・妻の『ダラックマのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
ブログ読者に人気の記事
おはようございます。
今朝は5時45分ごろ起床しました。
昨夜コインランドリーに行く必要があったのだが、帰ってからビールを飲んでしまったので行けなかった。
早く起きようと思い、5時に目覚ましをセットしていたのだが、遅くなった。
いつものように洗面をします。
そのあとで座禅を15分しますが、相変わらずの、行ったり来たりですね。
慣れてくると気が緩んでくるのと、姿勢が楽になってくるので刺激が無くて、どうも考え事の世界へ行っている。
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座禅をしていてもコレだから、普段は、もっと気がついていないで、思念世界を泳ぎ渡っているのだろう。
そのあとでコーヒーを淹れて読書ですね。
ああ、読書はせずに、煙草を吸って、千鶴さんに洗濯物を車へ載せてもらう。
『しまじろう』の案内メールが、景品付で届いていたが、凹んでいて、治そうとしたら割れたと千鶴さんが、言っていた。
郵便局の人の扱いだろうなあ、たぶん、配達の人の入れ方だと思われる。
仕方ないけど、まあ、もう少し気遣いがあってもいいよね。
コンビニ横のコインランドリーで、服を入れてから、コンビニで『生にんにく』のチューブと煙草2箱を買う。
そのまま家へ戻って、車の中で読書です。
今日は極寒で、とても外で読む気になれなかった。
ニュースでは土曜日まで寒いと云ってますね。
家へ戻ってトースト二枚焼いてくれたのを食べてからブログ更新中です。
このところ、結構、色々と理解が進んできたのですが、これもやっぱり『できてない座禅』のお陰のような気がします。
連想器官の働きは、思考、感情、動作のどの中枢部にもあるらしく、それがないということは印象がないということなので、まあ、動いていない、つまり、生きていないことであるということが、グルジェフさんの本に書かれている。
つまり印象の感受と連想は常に働いているわけであるが、ここに欠けているのが、外的な考慮というものである。
これは内的考慮は内側で考えていることだが、常に、内向きに考えずに、いま、目の前の事実において連想を働かせていくということである。
過去と未来を基点に、内心だけで、考え事をしているのが、陰気が巡りだす原因なのだ。
これを現在を起点にして外側で、できることを考えていくのが『外的考慮』であり、それが、最近書いているように、今、何をしているのかと考えることである。
今、自分は何をしているのかと内省している人が、果たして何人いるだろうか。
今、していることではなく過去と未来に飛んでいる。
そうして、おいて、その脳内タイムの中で、考えているのだが、残念ながら、行為が起こるのは、現在以外に、ないのである。
過去にしても、未来にしても、現在の、行為が作り出すのだ。
そうであるならば、今、自分が何をしているのかということを確認しておくのは、とても、有意義なことなのである。
そして、そのしていることが、なぜしているのかと問うのである。
なぜ、いまここで、私は、これをしているのか。
では、そのなぜにとって、よりよい『やり方』はなんだろうか。
この『改善』の連想作用こそが、健全なる連想の展開ではないだろうか。
内面ではなく、外界において、心が機能することで陽気になれるのである。
太陽の下に出なければならない。
心の雲を掻い潜って、家から、外へ出るために、壁を乗り越えなくては成らない。
その壁、こそが『嘘』であり、壁を壊すのが『誠実さ』なのだ。
壁が壊れた時に、自由がある。
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おはようございます。
今朝は5時45分ごろ起床しました。
昨夜コインランドリーに行く必要があったのだが、帰ってからビールを飲んでしまったので行けなかった。
早く起きようと思い、5時に目覚ましをセットしていたのだが、遅くなった。
いつものように洗面をします。
そのあとで座禅を15分しますが、相変わらずの、行ったり来たりですね。
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座禅をしていてもコレだから、普段は、もっと気がついていないで、思念世界を泳ぎ渡っているのだろう。
そのあとでコーヒーを淹れて読書ですね。
ああ、読書はせずに、煙草を吸って、千鶴さんに洗濯物を車へ載せてもらう。
『しまじろう』の案内メールが、景品付で届いていたが、凹んでいて、治そうとしたら割れたと千鶴さんが、言っていた。
郵便局の人の扱いだろうなあ、たぶん、配達の人の入れ方だと思われる。
仕方ないけど、まあ、もう少し気遣いがあってもいいよね。
コンビニ横のコインランドリーで、服を入れてから、コンビニで『生にんにく』のチューブと煙草2箱を買う。
そのまま家へ戻って、車の中で読書です。
今日は極寒で、とても外で読む気になれなかった。
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連想器官の働きは、思考、感情、動作のどの中枢部にもあるらしく、それがないということは印象がないということなので、まあ、動いていない、つまり、生きていないことであるということが、グルジェフさんの本に書かれている。
つまり印象の感受と連想は常に働いているわけであるが、ここに欠けているのが、外的な考慮というものである。
これは内的考慮は内側で考えていることだが、常に、内向きに考えずに、いま、目の前の事実において連想を働かせていくということである。
過去と未来を基点に、内心だけで、考え事をしているのが、陰気が巡りだす原因なのだ。
これを現在を起点にして外側で、できることを考えていくのが『外的考慮』であり、それが、最近書いているように、今、何をしているのかと考えることである。
今、自分は何をしているのかと内省している人が、果たして何人いるだろうか。
今、していることではなく過去と未来に飛んでいる。
そうして、おいて、その脳内タイムの中で、考えているのだが、残念ながら、行為が起こるのは、現在以外に、ないのである。
過去にしても、未来にしても、現在の、行為が作り出すのだ。
そうであるならば、今、自分が何をしているのかということを確認しておくのは、とても、有意義なことなのである。
そして、そのしていることが、なぜしているのかと問うのである。
なぜ、いまここで、私は、これをしているのか。
では、そのなぜにとって、よりよい『やり方』はなんだろうか。
この『改善』の連想作用こそが、健全なる連想の展開ではないだろうか。
内面ではなく、外界において、心が機能することで陽気になれるのである。
太陽の下に出なければならない。
心の雲を掻い潜って、家から、外へ出るために、壁を乗り越えなくては成らない。
その壁、こそが『嘘』であり、壁を壊すのが『誠実さ』なのだ。
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