まさおレポート

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モロッコ 2006年旅の自画像

2025-01-17 | 紀行 モロッコ・チュニジア

18年前モロッコでの自画像的ショットです。モロッコ紀行を編集していてなんと懐かしい。

壮麗な門を背にして広がる光景は、人々のエネルギーに満ち溢れている。絢爛たる装飾が施された門は、その美しさで訪れる者を圧倒するが、それ以上に目を引くのは門前に集う人々の活気だ。誰もが何かを語り合い、時には声を張り上げ、賑やかな喧騒が響き渡る。


門の前には、商人たちが道具や商品を並べている。フードを被った伝統的な衣装の人々が歩き回る一方で、カジュアルな服装の若者たちが談笑している姿が見られる。この場所は、過去と現在が交錯するモロッコの縮図そのものだ。


遠くで聞こえる交渉の声、笑い声、そして何かを売り込む商人たちの叫び声が混ざり合い、この門前広場に独特のリズムを生み出している。その中心には、時折真剣な表情で何かを議論している集団も見える。彼らの顔には、この場所がただの観光地ではなく、人々の日常の一部であることがはっきりと表れている。


この門は、単なる通路ではなく、街の中心的な社交場として機能しているようだ。門の装飾に込められた歴史的な価値が、この人々の集まりによってさらに生きたものとなっている。人々が立ち止まり、集まり、何かを語り合うその光景は、この場所が長い年月をかけて築いてきた社会的な役割を象徴している。

フェズの街を歩き、この門の前で立ち止まると、まず目に飛び込んでくるのは、堂々とした太い柱と、その脇に静かに佇むブロンズ像である。柱は古代からの建築技術を今に伝え、その存在感はこの場所に時代の重みを与えている。一方で、馬に跨ったブロンズ像は、静けさの中に動的なエネルギーを秘めているように見える。


太い柱は、イスラム建築と古典建築が交わる瞬間を表しているかのようだ。表面には歴史の跡が刻まれ、石材そのものが語り部となっている。この柱が支えているのは建築の重量だけではない。ここを訪れる人々の視線や記憶、さらには歴史的な物語の一部をも支えているのだ。


その隣には、威厳ある騎馬のブロンズ像。これは、かつてこの地を統治した権力者か、またはその守護者を表しているのだろうか。馬の姿勢は優雅でありながら力強く、その足元には目には見えない動きが感じられる。騎士の姿は静止しているにもかかわらず、その視線の先には未だに守るべき何かが存在しているようだ。


この柱と像の組み合わせは、一見すると単なる装飾のようだが、実際にはフェズの歴史や文化を象徴していると言えるだろう。柱は長い年月をかけてこの場所を支え、像はその中に込められた力や思いを表現している。それぞれが異なる素材と目的を持ちながらも、この場所で見事に調和している。


先ほど目にした青みがかったクールな雰囲気の部屋が、今ではまったく異なる表情を見せている。暖色の照明が空間全体を包み込み、先ほどの静寂と冷たさの中にあった緊張感は消え、どこか温もりを感じさせる空間に変わっている。


白い柱や幾何学模様の壁に暖色の光が当たり、その反射が柔らかく広がる。冷静さと感情の間を揺れ動くような、この光景は、イスラム建築が持つ多面性を象徴しているようだ。光の種類や角度ひとつで、同じ空間が全く違った物語を語りかけてくる。


壁面に織り込まれた模様は、暖かい光を受けてその繊細なディテールをより強調している。特に奥にあるランプの光が、アーチ越しに揺れる様子は、この空間全体をまるで生きているかのように見せている。暖色の光が作る影は、模様にさらなる深みを与え、そのリズムを強調している。


中央の噴水もまた、光の変化によってまるで別の存在のようだ。青みがかった光の下ではクールな静けさを放っていたが、今では暖かみのある親しみやすさを感じさせる。噴水を囲むタイルの光沢が、照明の色合いによって柔らかく輝いている。


