かつて2007年にペルーの古都クスコでは考古学博物館で子供のミイラを見た。その時は単に早くして亡くなった子供を大切に供養するためかと考えていた。しかしその理由もあるだろうが子供を神への生贄にしたとの理由が本当らしい。
今回発見されたミイラは現在研究中であり子供かどうかは不明だ。しかも縛られている。しかもミイラと同じひもで結ばれた繭の形をしたものが埋葬されている。
映画「2001年宇宙の旅」 . . . 本文を読む
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「未知との遭遇」に続いて友好的な宇宙人が描かれている。「未知との遭遇」では幼形の宇宙人がシルエットで描かれたが「E.T.」では恐竜から進化したような肌と長い手に対して短い足、巨大に発達した頭を支えるこれまた草食恐竜のように長い首が伸びチジミする宇宙人が登場する。
少年のみが心を通わせられるという設定で、テレパシーだろうかと観ているとE.T.がビールを飲むと離れた場 . . . 本文を読む
レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」でもアイリーン・ウェイド( 小説家ロジャー・ウェイドの妻)がシルヴィア・レノックス( テリー・レノックスの妻)を惨殺することが物語の構造の中心になる。
アイリーン・ウェイドはかつてテリー・レノックスを深く愛していた。小説家ロジャー・ウェイドの妻となったのちにテリー・レノックスが戦争により抜け殻のようになったことを知る。
アイリーン・ウェイドはテリー・レ . . . 本文を読む
村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」では主人公が妻クミコの兄ノボルを撲殺する。これもクミコにおぞましい仕打ちをする兄ノボルへの嫉妬による怒りが原因だろう。
一読すると主人公は何故兄ノボルに嫉妬するのかは読み取れない。しかし妻クミコと兄ノボルには何か主人公が入り込めない秘密があり、それは村上春樹の例によって最後まで明かされない。これが主人公が妻クミコの兄ノボルを撲殺する理由だろう。
つまりクミコ . . . 本文を読む
スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」でもトムの愛人がトムの夫人にはねられて死ぬ。これも生霊ではないがトムの夫人の無意識の嫉妬が事故を引き起こすと読める。
ギャツビーのトムに対する嫉妬、奪われた女を奪い返すことがギャツビーを闇の経済で緑の灯火に向かわせる原動力となる。男の嫉妬の現われであり、怒りはトムに向かう。空振りに終わることで悲劇は幕を閉じる。緑の灯火はある意味嫉妬の炎でも . . . 本文を読む
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は村上春樹の比喩の巧みさの展示場だ。村上春樹の比喩の巧みさをメモしてみた。
私は咳払いをしてみた。しかしそれは・・・やわらかな粘土をコンクリートののっぺりとした壁に投げつけたときのような妙に扁平な音が聞こえただけだった P13
粘土を扱ったひとならすぐにぴんと来る。
バナナを壁に投げつけたみたいな鈍くて軽い音。
私はためしに . . . 本文を読む
ザ・グレート・ギャツビーは緑の灯火(志とアメリカ紙幣)を求める物語 1で
緑の灯火、このテーマは奥が深い、まだまだ書くことは一杯あるのにちがいないが、とりあえずほんの序章を書いてみた、先は長い。
と記した。以下はその続編です。
銀行業とクレジットと有価証券についての本をひと抱え買い込み、書棚に並べた。その赤と金色の背表紙は、鋳造されたばかりの新しい貨幣のようで、ミダス王やモルガンやマエケ . . . 本文を読む
10年ぶりに村上春樹「1Q84」を読み返してみた。時間の中で成熟しているのか風化しているのか自分でもよくわからないが、新たな感想を付け加えてみる。
「ここではない世界があることの意味は、ここにある世界の過去を書き換えられることなんだ。」
多世界宇宙は物語として書き換えられる。作家はそんな風に仮想しているようだ。
「1Q84」は青豆にそう言わせる奇妙な世界を描く。月も2つあ . . . 本文を読む
近所を散歩していた時にふと自身の長い影を撮ってみたくなった。そしてflikrの古い写真を探してみるとウユニで撮った長い影が見つかった。2006年に撮ったもので既に15年が経つ。影は年齢を写さないようだ。そして影を無くしていないようだ(笑)
近所の小道で夕方に撮った
ウユニで撮った長い影 左がわたしで右はつれあい(多分)
影と言えば村上春樹の小説やシャミッソーの影をなくした男が頭に浮か . . . 本文を読む
村上春樹といえばランナーが思い浮かぶ。一体祈りとランナーなんの関係があるのだろうか。実はランニングも村上春樹の祈りなのだと気が付いた。神仏に祈るばかりが祈りではない。ランニング行為によって頭を空白にしてニュートラルを保つ。これも今風の大いなる祈りなのだ。そしてこの祈りの形態も村上春樹の文学的成功でその効果は著しいことが覗える。
村上春樹は地下二階(精神の)に下りて行って小説を書く。そしてこれは相 . . . 本文を読む
「僕はどんなに手を尽くしてもその運命から逃れることはっできない、と父は言った。その予言は時限装置みたいに僕の遺伝子の中に埋めこまれていて、なにをしようとそれを変更することはできないんだって。僕は父を殺し、母と姉と交わる」p427大島さんは言う。「君のお父さんの作品をこれまで何度か実際に見たことがある。才能のある優れた彫刻家だった。オリジナルで、挑戦的で、おもねるところがなく、力強い。彼の造っている . . . 本文を読む
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ショーペンハウアーを魅了したのは伝統的なブラフマン–アートマンの思想であった。ブラフマンは宇宙全体をすべる原理であり、アートマンは個の最終的な源泉であるが、梵我一如として同一であると考えられ不変の絶対的現実であるが我々は経験から考えるので不断の変化のうちに生きていると考える。しかし不断の変化はマーヤー(幻影)に過ぎないとされる。
ブラフマン–アートマンと . . . 本文を読む
ギャツビーが、デイジーは夫であるトムよりは自分のことをずっと愛していたはずだと言い、そのあとに「ともあれ、それは私事にすぎない」と語り手のニックに言うそのセリフは謎めいている。
「ちょっとのあいだくらい、あの男を愛したこともあったかもしれない。結婚した当座はね。でもその頃だって、あいつなんかより私の方をより愛していたことは確かだ。そうとも」そして、こう言う。「ともあれ、それはただの私事にすぎ . . . 本文を読む
村上春樹が「文芸春秋」に父の手記を寄せている。戦時中、父が出征先の中国で捕虜斬首の現場にいたことを父からふと聞いたことがある、父は作家になることを喜んでくれた、その後村上氏が40歳頃から60歳頃まで父とは不仲が20年以上続いた、10年前に糖尿とがんでやせ細った父を見舞い和解した、不仲になった原因は生々しくて書けないとある。読者はそこが知りたいんだが、まあ、よほどのことであり、書けないんだろうなと思 . . . 本文を読む
追記 「動き回る善と悪とのバランスを維持しておくことだ。どちらかに傾き過ぎると、現実のモラルを維持することがむずかしくなる。そう、均衡そのものが善なのだ。」それにしても村上春樹はずいぶん大胆なことを教祖に語らせている。
この均衡とは完全な均衡をさすのではなく、やや善が悪にかつ、そのような状態を指している。これを絶望とみるか希望とみるか。20190406
初稿 2014-04-01
昨日はニュ . . . 本文を読む