福田史郎(1927~2017)は、玉野市の生まれ。その海岸から3キロメートルばかり離れたところにある、直島(現在は香川県、かつて近隣の島から堀りだされる銅鉱石の製錬所があった)に、鉱山技師の父親、勘四郎の職場があったという。やがて、家族とともに津山に移り、多感な少年時代を過ごす。
『風の又三郎』(宮沢賢治)のなかに、次のような一節がある。「九月一日の朝でした。『ほう、おら一等だぞ。一賞だぞ。』とかわるがわる叫びながら大悦びで門を入って来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合せてぶるぶるふるえました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔もしらないおかしな髪の子供がひとり一番前の机にちゃんと座っているのです。そしてその机といったら、まったくこの泣いた子の自分の机だったのです。」
かつては『風の又三郎』であったものが、今日では「いじめ現象」として現れてくるのは、教室で子どもたちがある対象に対してなんらかの違和意識を抱いたとき、それが「不思議」や「おそれ」として体験されえず、端的に「違和」(異物)としてしか体験されない傾向が大きくなったためではなかろうか。
そのため、今日の「いじめ現象」は、たんに支配や攻撃ではなく、「(異物)の排除」という構造を大きな特徴としてもつ。「排除」は出口なしの体験である。今の「いじめ」がときに、子どもを死にまで追いやるのはこのためにちがいない。」(福田史郎(美作部落研副会長)「事例に思う、青少年問題の背景と課題」、「問題調査、研究」1995年2月号)
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また、学校という空間との関わりで、こうも言われる。
「学校は集団や組織として必要な要素があると同時に、その学校に人間としてどうしても必要な要素がある。学校に対する「私事化」の動向が強くなる中で、子どもたちが納得して我慢したり耐えたりするに足る何かを子どもたちに示すこと、そのためには、プライベート・スペースの拡大不可視空間の拡大と、それによる学校という集団・組織が子どもたちに期待し要請する課題遂行機能(全体化機能)からの離脱の保証が必要である。但し、離脱というのは逸脱ではない。(中略)
いま一つ子どもたちの参加空間が大切なのではないか。日本では社会に開かれた「私」と「私」が共同の生活を営むという公共性の概念が育たないままきているために、他の文明諸国に比べて、公共性や共同性への関心が低い。その結果、どうしても参加空間が形骸化してしまう。学校では学級集団や学校社会といった共同性の場が崩壊している。「いじめ」の現場における「傍観者」の存在が、もっと象徴的にそれを示している。
個性的なあり方と社会的なあり方とが切磋琢磨できる場としての参加空間があれば、その中で開かれた個が育っていく。いじめの問題においても、不登校の問題においても、さけることのできない問題提起、それが「共同性に開かれた個我を育てること」であろう。これは、あまりにも公共性・共同性を無視した個我のあり方がすすみ過ぎる日本社会の課題でもある。」(福田史郎(美作部落研究所副会長)「事例に思う、青少年問題の背景と課題」、問題研究所「問題」1994年10月号、No.112に所収のものから引用)