※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。
※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
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こんばんは!
世界中のドラマを生み出し続ける、皆様。
鬱病再燃中の豊田です。
なにやら昨日から、というか、一週間ほど前から、調子が良くありません。
無常観をやっているからだろうか。
どうも、これがいけないようです。
静粛なる場と人生の舞台は同居していますが、この静粛なる場に引っ込むと、非常に虚しい。
確かに、心の動きは、少なくなりますが、生き生きとした感覚もなくなります。
自己を忘れる練習をしていても、心は永遠になくなるわけがありませんので、また煩悩へ帰ります。
煩悩と仏性のバランスを取らないといけないのですが、問題は、煩悩の側にあるようだ。
完璧な人間はいませんから、誰でも、失敗をしてしまう。
この失敗が、心を占拠して、苦しみを生み出してしまうので、八正道の実践をしなくてはいけない。
正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定ですね。
これは、かなり以前にも、考えていたのですが、忘れてしまったのか、飽きたのか、やれなかっただけか。
苦があり、苦の生まれることがあり、苦の滅することがあり、苦を滅する道がある。
世間を離れたいと思い、善きことをして悪いことをやめる。
この善きことを増やして、悪しきことを減らすということが、難しい。
心の奥底から、変化していないと難しいのだ。
人間はひとりではない、とグルジェフさんが言ったのは、本当に名言だなあと思います。
思考、感情、身体の各中枢が、別々の欲求でもって動いているのだから、この、すべてが変化しないと、ショック(環境)によって支配されたロボットのような存在のままだ。
思っただけでは、何も変えられない。
知っただけでも、何も変えられない。
環境が、自然の縁起の法が、我々を支配しているのだから、このポイントを突かないといけない。
崩壊させなければ、絶対に、何一つ、為すことはできないのである。
仏性と我を同時に、うまく、生かす方法はないものだろうか。
抑圧は、単なる、一時凌ぎにしかならないのだから、何か方法があるに違いないのだが、難しい。
『三つ子の魂、百まで』の諺があるように、一度、形成された性格を、深い部分から変えることは、本当に難しい。
目の前の現実だけになることで、確かに、世界に忘我することができる。
これは一瞬の事だ。
それで、内面では識別作用が戻ってきて、あれこれ分別しているのだが、また、たまに一瞬、忘我すると、これを繰り返している。
のだが、あれこれやっている識別作用を、どのようにスルーしたものか。
思いと心の両方において、この、変化への挑戦をしているのは、とても表面的に感じてしまう。
この深層心理の変化がテーマだ。
心の底から、変容してしまわなければ、上っ面が変わったところで、意味がない。
深層心理については、精神科学、心理学等々の勉強をした方がいいのかもしれないと思えてきた。
僕は、自分がした決意を、覚えていることすらできない。
環境さえ揃えば、何かが、発現するような人間であり続けるならば、変化は不可能だ。
それでも真我の河は静かに流れている。
問題なのは、高次低次の中枢や、悟り意識や、真我実現ではなく、煩悩の側の、通常の意識の方だろう。
意識と言うより、性格、性質か。
この心の性質を、ガラクタが詰まりまくっている、心をどうしたものか。
ここで、ずっと止まったままだ。
今日は深層心理について、インターネットで、勉強してみようと思います。
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世界中のドラマを生み出し続ける、皆様。
鬱病再燃中の豊田です。
なにやら昨日から、というか、一週間ほど前から、調子が良くありません。
無常観をやっているからだろうか。
どうも、これがいけないようです。
静粛なる場と人生の舞台は同居していますが、この静粛なる場に引っ込むと、非常に虚しい。
確かに、心の動きは、少なくなりますが、生き生きとした感覚もなくなります。
自己を忘れる練習をしていても、心は永遠になくなるわけがありませんので、また煩悩へ帰ります。
煩悩と仏性のバランスを取らないといけないのですが、問題は、煩悩の側にあるようだ。
完璧な人間はいませんから、誰でも、失敗をしてしまう。
この失敗が、心を占拠して、苦しみを生み出してしまうので、八正道の実践をしなくてはいけない。
正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定ですね。
これは、かなり以前にも、考えていたのですが、忘れてしまったのか、飽きたのか、やれなかっただけか。
苦があり、苦の生まれることがあり、苦の滅することがあり、苦を滅する道がある。
世間を離れたいと思い、善きことをして悪いことをやめる。
この善きことを増やして、悪しきことを減らすということが、難しい。
心の奥底から、変化していないと難しいのだ。
人間はひとりではない、とグルジェフさんが言ったのは、本当に名言だなあと思います。
思考、感情、身体の各中枢が、別々の欲求でもって動いているのだから、この、すべてが変化しないと、ショック(環境)によって支配されたロボットのような存在のままだ。
思っただけでは、何も変えられない。
知っただけでも、何も変えられない。
環境が、自然の縁起の法が、我々を支配しているのだから、このポイントを突かないといけない。
崩壊させなければ、絶対に、何一つ、為すことはできないのである。
仏性と我を同時に、うまく、生かす方法はないものだろうか。
抑圧は、単なる、一時凌ぎにしかならないのだから、何か方法があるに違いないのだが、難しい。
『三つ子の魂、百まで』の諺があるように、一度、形成された性格を、深い部分から変えることは、本当に難しい。
目の前の現実だけになることで、確かに、世界に忘我することができる。
これは一瞬の事だ。
それで、内面では識別作用が戻ってきて、あれこれ分別しているのだが、また、たまに一瞬、忘我すると、これを繰り返している。
のだが、あれこれやっている識別作用を、どのようにスルーしたものか。
思いと心の両方において、この、変化への挑戦をしているのは、とても表面的に感じてしまう。
この深層心理の変化がテーマだ。
心の底から、変容してしまわなければ、上っ面が変わったところで、意味がない。
深層心理については、精神科学、心理学等々の勉強をした方がいいのかもしれないと思えてきた。
僕は、自分がした決意を、覚えていることすらできない。
環境さえ揃えば、何かが、発現するような人間であり続けるならば、変化は不可能だ。
それでも真我の河は静かに流れている。
問題なのは、高次低次の中枢や、悟り意識や、真我実現ではなく、煩悩の側の、通常の意識の方だろう。
意識と言うより、性格、性質か。
この心の性質を、ガラクタが詰まりまくっている、心をどうしたものか。
ここで、ずっと止まったままだ。
今日は深層心理について、インターネットで、勉強してみようと思います。
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