138『岡山の今昔』2000~2010年代の岡山
続いて取り上げるのは、2000~2010年代の「岡山都市圏」の暮らし向きなのだが、前提としての20
世紀末までの産業構造とは、かなり異なっていく。すなわち、全産業にわたりそれなりの知識集約化、そしてサービス業へのウエイト増加が一段と進んでいく。
今回も、それと相俟っての人口動態に少し触れておこう。具体的には、同都市圏の出生数(5年間)は、2000~2005年の56千人が2005~2010年には51千人に激減しているではないか(「国政調査」)。
また、これとの関連での就業の状況は、2000年での全体数567.2千人のうち、第一次産業が6.4%の36.3万人、第二次産業が29.5%の167.2千人であるのに対し、第三次産業は64.1%の363.7千人とされる。それが2005年の就業総数553.7千人のうち、第一次産業は6.3%の35.0万人に、第二次産業が26.7%の148.0千人なのに対し、第三次産業は66.9%、370.7千人となっており、農業などとともに、製造業もウエイト及び就業者数を減らしている。
さらに2010年になると、就業総数519.6千人のうち、第一次産業は5.06%の25.8万人に激減、第二次産業については25.2%の131.0千人と引き続き低落したのに比べ、第三次産業は69.8%、362.7千人とほぼ横ばいであり、農業などとともに、製造業のウエイト及び就業者数の低下が続いている。
さらに2010年になると、就業総数519.6千人のうち、第一次産業は5.06%の25.8万人に激減、第二次産業については25.2%の131.0千人と引き続き低落したのに比べ、第三次産業は69.8%、362.7千人とほぼ横ばいであり、農業などとともに、製造業のウエイト及び就業者数の低下が続いている。
かくて、これだけの状況を1980年と2010年とで俯瞰的してみると、かかる30年の間に全体の就業者数は2.9%だけ減少したことになっている。次いでその中身でいうと、第一次産業の就業者数は62.7%、第二次産業のそれは25.2%に減った。それらに対し、第三次産業の就業者数は24.9%の上昇をしめしているのである。
(続く)
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(続く)
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