257『岡山の今昔』日本原高原と自衛隊駐屯地(その経緯と現状)
さて、周知の事柄とは思われるが、黒ぼこりする土で知られる日本原高原には、中・四国最大規模の陸上自衛隊日本原演習場(約1450ヘクタールともいう)がある。これに関連して、奈義町(勝田郡)内には、その管理地域として、火力戦闘を担う特科隊、戦車中隊などが置かれた陸自日本原駐屯地がある。
この沿革については、既に明治40年代、一帯の山野は旧陸軍の演習場となる。とはいえ、大規模ではなく演習場扱いのため、岡山市などに駐屯していた陸軍部隊が岡山県での中心部隊であったろう。
やがて迎えた敗戦により、演習場は連合軍に接収された。1957年に日本に返還され、その後、陸自の演習場となる。戦後の軍隊に、地元では反対の声も強く、抗議活動が激しく展開された。一方で町は陸自を誘致し、1965年に駐屯地ができる。
演習場の中にある許可耕作地については、里山だった経緯から、田畑の耕作、薪の採取、家畜のエサの草刈りなどは農家の権利として認められていて、今日まで平穏な暮らしを守るため、自衛隊と向き合う運動が続く。
その一例では、1970年(昭和45年)、着弾地付近に演習反対を訴える住民らがいるなかで、陸自は実弾3発を発射した。国会でも問題視され、当時の中曽根康弘防衛庁長官は、「慎重の上にも慎重を期すように今後戒める」と答弁する。
翌1971年(昭和46年)には、実弾射撃訓練の差し止めを求めて内藤さんら地元農民が提訴したが、1987年(昭和60年)に最高裁で敗訴する。また、1976(昭和51年)には、演習場への立ち入りを巡って、農民を含む基地反側と自衛隊とで紛糾する。
この出来事については、その後、政治的な対立ともなり、1985年(昭和60年)7月に、同時の中曽根首相が坂田衆議院議長に提出した「衆議院議員矢山有作君提出自衛官によって写真撮影を妨害された事件に関する質問に対する答弁書」には、「防衛庁では、各部隊等に対して、駐屯地等の施設等に対する部外者による外部からの写真撮影を禁ずる措置を採るよう指導を行ったことはない」とのこと。また、各部隊等が、外部からの写真撮影を禁ずる旨の掲示を行い、また、「これらの掲示がない場合において写真撮影を差し控えるよう申し出ることがある」。
しかしながら、「いずれも当該駐屯地等の施設等の写真撮影を差し控えるよう期待して行われるものであり、強制的なものとは考えていない。防衛庁としては、各部隊等に対して写真撮影を行わないよう強制することはできない旨適宜指導している」というのが、政府の見解そして態度となっている。
なお、この問題については、2021年6月に自民、公明、日本維新の会、国民民主各党の賛成で土地規制法が国会において可決、成立しており、自衛隊基地や原子力発電所など安全保障上の重要な施設周辺の土地利用を国が規制し、私権を制限することができるものとなっている。
また、21世紀になっては、こんな出来事も報道されている。
「陸上自衛隊日本原演習場(岡山県奈義町、津山市)で行われていた日米共同訓練は4日、3日間の日程を終えた。
13日まで国分台(坂出、高松市)など5カ所の演習場・駐屯地で展開する訓練の一環。中国四国防衛局などによると、日本側と米海兵隊の各約10人と訓練の警備要員を含む計約70人が午前7時ごろから9時半ごろにかけ、自衛隊車両など12台に分乗して饗庭野(あいばの)演習場(滋賀県)に向けて出発した。
日本原演習場では3日に射撃訓練を実施。奈義町、津山市によると、期間中に住民からの苦情などは寄せられなかったという。
同演習場での共同訓練は2006、07、10年に続き4回目。15年は台風の影響で中止していた。来年3月には米軍単独訓練が予定されている。」(2019年12月04日 、山陽新聞デジタル)
ここに展開するのは、「創設は1965年。中部方面隊のうち、中国5県を担当する第13旅団に所属する。火力戦闘を担う特科隊、対空戦闘の高射特科中隊、戦車中隊、後方支援隊などが置かれている。奈義町と津山市にまたがる演習場(約14.5平方キロ)は中四国地方で最大規模(「陸上自衛隊日本原駐屯地」、2015年9月18日付け朝日新聞での説明から引用)。
もう一つ、今度は米海兵隊がこの演習場を使って訓練をしたという、そのことを地元紙が、こう伝える。
「陸上自衛隊日本原演習場(岡山県奈義町、津山市)で単独訓練を行っていた米軍岩国基地(山口県岩国市)所属の海兵隊は28日、14日間の日程を終えて撤収した。
海兵隊の後方支援部隊が15日に到着し、ヘリコプターの離着陸帯(ヘリパッド)敷設や射撃、重機操作訓練などを実施。23日は実際にヘリコプターが飛来して着陸・給油訓練も行った。大きなトラブルはなかった。
同演習場での単独訓練は2018年10月、20年3月に続いて3回目。」(2021年3月28日付け山陽新聞電子版)
