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ショーペンハウアーを魅了したのは伝統的なブラフマン–アートマンの思想であった。ブラフマンは宇宙全体をすべる原理であり、アートマンは個の最終的な源泉であるが、梵我一如として同一であると考えられ不変の絶対的現実であるが我々は経験から考えるので不断の変化のうちに生きていると考える。しかし不断の変化はマーヤー(幻影)に過ぎないとされる。
ブラフマン–アートマンとマーヤーのこうした関係はショーペンハウアーの「意志と表象」と同じように見える。
又、万物は独立した実体性を持たず他によって生じるとする中観派の縁起思想や、心の根底の種として一切の経験が生じるとする唯識派の阿頼耶識とも同じように見える。
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上記の考え方と下記の村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」引用は近いものがあると思う。〈世界の終り〉というタイトルのきわめて個人的なドラマは縁起思想の世界で洗いだしの済んだ数値は阿頼耶識を連想させる。いずれにしてもメタファだから「いやそうじゃない」という反論もあり得るわけだがそう思えてならない。
私のシャフリングのパスワードは〈世界の終り〉である。私は〈世界の終り〉というタイトルのきわめて個人的なドラマに基づいて、洗いだしの済んだ数値をコンピューター計算用に並べかえるわけだ。もちろんドラマといってもそれはよくTVでやっているような種類のドラマとはまったく違う。もっとそれは混乱しているし、明確な筋もない。ただ便宜的に「ドラマ」と呼んでいるだけのことだ。
このドラマを決定したのは『組織《システム》』の科学者連中だった。私が計算士になるためトレーニングを一年にわたってこなし、最終試験をパスしたあとで、彼らは私を二週間冷凍し、そのあいだに私の脳波の隅《すみ》から隅までを調べあげ、そこから私の意識の核ともいうべきものを抽出してそれを私のシャフリングのためのパス・ドラマと定め、そしてそれを今度は逆に私の脳の中にインプットしたのである。
つまり全体としてのカオスとしての意識がまず存在し、その中にちょうど梅干しのタネのように、そのカオスを要約した意識の核が存在しているわけなのだ。
我々が一般に意識の変革と呼称しているものは、脳全体の働きからすればとるにたらない表層的な誤差にすぎない。だからこの〈世界の終り〉という君の意識の核《コア》は、君が息をひきとるまで変ることなく正確に君の意識の核《コア》として機能するのだ。ここまではわかるね?」村上春樹「世界の終わりとワンダーランド」