・妻の『ダラックマのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
ブログ読者に人気の記事
おはようございます。
今日は6時半ごろに起床しました豊田です。
起きてから、だるい体で、ぼうっとしながら洗面をします。
千鶴さんが「まったくー、まったくー」と連呼している。
そして横に来て、睨み付けたりしている。
背中を丸めながらwww
洗面を終えると座禅を15分ですね。
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どうも本を読んでいると、昔の禅寺では1日4回の座禅は、歯磨きみたいなもので、その他に、掃除とか、食事を作ったり、まあ歩いたり、いろいろと、仕事をしていたようですね。
つまり食事とか歯磨きみたな、習慣だったようです。
だから、座禅をして、なんか凄いみたい、なのは全くなかったらしいのです、笑
座っていると、だらだら思考が続く原因は、眠っているからだと気がつきました。
朝起きたばかりで、体も心も、リラックスしているとふーっと眠りに近い状態へ行ってしまっているんですね。
今日は意識していたら、少しましだった。
座禅を終えるとコーヒーを淹れて読書ですね。
読んでいると、二人連れのおばちゃんの声がしてきた。
散歩しながら、なんか、話しているのだろう。
それから、いつもより起きるのが、遅かったので、慌ててブログ更新をしている。
なんか、今、千鶴さんが横に来て『カラムーチョ』と『ポテチの海苔塩』を食べたと言って激烈切れている(爆笑)
「もう、今日、気分悪い」
これですよね、ほんとに、こういうのってある。
まあ、僕が、食べてしまったのが、いけないのだが、食べ物の恨みは怖いという言葉もあるし、人間、おもしろいなあ、ほんとに。
自分もね、腹が立ったら、そこで、もう、腹立てたらいいと思うようになりました。
でも、まあ、それを外面に出すのは、極力、控えなければいけない。
しかし、腹が立ったら、それは、それで、もう、仕方ないではないか。
その内、忘れてしまうんだけれども、まあ、哀れにでも思っておくのがいいと思われるのであります。
何かの本にも書いてありましたが、幼児が何をしても、だいたい怒らない。
大人がやると怒るのだが、よく見たら、それなんか幼児のようなものではないか。
それをワザワザ、自分が、そこに合わせに行く必要はないのだが、優しいものだから、人に合わせているのである。
こういうのも、内的考慮の一つでありますね。
自己を自己から分離しない限り、人間は、何も出来ないとはグルジェフさんの言葉だが、他者に対する配慮というのも、自己中心の配慮では意味が無いのである。
他人のすることに一々、反応している自分は、一体、なんなのか。
そうではなくて、自分ができることで、人を助けるというのは、相手の自主性を立てるということではないだろうか。
ここにある自分と他者は、本来は、ひとつなのである。
で、あるからして、自己に対する態度と他者に対する態度が、反転するようなことでは、うまくいかないのだ。
自分がしたことで、遺憾と思うなら、他者にも、そうなる。
自分の背中に実際に、他者がいるからである。
怒っている他者というのは、自分に怒っているのであるが、それに釣られてしまうのは、他者が、そこにいると思っているからだ。
実際には、他者がいるのは、自分の胸の内である。
なんか、纏まり無いけど、今日は、このへんで!
ごめんw
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おはようございます。
今日は6時半ごろに起床しました豊田です。
起きてから、だるい体で、ぼうっとしながら洗面をします。
千鶴さんが「まったくー、まったくー」と連呼している。
そして横に来て、睨み付けたりしている。
背中を丸めながらwww
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つまり食事とか歯磨きみたな、習慣だったようです。
だから、座禅をして、なんか凄いみたい、なのは全くなかったらしいのです、笑
座っていると、だらだら思考が続く原因は、眠っているからだと気がつきました。
朝起きたばかりで、体も心も、リラックスしているとふーっと眠りに近い状態へ行ってしまっているんですね。
今日は意識していたら、少しましだった。
座禅を終えるとコーヒーを淹れて読書ですね。
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散歩しながら、なんか、話しているのだろう。
それから、いつもより起きるのが、遅かったので、慌ててブログ更新をしている。
なんか、今、千鶴さんが横に来て『カラムーチョ』と『ポテチの海苔塩』を食べたと言って激烈切れている(爆笑)
「もう、今日、気分悪い」
これですよね、ほんとに、こういうのってある。
まあ、僕が、食べてしまったのが、いけないのだが、食べ物の恨みは怖いという言葉もあるし、人間、おもしろいなあ、ほんとに。
自分もね、腹が立ったら、そこで、もう、腹立てたらいいと思うようになりました。
でも、まあ、それを外面に出すのは、極力、控えなければいけない。
しかし、腹が立ったら、それは、それで、もう、仕方ないではないか。
その内、忘れてしまうんだけれども、まあ、哀れにでも思っておくのがいいと思われるのであります。
何かの本にも書いてありましたが、幼児が何をしても、だいたい怒らない。
大人がやると怒るのだが、よく見たら、それなんか幼児のようなものではないか。
それをワザワザ、自分が、そこに合わせに行く必要はないのだが、優しいものだから、人に合わせているのである。
こういうのも、内的考慮の一つでありますね。
自己を自己から分離しない限り、人間は、何も出来ないとはグルジェフさんの言葉だが、他者に対する配慮というのも、自己中心の配慮では意味が無いのである。
他人のすることに一々、反応している自分は、一体、なんなのか。
そうではなくて、自分ができることで、人を助けるというのは、相手の自主性を立てるということではないだろうか。
ここにある自分と他者は、本来は、ひとつなのである。
で、あるからして、自己に対する態度と他者に対する態度が、反転するようなことでは、うまくいかないのだ。
自分がしたことで、遺憾と思うなら、他者にも、そうなる。
自分の背中に実際に、他者がいるからである。
怒っている他者というのは、自分に怒っているのであるが、それに釣られてしまうのは、他者が、そこにいると思っているからだ。
実際には、他者がいるのは、自分の胸の内である。
なんか、纏まり無いけど、今日は、このへんで!
ごめんw
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