一方、自衛隊をこの地に受け入れている町当局には、「自衛隊との共存共栄のまち奈義町」という、すなわち基地反対側とは別の立場があるという。こうなるのは、自衛隊があることで交付金などが入り、周辺の水路整備などにも補助が出るばかりか、現在650人ほどの隊員がもたらす経済効果は、人口減が進む町にとって相当大きいという。🔺🔺🔺 ちなみに、あと少し述べておくべきだろう。それというのは、およそを振り返ってみれば、憲法の施行から約3年後の1950年(昭和25年)6月には、朝鮮戦争が勃発する。当時の連合国軍最高司令官マッカーサーは吉田茂首相に警察予備隊の創設を指示。保安隊への改組を経て、自衛隊が1954年7月に発足する。 それからもも、政府は「自衛のための実力は、憲法が保持を禁ずる戦力ではない」との見解を継承することから、さらに自らの憲法解釈を拡大、さらに1992年には国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させ、安保法を強行成立させたことにより、密接な関係のある他国が武力攻撃を受けた際、政府が日本の存立を脅かす明白な危険がある事態と認定すれば、海外での自衛隊の武力行使が可能となる。 一方、この国の司法は、高度に政治的な問題は判断しないという「統治行為論」に立脚して現実から目をそむけ、政府のやり方に事実上の免罪符を与え続けていると考えるのだが、いかがであろうか。
しかして、自衛隊、また安保条約に基づく米軍の日本原での訓練などは、それらは、いうまでもなく武力を持った軍隊にほかならず、その武力のありようによっては、日本国民をも傷つけるものであることを、忘れてはなるまい。
🔺🔺🔺 このように、憲法第9条の解釈をめぐっては、21世紀に入ってから、いわゆる護憲側が、かなり押し込まれてきているようである、その一例としては、政権側が、自衛隊が違憲だという憲法学者はいまや「2割「という言葉を発したり、先頃国民投票法の改正が通ったり、何かと慌ただしいことがある。 ちなみに、憲法学者のうち、21世紀に入ってからの、ある概説をひもといてみると、「これまでの政府の考え方としては、自衛戦争肯定説が採用されている。憲法研究者の間では否定説が多い」(臼井雅子(うすいまさこ)「日本国憲法への招待」改訂版、同友会、2012)とされており、政権側と逆の見方であるのは、興味深い。 それはさておき、自衛戦争否定説の方のうちには、9条1項では侵略戦争戦争のみ放棄していて、しかし、第2項で戦力と交戦権を放棄しているため、結局すべての、戦争を放棄しているのだという見解をも含む。 ところが、である。今日ある自衛隊の現状を「軍隊である」というのは、どちらの陣営もほぼ変わらない。その訳は、戦後のある時期から、この両方の見解は絶え間なく論争を続けてきた。だが、その間にも、自衛隊はますます大所帯になりゆき、軍備も大規模かつ精鋭なものとなってきている。そうして、いまや世界で名だたる軍事大国となっている。
併せて、21世紀に入ってからの政権側は、2015年9月には安保関連法(戦争法)を、2017年6月には共謀罪法(2017年6月15日、いわゆる共謀罪の創設を含む改正組織的犯罪処罰法として、第193回通常国会で成立し、同年7月11日に施行)を、国会の数の力で強行した。
そうなると、かかる憲法解釈論争はますます込み入ったものとなっていかざるを得ない訳であり、事実、国民目線からは辟易しかねないほどのつばぜり合いさえ演じることにもなってきているのではないだろうか。 これには、かねてからの護憲勢力としてあった社会党の凋落もかなり影響していよう。この政党は、村山連立内閣のおり、憲法解釈をがらりと自衛隊合憲へと変えてしまった。その少し前からは、「違憲・合法」など、訳のわからぬ日本語を使うようになっていた。 とはいえ、過去を色々とひもとくばかりでは、この国の現在そして未来に資する何ものも生まれることはあるまい、そこで何かしら、新たな視点を持ち込んで、この歴史を踏まえた現状認識の隘路(あいろ)からの脱出を、試みるべきだろう。 そのおりには、やはりこの憲法に立ち返って、こんにちただいまの現状、そして未来がこの条項の改変を要求しているのか、していないのかを比較検討し、国民たるもの、おおいなる関心をもって、あらゆるタブーを恐れずに、語ろうと努力することでなければなるまい。 なおさら、あえて憲法9条を護ろうというなら、その時しのぎの話ではなくて、この自衛隊をどのようにして縮小なり変革なりしていくのがよいか、深く考えねばならぬ。非武装精神を貫きたいのなら、この国はこの先何をどうしてゆかねばならないかを、先伸ばしにしないことだろう。 そもそも、社会での人間の営為(えいい)というものは、一方の側からして、それは「間違いだから」といって簡単に覆せるものではあるまい。なおかつ、ほとんど誰もが認めぜるを得ないように、この問題では、国論は大きく二つに別れていて、取り扱いようによっては、どちら側に傾くにせよ、国民の間に深いしこりなり、分裂なりを惹起するものとなりやすい。 そうであるなら、双方にとって、自らの正しいと考える方向に改めるには数十年、百年、あるいはそれ以上を要することもありえよう。とりわけ、この問題は、自衛隊や、そこで働いている私たちの同胞とその家族の運命にも死活的に関わってくる。それだからして、彼らの仕事や生活がこれからも成り立つように、取り計らわれなければなるまい。
(続く)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