因縁に触れて、いろいろな思いやら感情が湧いてくるのも、本当です。
それで、その、思考、感情、感覚、動作、性などの人間的機能が、世界とは分離せずに、世界の一断片として巻き起こっている。
ここが重要ポイントですよね。
道は道として今現れ、僕は僕として、今現れているかのように見えるが、しかし、刻一刻『諸行無常』である。
生まれる前は、僕はいなかったが、父母がおり、その因縁で、僕が生まれ、また僕の因縁で新しい命も生まれ、それが、人間だけではなく、空や、機械や、地球や、宇宙や、神々や、ありとあらゆるところの全体として、溶解しつつ、ひとつの、永遠の『何か』として、生きている。
それこそが、お前が俺で俺がお前ということになるでしょう!
つまり人間は意識が生まれる前は、何もなかったのかと言うとそうでもないはずです。
父親や母親が食べたものが、こう、いろんな『因縁』によって、精子や卵子となる生体上の変化や、人生の動きの中で、様々な因縁が結ばれて、この僕が生まれてきているわけですから、それらの、要素、つまり全体と言うのか、永遠と言うのか、つまり、この変幻無限の、活動、縁に触れて、すべてが変化していく、この永遠が、この場で、いまここで、いまこことして、ずっとあるのです。
死んで埋められたら土になり、そこには草でも生えるじゃろうと、これは、余語翠巌さんの本に、昔の僧が言った話として紹介されてましたが、その、まあ、今で言えば、焼かれて灰に成ったり、いろんな成分に分解されて、また、それは変化して、様々な生物や、土や、空に帰り、その、こころもまた、なんらかの因縁の『起こり』として、様々に変化していく。
そして、また新しい、生命が、常に、巻き起こっていく。
そう考えると、いま、この人間として、仮にでも、五蘊が形成されて、生かされている、この今、というのは奇跡ではないか(笑)
まあ、なんとなく、そんな気分です。
そういう意味での天地の風光が、自然に、ありのまま、数億光年、続いているのでありましょうか。
それでは!
またね♪
先月は更新しないといけないなと漠然と思っていたのですが、バタバタしていたのとブログのやる気低下で出来ませんでした。
で、なぜ、いきなり今日、更新かと言いますとですね。
なんと明日から人生初の入院になってしまったからなのです。
とりあえずは4日間の検査入院ということでしたが、怖くて、不安で、しかたありませんw
それでいろいろ考えましたが、これぞ『生老病死』のリアルバージョンの苦であるわけですね。
しかし、それに対して、悟り何ぞと言い出したところで、この、目の前の痛みへの超絶恐怖は、どうしようもない。
あ、今のところ、体の痛みはありませんので、治療の時、痛くないかなあという超絶恐怖なのです!
だって今日の歯医者さんでさえ、めちゃめちゃ怖いんだもん。
それで、ですね。
こうまあ、今更ながらウォーキングとかしている時に考えました。
現実世界は、ここしかない。
つまり、よく言われる、いまここ、眼前、リアルなるここ、なのですが、それ以外に、何もないとはいっても因縁に触れて、いろいろな思いやら感情が湧いてくるのも、本当です。
それで、その、思考、感情、感覚、動作、性などの人間的機能が、世界とは分離せずに、世界の一断片として巻き起こっている。
ここが重要ポイントですよね。
道は道として今現れ、僕は僕として、今現れているかのように見えるが、しかし、刻一刻『諸行無常』である。
生まれる前は、僕はいなかったが、父母がおり、その因縁で、僕が生まれ、また僕の因縁で新しい命も生まれ、それが、人間だけではなく、空や、機械や、地球や、宇宙や、神々や、ありとあらゆるところの全体として、溶解しつつ、ひとつの、永遠の『何か』として、生きている。
それこそが、お前が俺で俺がお前ということになるでしょう!
つまり人間は意識が生まれる前は、何もなかったのかと言うとそうでもないはずです。
父親や母親が食べたものが、こう、いろんな『因縁』によって、精子や卵子となる生体上の変化や、人生の動きの中で、様々な因縁が結ばれて、この僕が生まれてきているわけですから、それらの、要素、つまり全体と言うのか、永遠と言うのか、つまり、この変幻無限の、活動、縁に触れて、すべてが変化していく、この永遠が、この場で、いまここで、いまこことして、ずっとあるのです。
死んで埋められたら土になり、そこには草でも生えるじゃろうと、これは、余語翠巌さんの本に、昔の僧が言った話として紹介されてましたが、その、まあ、今で言えば、焼かれて灰に成ったり、いろんな成分に分解されて、また、それは変化して、様々な生物や、土や、空に帰り、その、こころもまた、なんらかの因縁の『起こり』として、様々に変化していく。
そして、また新しい、生命が、常に、巻き起こっていく。
そう考えると、いま、この人間として、仮にでも、五蘊が形成されて、生かされている、この今、というのは奇跡ではないか(笑)
まあ、なんとなく、そんな気分です。
そういう意味での天地の風光が、自然に、ありのまま、数億光年、続いているのでありましょうか。
それでは!
またね♪