まさおレポート

当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので右欄のカテゴリー分類から入ると関連記事へのアクセスに便利です。 

梅原猛が12日死去した 著作に感謝し合掌

2019-01-15 | 小説 音楽

 

梅原猛が12日死去した。93歳だった。「隠された十字架」を読んで以来感銘を受けていくつかの著作を読んできた。地獄の思想、法然の悲しみなどが記憶に残る。拙ブログでも梅原猛に触れているものがいくつかある。著作に感謝し合掌。

バリのアニミズム

要約 バリヒンドゥーはインドに発生したヒンドゥがバリに伝来したものだがインドヒンドゥーと比べて教義の部分にあまり重きを置かない、儀礼を尊重し、その哲学や思想というほどのものは無く伝承的なお話でおしまいという印象を持っている。

儀礼にはアニミズム、祖先崇拝、バリアンが使う、ブラックマジックやホワイトマジックと呼ばれる呪術などバリの土着文化そのものが色濃く現れていると感じる。バリの人々は輪廻転生思想を信じ、海は不浄で山は淨と言い、ニュピの日に顕著にみられる神と悪霊の存在、葬儀の際の海への散骨などを見るにつけ、ヒンドゥーは衣装にすぎない、土着信仰こそが本質だと思いたくなる。

仏教では日本に伝来した浄土教の大日如来は日本古来の太陽信仰やアイヌの輪廻思想と結びついて受け入れられたという。これは梅原猛の「地獄の思想」で述べていた考え方だ。アイヌでは善人ほど生まれ変わるのが早いとか、熊の霊との関係なども面白く書かれていたが詳細は忘れた。『華厳経』や『大日経』の信仰は、日本の汎神論的な自然信仰と融合しやすかったのだろう。

アニミズム

要約 世界中の宗教の特色だ。キリスト教がロシアの地でロシア正教となり、ロシア土着の神がかりなどと結びつく例は「カラマーゾフの兄弟」で読み取ることができる。

ロ シ ア の 「 二 重 信 仰 」 に 関 す る 専 門 的 な 研 究 は 日 本 では 行 わ れ て い な い 。
報 告 者 は 、 現 在 執 筆 中 の 博 士 論 文 で 、 歴 史 学 、 建 築 学 、 図 像 学 、 と あ ら ゆ る分 野 か ら の ア プ ロ ー チ を 試 み た 。特 に 、レ リ ー フ 解 析( 図 像 学 )と い う 手 法は 文 献 資 料 を 補 う 有 効 手 段 で あ り 、可 能 な 限 り 利 用 し て「 二 重 信 仰 」を 説 明し よ う と し て い る 。http://www.world.ryukoku.ac.jp/kenkyuka/pdf/report01.pdf

知人の姓は歴史感覚の助けに

要約 先月に訪れた京都・嵯峨の二尊院及び清涼寺も法然ゆかりの寺と知って訪れたわけではない。全くの偶然なのだが、「法然の悲しみ」にたびたび登場する寺院であり知人の姓ではないがこれまたその寺院の記憶を呼び覚ますだけで、本書を読み進める上での助けになっている。

「インド哲学七つの疑問」 宮元啓一 再読メモ

要約 かつて梅原猛「法然の悲しみ」を一読した後にはたして仏教とはなにかの疑問がむくむくとわいてきた。紀元前五世紀にブッダが説いたオリジナル仏教が現在我々が手にする漢訳=お経で正しく伝えられているのだろうかとの疑問で、次に法華経などの日本人に聞き覚えのある経文が果たしてオリジナルな仏教とどのような関係があるのだろうとの疑問だ。

世間虚仮は実はポジティブな視点ではないか

要約 梅原氏の著作を読んで変わった。法然はまず残酷な殺され方をした父母を救いたい。父は横領使として殺人=殺生戒を数多く犯している悪人だ。そして身近な悪人・凡夫・女人を救うためには誰でもできる方法で浄土にいけなければならない。法然の宗教的直感をよりどころにして観無量寿経などの経文にその根拠を求め、称名念仏こそがベストだとの宗派を打ち立てた。それが日蓮の題目にも影響を与えた。観無量寿経などの経文に根拠を求めることは梅原氏自身も強引な解釈と認めている。

恩師を想いながら四天王寺を散策する

私の小学生時代の恩師である滝口先生の著「記憶の風景」の「明日を観た人」は原稿用紙400枚近いエッセイで、「聖徳太子」ではなく「厩戸皇子」の本質を梅原猛説などを否定しながら、自らの仏教感も交えて語りかけてくる。滝口先生はこの「明日を観た人」を書くために法華経、華厳経、維摩経を読んで面白かったと記している。しかしなかなか読めるものではない、厩戸皇子にそうとうな思い入れがあり、周到に準備したに違いないが表向きはさらりとまとめていて先生らしいなと思う。

 源氏物語がつまらないと評する鈴木大拙と梅原猛は共に仏教は外来の宗教ではないと述べている

要約 梅原猛も「日本人のあの世観」で源氏物語は上流貴族の生活を描いており、源氏はモテ男で好きではないと書いている。それに比べて能を称揚している。又、浄土系思想を日本仏教の大事と考え、日本のあの世観をベースに日本化した仏教はもはや外来の宗教ではないと記している。梅原猛は鈴木大拙のことは書いていないが、知ってか知らずか、なんとよく似たことを記していることか。

しかし、法華教を好み、万葉集や源氏物語を好む人達も大勢おり、こうした人からの反論が一層法華教や、万葉集や源氏物語についての理解を深めると思うので梅原猛や鈴木大拙のこうした否定はそういう意味で意味深いものだと思う。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。