豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

心の底から

2014-06-01 19:43:13 | 日記
※妻の『ダラックマのブログ』も一緒にお読みください。

※豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。



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こんばんは!

世界中のドラマを生み出し続ける、皆様。


鬱病再燃中の豊田です。


なにやら昨日から、というか、一週間ほど前から、調子が良くありません。

無常観をやっているからだろうか。

どうも、これがいけないようです。

静粛なる場と人生の舞台は同居していますが、この静粛なる場に引っ込むと、非常に虚しい。

確かに、心の動きは、少なくなりますが、生き生きとした感覚もなくなります。

自己を忘れる練習をしていても、心は永遠になくなるわけがありませんので、また煩悩へ帰ります。

煩悩と仏性のバランスを取らないといけないのですが、問題は、煩悩の側にあるようだ。


完璧な人間はいませんから、誰でも、失敗をしてしまう。

この失敗が、心を占拠して、苦しみを生み出してしまうので、八正道の実践をしなくてはいけない。

正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定ですね。

これは、かなり以前にも、考えていたのですが、忘れてしまったのか、飽きたのか、やれなかっただけか。


苦があり、苦の生まれることがあり、苦の滅することがあり、苦を滅する道がある。

世間を離れたいと思い、善きことをして悪いことをやめる。

この善きことを増やして、悪しきことを減らすということが、難しい。

心の奥底から、変化していないと難しいのだ。

人間はひとりではない、とグルジェフさんが言ったのは、本当に名言だなあと思います。


思考、感情、身体の各中枢が、別々の欲求でもって動いているのだから、この、すべてが変化しないと、ショック(環境)によって支配されたロボットのような存在のままだ。

思っただけでは、何も変えられない。

知っただけでも、何も変えられない。

環境が、自然の縁起の法が、我々を支配しているのだから、このポイントを突かないといけない。

崩壊させなければ、絶対に、何一つ、為すことはできないのである。


仏性と我を同時に、うまく、生かす方法はないものだろうか。

抑圧は、単なる、一時凌ぎにしかならないのだから、何か方法があるに違いないのだが、難しい。

『三つ子の魂、百まで』の諺があるように、一度、形成された性格を、深い部分から変えることは、本当に難しい。


目の前の現実だけになることで、確かに、世界に忘我することができる。

これは一瞬の事だ。

それで、内面では識別作用が戻ってきて、あれこれ分別しているのだが、また、たまに一瞬、忘我すると、これを繰り返している。

のだが、あれこれやっている識別作用を、どのようにスルーしたものか。

思いと心の両方において、この、変化への挑戦をしているのは、とても表面的に感じてしまう。


この深層心理の変化がテーマだ。

心の底から、変容してしまわなければ、上っ面が変わったところで、意味がない。

深層心理については、精神科学、心理学等々の勉強をした方がいいのかもしれないと思えてきた。

僕は、自分がした決意を、覚えていることすらできない。

環境さえ揃えば、何かが、発現するような人間であり続けるならば、変化は不可能だ。


それでも真我の河は静かに流れている。

問題なのは、高次低次の中枢や、悟り意識や、真我実現ではなく、煩悩の側の、通常の意識の方だろう。

意識と言うより、性格、性質か。

この心の性質を、ガラクタが詰まりまくっている、心をどうしたものか。

ここで、ずっと止まったままだ。


今日は深層心理について、インターネットで、勉強してみようと思います。




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