紀野一義の講演(youtube)メモです。
氏は宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を読んで紹介する。 氏の一番好きな作品は「なめとこ山の熊」だと。以下青空文庫よりの抜粋です。
なめとこ山の大空滝だ。そして昔はそのへんには熊がごちゃごちゃ居たそうだ。
熊捕りの名人の淵沢小十郎がそれを片っぱしから捕ったのだ。
なめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」
小十郎がまっ赤な熊の胆いをせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。
小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付くぎづけになったように立ちどまってそっちを見つめていた。
そこがちょうど銀の鎧よろいのように光っているのだった。しばらくたって子熊が言った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ」
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花」
小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。
僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。
もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。
それからちょうど二年目だった
この前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていた。小十郎は思わず拝むようにした。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。
小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴冴して何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。
「フランドン農学校の豚」宮沢賢治も紹介する。
フランドン農学校の豚を殺すには豚の了解がいる。調印してくれと頼むが「いやです」とうとう豚は調印をする話だ。宮沢賢治の修羅を示しているという。
宮沢賢治の一生はある意味悲惨な一生だ。恩知らずだ、道楽息子が好きなことをやっているなどと言われ続けた。飯を炊いて井戸につるしてそれを食べる生活をして結核になり37歳で死ぬ。
氏の親父は小学校3年中退で息子には東大に行って寺を継いで欲しかったと。氏は嫌だと言うと「勘当するほかない」と激しい口論、ときには暴力的やりとりもあったようだ。
氏は宮沢賢治の人生に重なりを見るのだろう。学徒動員で招集され両親家族は原爆で死んだ。そして勘当は無くなった。
うまくやることができなかった。修羅のままで死んだということでしょうかと六道輪廻の修羅界を見ている。宮沢賢治の修羅の人生を知っても賢治に対する敬意は変わらないという。
大乗では六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を大事な徳目として教える。この徳目からか次の話を紹介している。
あるとき南禅寺の柴山全慶のもとで修業している若い僧が家を訪ねてきた。ちょうど夕食の時間にかかるので食事を勧めたところ一緒にいただくことになった。
お腹がすこし満ち足りてくるとこの僧が柴山老師のことを話しだした。「柴山老師はあれでなかなかの・・・」おそらく下ネタ的なことをいったのだろうか。氏は食事の途中にもかかわらず「僧籍にありながら師を慕っているものの前で師匠の悪口を言うのなど言語同断、犬畜生に劣るから出て行け」と一喝したという。出て行きましたけどね。
母は氏に無償の愛を注いでくれた。そして他人にも。無償の愛をそそがれたかどうかでその人の一生が決まると。
氏が10代のころだろうか、広島の実家の寺で国鉄職員の研修会を毎年行っていた。その研修に参加する45歳の男性が母に「おかあちゃん おかあちゃん」と言うので氏はその男性に「なんで45にもなってあんたの母親でもないのにおかあちゃんというのか。俺の母だ」と云った。
その男性は「あんただけのお母ちゃんじゃない、だからお母ちゃんと呼ばせてくれよ」と臆面もなく言われたので黙るほかなかった。
母はわたしに与えて与え尽くした。なんにも返していない。
偉い人でしたね。
愛を返すことの大切さを言う。
戦争が始まるとインテリの部下は殆ど死んでしまいますね。教養が邪魔をすることがある。
釈迦は暁の明星を見て悟った。大自然がすべてさとり。これがキリスト教と違うところですね。キリスト教では異端になる。
さとりの体験を 言葉であらわしたものが仏教である。
明治になって仏教ということばができた。それまでは仏法、仏道といった。
如浄は道元に伝えるために生まれてきたと言える。空海も半年で長安青龍寺の恵果和尚に金剛界の灌頂を受ける。
自己のためにでもなく誰かのためでもない。愛というのがただあるだけで相手を愛する。教えも同じ。
名文句は勉強しても出てこない。トイレの中とかで浮かぶ。発見するというのはそんなもんですかね。そろそろだと思っている時にはでてこない。
救うというのは浄土経で渡すともいう。
発菩提心と悟りの境地とは別のものではない。