・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
おはようございます。
胸の奥底にある真摯なる心にあって、大安心の境地に達せられた皆様。
本日は、なんと2時半過ぎに目が覚めてしまいました。
時間に余裕があったので、のんびりと座禅1時間を済ませました。
そのあとでバガヴァットギーターのカルマヨガの章をウーロン茶と煙草、6Pチーズを食べながら読みました。
更にはブログめぐりですね。
阿部敏郎さんの『リーラ』をはじめ、いくつかのブログをほぼ毎日読んでいます。
色んな人の意見が読めるブログってホント素晴らしい!
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座禅で深く入っていくと、タイミングによってはストーンと心に落ちるときがきます。
今まで頭で考えていたゴチャゴチャした混乱から脱出して、透き通るような安心感に包まれています。
ヴァイブレーション(振動)が違うチャンネルに入ったかのようです。
ここにあるとき、何かを手に入れようとか、こうでなくてはとか、自分を変えなければ等々の努力がまったく必要ないと感じますね。
もう大空と魂のコンビネーションって最強じゃねえの?
と、いう感じで、ハートが全体に向かって完全開放されまくっています。
これは完全なる意図の放棄です。
例えば沈黙をキーンという音の中で感じている場合、それを追いかけようという意識が働いているのに対して、ハートが開いている場合は、静粛自体が、そこにあるので、無理に追いかける必要がないのですね。
己自身こそが沈黙であり、静粛になっているからです。
また追いかけていた開放感を手放すことにもなります。
開放感が、もう既に、ここにあるのだから、もう開放感を追いかけないのです。
心の奥にとてつもなく落ち着いた感覚があって、受け取る印象はまっさらな新鮮さがあって、大空から降り注ぐ優しい光が、全体を包み込んでいるようです。
求めていた安心は、ここにあったのだという感覚がします。
遂に見つけたぞー、という感じでしょうか(爆笑)
これが言語では描写不可能と言われる、真我の味わいではないのだろうかと想像しています。
大空とハートを繋ぎ渡す、この突き抜けた空気感。
そう!
世界の空気感はとてつもなく違い、情緒的で親密な状態になっている。
まるで親密さの温泉に浸っているような感覚である。
体も心もポカポカと火照っていて、それでいて清涼なのである。
この夢の世界を演じている我々は、常に『忘れ去られた私自身』に見守られているのだ。
魂の見る夢、その夢の世界にいる神々の戯れ。
大空とハートを繋いでいる、このヴァイブレーションの中に突入しよう!
きっと底知れぬ愛を感じることだろう。
これは私自身の魂(ハート)と宇宙を貫いた目覚めた真我と自我との融合なのである。
この融合があって初めて、自我は嘘と恐怖を手放すことができるのだ。
これがなければ絶対に無理なのです。
あなたは理知的な頭ではないし、体験の中心点である体でもない。
喜怒哀楽の感情でもないし、超越的自我意識でもない。
観照者でもないし、神でもないし、全体意識でもない。
この世界にある、認識できる、何一つとしてあなたではない。
結局、この世界を創造して、存在させているのは、あなた自身のハートなのだ。
この普遍的、夢の世界に充満している、光と生命は『あなた』という源から創造されて、維持され続けているのである。
この親しみのある、どこか懐かしい、大安心の根源であるハート。
この光と生命の源こそが、大いなる神であり、あなたの魂は、その一部なのだ。
そしてこの神の世界の光を世界で創り出しているのは実は、あなた自身なのだ。
悟った人は「私が消えて世界も消えた」と言う。
が、しかし、残ったものもある。
世界も私も消えたのに、残るものがあるのである。
それが、魂であり、親密なる空気であり、眠りの中の真の自己である。
朝、目が覚めても人類は眠っているのだ!
