大内青巒が還俗して修証羲を完成する。
山頭火 生死の中の雪ふりしきる
生死とは人間の迷いで雪はほとけからくる。迷いの中に雪が降ってくるので迷いから免れられない。
生死の中にほとけあれば生死なし。生死即涅槃ということになる そんなもの迷いといえるかよと。
朝比奈老師は「さとりとは迷わないことであってほとけのなかに生きているとおもえば迷いはない」
「人は仏心のなかに生まれ仏心のなかに生き仏心のなかに死んでいく」ということをことあるごとにおっしゃった。
朝比奈老師は悟っていたのか。そんなことはどっちでもええですよ。
いいおふくろだろうがわるいおふくろだろうがどっちでもよい。
親父にぶっとばされたが悪いことすれば天地の理屈。
氏は毎朝水かぶるが冷たい水でないとかぶった気がしないと。
冷たい水をかぶるなんて馬鹿で単純なやつでないとできない。
悟りっぱなしという人に出会ったことがない。悟から迷うんでね。
さとりとか迷いとかに引っかかっているときはだめだ。淡々といけばよい。
邪気は冷たい水をかぶるか水の中に入るとなくなる。
京都で知り合いと泊まった。その知り合いは裏の部屋で、わたしは表の部屋に泊まった。知り合いの朝顔色が冴えない。どうしましたと聞くと12時ごろに部屋の障子の向こうでがやがや音がする。なんだろうと思ったが他人の家を詮索するのもなんだのでそのまま寝てしまった。
あくる日の朝その障子をあけると墓場だった。それで知り合いは少しショックを受けたのか顔色が悪い。
氏が「背中が痒くなかったですか」と尋ねると「いいえ」「それなら墓の下に眠る人が「よく来てくれました」とあいさつされたんですよ。なにも気持ち悪がることはありませんよ。
氏は「わたしゃ寺の息子ですから墓で人の声が聞えたりは日常茶飯でしたから、なんともないんです」と。
学者が学問すると言うのは人生の目標でもなんでもないですよ。商売でやっているんだから。自分や先祖が歩いてきた道、これから子供たちが歩む道、これがどうなるか楽しくてしょうがない、自分の命の道筋をしっかりと歩む、これが生きる目標ですね。
そうはおっしゃいますがというようなら質問するな。
阿難が「よき友を持つことはこの道の半ばだと思いますがいかがでしょうか」
阿難よ、そう思うべきでない。よき友を持つことはこの道のすべてである」
死ぬときはわたしは南無妙法蓮華経と唱えますね。そして2週間ほどは見えているんですね。お通夜の席で悪口は絶対にいうな。聞いてるんだからとよく言われましたね。それから中有のあとお母さんのおなかの中に入りましても唱えていると再びほとけさまに会えるように生まれてくる。
まだそのような話を聞くのは早いなと思うでしょうが覚えておくといいですよ。
感応 こちらも一生懸命な時にほとけさまも一生懸命になってくれる。
十字架のイエスを仰ぎ見る気持ち それだけでよいと内村鑑三は最後に云った。
親鸞は法然の 日郎は日蓮の顔を見ているだけでよい。それが信心ですね。
一年に2度ほど尋ねてくる僧がいる。奥さんを殺した元やくざが弔うために日本を歩きたい。先生地獄ってあるんですかね。刑務所の中で死刑囚と一緒になるが彼らを見ていると地獄へいくはずがないと思いますと。
朝比奈老師があるとき「地獄があるとおもうかね」と聴衆に尋ねた。100人ほどのなかでひとりだけ「絶対にあると思います。浄土が絶対あるように地獄も絶対あるとおもいます」と。
どちらも自分の眼で耳で知ったので揺るがないですね。
南禅寺柴山前慶 鐘の音が聞こえてきてその音が見えた。気を失って悟った。
まあ 悟る人はなにをしても悟るんですね。
牧野立雄が「愛の宇宙」で宮沢賢治を新しい視点で書いている。わたしはきらめきがないと本を読まないんですがこの本は光っている。
こどもと老人は結婚しなよなんていわない。人間より動物がかしこいという。ぼくのいうてる知恵は子供や動物と同じ修羅の知恵です。
河合さんも共通している。
わたしはこりゃいけないやと思った。宮沢賢治だけじゃない、道元についても大事な点を見逃しているかもしれない。
宮沢賢治のところへ押しかけて来た女高瀬露が下書きの相手だとわかった。かつては細野への手紙ではないかと思われていた。
中列の右から3番目が高瀬露 by wiki
河合隼雄は明恵について性欲を抑圧していないという。そういう機会が来ると邪魔が入って果たせなかった。ほとけが介入しなかったらやっただろう。性欲を抑圧していないから透明な世界に行った。
37歳で男盛りで死んだのだから残念という気持ちがあった。それを牧野がつかまえたんだ。
宮沢賢治がいかにも女性を遠ざけて生きていたと思うのは間違っている。彼も性欲を抑圧していないから透明な世界に行った。宮沢賢治崇拝者はこういうところを見ないようにしている。
修羅でなきゃ宗教的な世界に入っていかれない。賢治自身が修羅であった。河合さんも同じ意見だ。
牧野はもし東京大学をでていたらこんなすごいことは書けない。中学しか出てないんだから書けた。
道元は性欲に嫌悪感を持っている。絶世の美女であった母が強姦されるようにして道元をはらみ、その後別の男がお妾さんとして道元を産んだ。道元がえらかったからではなくてそういう生まれつきだった。
だから女が男が性欲でどんなに汚いことをするかを知りようがないのでそこを飛ばす。そこを飛ばしていいんかいというのが道元は性欲について書けない。知らないのだからかけない。
汝らは経験豊富だからそこは任せる俺は経験していないからといえば立派なんだがただ飛ばしている。
遠藤弁護士が講演していたが、新左翼は支離滅裂で新右翼の方が優れている。さらに優れているのはやくざだと。先入観があるけどそうじゃない。常識を見直さないといけない。
若いころは僧は質素だった。昔は結婚している僧はどっかで遠慮があった。僧の結婚式を盛大にやる。京都から料理人を連れてきてホテルで豪華な結婚式をやる。一体禅宗とどう関係があるのか。若い人がカンパで質素に仲間内でやるほうがよっぽどいい。
この人はえらい坊さんといわれているけど実はそうでもない。名もない僧だがすばらしい人がいる。自分の眼でみることが大事だ。