豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

一期一会を生きている

2014-08-29 07:24:21 | 日記
・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。



おはようございます。

精神統一の火の中に諸々の悪業を消失させた清涼なる皆様!


本日は6時ごろまで寝ていました。

座禅1時間をして『バガヴァットギーター』の知識のヨーガの章を読む。

時間がないのであわててブログを書いています。


今日の座禅は凄まじく連想が渦巻いて、集中が途切れました。

昨日はとても深く入っていったので、その反動も大きくなるのだろうかと想像します。



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グルジェフさんだったか、キリストさんの例えで、きれいに掃除された家に悪魔が以前よりもたくさんの仲間を引き連れてやってきた話があったと思いますが、継続的に自己を沈黙の中に入れないと、すぐに、感覚の対象との接触に心奪われて、妄念と執着心が以前よりも酷くやってくるようです。


昨日はYくんが地底人伝説とUFOと中観についてのメールをくれました。

中々、おもしろいですね。

この世界には知らないことがたくさんありますが、常識というものは古い考えに縛り付けられています、このような状態から逸脱したいという願望が、様々な伝説に繋がっているのでしょう。

これは奇蹟を求めたウスペンスキーと同じとも言えます。

「この現実の薄い皮膜の向こうに事実が存在することは疑いないと思われた」とグルジェフさんと出会う前の思考を彼は表現していました。


様々な秘伝や伝説は、人間の真我への希求の表れではないでしょうか。

この法則のうちにある人々は自然なる活動の中で、神への道を歩んでいるわけですが、しかしながら、神は、この現実を食べて生きているわけです。

体験というものには計り知れない価値があり、こういう意味で欲望にも、もちろん価値があるわけですが、もしも神への合一という道を行くのであれば、感覚欲が弊害になるというわけですね。

だから生きる上において感覚と対象との接点に欲望を喚起するのは自然なことですし、また、神が実現した人が感覚と対象との接点に歓喜するのも自然なことなのです。

この不自然なる感覚の超克をしなければならないのは、真理を見出したいという願望が他の願望を凌いでしまった、絶望した人々です。

社会の可能性、世界の進歩に期待するのであれば、そうではないと考えます。


正に奇跡的な仮和合の世界で、終焉を知りつつも、花火としての一期一会を楽しもうというのは日本文化の伝統的価値観で、仏教の解脱の境地で生きる素晴らしい世界観です。

禅は、この一期一会の世界を知りつつ楽しんでいるのです。

無と有は渾然一体となって、執着心だけが、除かれているというわけだ。

まるでゲームを楽しむかのように、真剣に、また気軽に、生きていこう。

この人生は、目の前の真実は、神様からのプレゼントなのだ。


2度と再び送ることのできない、貴重で、神聖なる、人々のドラマを我々は身をもって体験しているのである。

苦から逃れたい人が、絶望した人が、道を歩み、真理を知ったら、再び社会の中で安楽に過ごすのである。


悟ったら酒も煙草もねーちゃんとのえっちも、みんなおっけーやでえwwww
BY『宇宙一いい加減な博士』(爆笑)

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