すやすやと眠りながら、魂の描く夢の世界を冒険しているのである。
だから別に目覚める必要も無いのだが、苦しみが大きくなったら、目覚めてみるのもいいかもしれない(爆笑)
ほんとうは真理も修行もいらないのだ。
必要なのは、この自覚だけである。
空の向こうに広がる意識は、夢の大本である魂が展開させている。
そして宇宙大に広がった意識と人間の魂が繋がったとき、魂は自らに気がつき、この魂が世界と繋がったときに、夢の向こうの自己(彼岸)を知るのである。
この魂の目覚めのことを指して、人類は覚醒をしたと言うのである。
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胸の奥底にある真摯なる心にあって、大安心の境地に達せられた皆様。
本日は、なんと2時半過ぎに目が覚めてしまいました。
時間に余裕があったので、のんびりと座禅1時間を済ませました。
そのあとでバガヴァットギーターのカルマヨガの章をウーロン茶と煙草、6Pチーズを食べながら読みました。
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今まで頭で考えていたゴチャゴチャした混乱から脱出して、透き通るような安心感に包まれています。
ヴァイブレーション(振動)が違うチャンネルに入ったかのようです。
ここにあるとき、何かを手に入れようとか、こうでなくてはとか、自分を変えなければ等々の努力がまったく必要ないと感じますね。
もう大空と魂のコンビネーションって最強じゃねえの?
と、いう感じで、ハートが全体に向かって完全開放されまくっています。
これは完全なる意図の放棄です。
例えば沈黙をキーンという音の中で感じている場合、それを追いかけようという意識が働いているのに対して、ハートが開いている場合は、静粛自体が、そこにあるので、無理に追いかける必要がないのですね。
己自身こそが沈黙であり、静粛になっているからです。
また追いかけていた開放感を手放すことにもなります。
開放感が、もう既に、ここにあるのだから、もう開放感を追いかけないのです。
心の奥にとてつもなく落ち着いた感覚があって、受け取る印象はまっさらな新鮮さがあって、大空から降り注ぐ優しい光が、全体を包み込んでいるようです。
求めていた安心は、ここにあったのだという感覚がします。
遂に見つけたぞー、という感じでしょうか(爆笑)
これが言語では描写不可能と言われる、真我の味わいではないのだろうかと想像しています。
大空とハートを繋ぎ渡す、この突き抜けた空気感。
そう!
世界の空気感はとてつもなく違い、情緒的で親密な状態になっている。
まるで親密さの温泉に浸っているような感覚である。
体も心もポカポカと火照っていて、それでいて清涼なのである。
この夢の世界を演じている我々は、常に『忘れ去られた私自身』に見守られているのだ。
魂の見る夢、その夢の世界にいる神々の戯れ。
大空とハートを繋いでいる、このヴァイブレーションの中に突入しよう!
きっと底知れぬ愛を感じることだろう。
これは私自身の魂(ハート)と宇宙を貫いた目覚めた真我と自我との融合なのである。
この融合があって初めて、自我は嘘と恐怖を手放すことができるのだ。
これがなければ絶対に無理なのです。
あなたは理知的な頭ではないし、体験の中心点である体でもない。
喜怒哀楽の感情でもないし、超越的自我意識でもない。
観照者でもないし、神でもないし、全体意識でもない。
この世界にある、認識できる、何一つとしてあなたではない。
結局、この世界を創造して、存在させているのは、あなた自身のハートなのだ。
この普遍的、夢の世界に充満している、光と生命は『あなた』という源から創造されて、維持され続けているのである。
この親しみのある、どこか懐かしい、大安心の根源であるハート。
この光と生命の源こそが、大いなる神であり、あなたの魂は、その一部なのだ。
そしてこの神の世界の光を世界で創り出しているのは実は、あなた自身なのだ。
悟った人は「私が消えて世界も消えた」と言う。
が、しかし、残ったものもある。
世界も私も消えたのに、残るものがあるのである。
それが、魂であり、親密なる空気であり、眠りの中の真の自己である。
朝、目が覚めても人類は眠っているのだ!
すやすやと眠りながら、魂の描く夢の世界を冒険しているのである。
だから別に目覚める必要も無いのだが、苦しみが大きくなったら、目覚めてみるのもいいかもしれない(爆笑)
ほんとうは真理も修行もいらないのだ。
必要なのは、この自覚だけである。
空の向こうに広がる意識は、夢の大本である魂が展開させている。
そして宇宙大に広がった意識と人間の魂が繋がったとき、魂は自らに気がつき、この魂が世界と繋がったときに、夢の向こうの自己(彼岸)を知るのである。
この魂の目覚めのことを指して、人類は覚醒をしたと言うのである。
ビールのつまみにしてますw