福島原発事故に対して政府と東電それに安全保安院が常に過小に見積もった発表しかしないのは何故か。国内外から大本営発表だとか情報隠ぺいだと責められているのはなぜか。それは政府は「推測による発表はしない」という方針にもとづくからだと伝え聞く。政府発表では「推測による発表はしません」という態度表明の言葉はいまだ聞いたことがないが、週刊誌での記事などからみるとどうも本当らしい。
リスクマネジメントは推測と確率にもとづいて対処法を考えることだが、「推測による発表はしない」という事であれば国民はリスクマネジメントの対策の立てようがないという事になる。政府が福島原発事故に対して過小に見積もった報告を国民に行ってきた事は以下の記事からも推測できる。この記事では「かなり危機的な事態に陥っていた」と事後報告のように発表しているが、3月11日の政府発表は、下記のような緊迫した雰囲気を伝えるものではなかった。この記事による限り、「推測による発表はしない」は本当だったのかと思う。
「原発ほぼ制御不能の所まで行った」細野補佐官
読売新聞 4月16日(土)12時8分配信
細野豪志首相補佐官は16日午前のBS朝日の番組で、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生直後の状況について、「どん底までいった。ほとんど制御不能のところまでいった」と述べ、一時、かなり危機的な事態に陥っていたことを明らかにした。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000375-yom-soci
小沢氏が政府に対して大本営発表を責めているが、細野豪志首相補佐官は小沢氏に近いので、、小沢氏の大本営発表説を援護する談話を発表したとも受け取れる。細野氏は「実は国民は本当のことを知らされてはいないのですよ」と言いたかったのだろう。
少なくとも3月11日は安全保安院の根井寿氏や東電副社長がニヤニヤ会見をし、枝野氏は国民に冷静な対応を呼びかけるだけで「ほとんど制御不能のところまでいった」という緊迫した報道ではなかった。民主党政府には緊急事態の政府発表のガイドラインが必要なだと思う。それには事実と推測を分けて、事実はありのままに、推測は専門家の知見をまじえて複数論併記でも構わないから発表することと明記すべきだろう。そうしないとまた再び危機が起きた時には「推測は発表しない」というエキスキューズに逃げ込む恐れがある。