このような空間の変化は、建築そのものが時間や状況と共鳴する生きた存在であることを示している。同じ空間でも、光が変わればその役割や雰囲気が全く異なる。それはまるで、一つの場所が複数の表情を持ち、訪れる者にそれぞれの物語を語りかけているかのようだ。


ロバに乗ってのんびりとした散策が始まる。日差しを遮るヤシの木々の間を進むと、砂漠の中に息づく生命力を感じる。それは人々だけでなく、この地で生きる動物たちにも同じことが言える。


私たちを乗せたロバのうち、一頭は母親であるらしい。その母ロバは、おじさんに引かれながら進むものの、どこかそわそわしている。その理由がわかったのは、散策の途中でつながれている子ロバの姿を見つけたときだった。母ロバは子供のもとへ向かおうとする強い意志を見せ、おじさんの指示を無視してそちらに進もうとする。


ロバを操るおじさんも、それを理解している様子だが、それでも散策コースを維持するために手綱を引き戻す。
散策を終えたとき、ロバは再び子供のもとへと戻り、やっと安心したように落ち着きを取り戻す。


アトラス山脈を超えて向かう先はリッサニ。雄大な山々が連なる中、旅人の視線はどこまでも続く青い空と、その下に広がる壮大な景色に吸い寄せられる。乾いた風が吹き抜けるこの場所は、大地の静寂と天空の広がりが織りなす壮麗な舞台だ。


わたしは険しい山道を進む旅の途中、露店の並ぶ峠に立ち寄った。石や工芸品が並ぶ露店は、この地の文化や自然が生んだ魅力を垣間見ることができる小さなギャラリーのようである。遠くにはアトラス山脈の重なりが見え、道中の過酷さを物語る。


リッサニへと続くこの道は、古代から商人や旅人たちの往来が絶えなかった交易路の一部。遥か昔、この道を駆け抜けたキャラバンの足音を想像すると、歴史の重みが胸に迫る。


アトラス山脈を越えてリッサニへ向かう旅路。この風景には、雄大な自然と深い歴史が詰まっている。アトラス山脈は、砂漠地帯と豊かなオアシス地帯を分ける重要な存在だ。乾燥した風が吹き抜ける峠の露店には、地元の石や工芸品が並び、旅人を迎えてくれる。


背景に広がる険しい山々は、時間の流れを止めたかのような静寂を醸し出している。これらの山々は、古くから隊商たちが通り抜けたルートでもあり、その風景には幾世代にもわたる足跡が刻まれている。露店の隣には、旅人たちの安らぎの場が広がり、自然と文化の交差点としての役割を担っている。


この地の旅は、ただ地形を進むだけではない。空の青、山の荒涼、そして人々の営み。そのすべてが織りなす物語を体験することでもある。リッサニを目指しながら、壮大な景色に心を奪われる瞬間が、旅の喜びそのものだ。


砂漠の夜は、昼間の灼熱とは打って変わって、涼やかな風が心地よく肌を撫でる。広がる闇の中、天には満天の星空が瞬き、地上では静寂がすべてを包み込むと思いきや、太鼓のリズムが響いてきた。キャンプの灯りが揺れる中、ローカルのミュージシャンたちが音楽を奏で始め、旅人たちを誘うようにその音色が広がっていく。


自然と私もその輪に加わった。初めは遠慮がちだったが、次第にそのリズムに引き込まれた。目の前で太鼓を叩く男性は微笑みながら拍子を取り、隣の笛吹きの音色はまるで砂漠の風そのもののように自由で奔放だ。言葉が通じなくても、音楽がすべてをつなぐ架け橋となり、互いの気持ちを共有しているのが感じられる。


ふと顔を上げると、夜空に輝く星たちがこの光景を見守っているようだった。砂漠の静寂に溶け込む音楽、それに合わせて笑顔で踊る人々、そして私自身がその中にいる不思議さ。旅を重ねる中でも、こうした瞬間は特別だ。時間を忘れ、砂漠と音楽、そして人々の温かさに包まれる夜。旅の贅沢なひとときである。

 


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