まさおレポート

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平成テレコムの変遷21 情報通信審議会と省研究会 15017文字

2019-06-18 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

情報通信審議会と省研究会で筆者が見聞したのは平成の半ばまでであり、平成全般での見聞ではないことをお断りしておく。

通信事業者間の意見の違いに対して判定や調停する場として総務大臣裁定と総務省情報通信紛争処理委員会を前章で取り上げたが情報通信審議会や郵政省自身が立ち上げた研究会も同様の機能を果たしていた。ただし情報通信審議会や郵政省自身が立ち上げた研究会は直接の判断をする場ではなく大臣や審議会の諮問に答える立場であるがその意志は概ね尊重される。

審議会制度は役人の操りであるとの批判もありFCCのような組織を作るべきであるとの意見も底流としてあったが政府コストの問題から現状の是認が続いている。要は成果しだいの議論だが審議会制度や研究会の成果は出してきたと思う。

NTTとの接続問題では問題の軽重に応じて郵政省が情報通信審議会や郵政省自身が立ち上げた研究会に諮問する。問題の規模に応じて電気通信審議会の研究会であったり事業政策課長やデ-タ通信課主催であったりとテ-マによりその諮問先が変わるがそれぞれNTTとの接続交渉の問題解決に重要な役割を果たしてきた。

政府の各種審議会や研究会は省庁の意志を推進するための民意を装う隠れ蓑だと言われたり、審議会や研究会の各委員は政府の御用学者が採用されるという批判をしばしば見ることはあったが、16年にわたり委員として出席したり、傍聴したりして見聞してきた経験から見て各種の研究会は誠実に対応して有効に機能してきたと思う。

郵政省(当時)が研究会を開催する動機として3種類が存在した。一つは郵政省の各課がなんらかの意志を持っており、その推進の為に関係者を集めて開催する研究会がある。デ-タ通信課の蝶野課長(当時)がNTT、新電電各社の通信事業者を集めてNTTの専用線品目の整理を図ったのがこのケ-スの一例として思い出される。

1990年代中頃、NTTの専用線品目には50ボ-や検針用専用線など技術革新のため既に全く使われていないものも散見され、これを整理するためだ。NTT、新電電三社とTTnetから委員を送り込んで議論を進めたがこれはNTT、新電電その他で特に利害がぶつかることもなくすんなり廃止品目の整理が決まった。

他の一つは1998年頃で固定電話の番号ポ-タビリティの実現をめざす研究会が思い出される。新電電各社からNTTに接続要求を出すが新電電とNTTでは協議が進展せず新たなル-ル化が必要であった。すでに1996年には英国のリダイレクション方式が、1997年には米国でダイレクト方式の固定電話番号ポ-タビリティが実現していた。この場ではリダイレクション方式は一旦着信局までたどり着いてから折り返す方式でダイレクト方式は発信局からルートを定めると簡単に理解してほしい。

1997年ごろケ-ブルテレビ会社のMSOがケ-ブル用基幹回線や分岐回線を利用した電話サービスを推進し始めた。MSOとはmultiple service operatorで単一区域ではなく複数地域にまたがってサービスを提供する大型のケ-ブルテレビ会社を称し、通信も兼業する。

遡る1996年6月3日にタイタス・コミュニケ-ションズがCATV電話の相互接続をNTTに申し入れ1997年6月1日に千葉県柏市で日本初のCATV電話サービスを開始していた。1997年7月1日には一月遅れでジュピタ-・テレコムが東京都杉並区で開始した。

当初はCATV電話特有の特別な番号を利用していたが米国の番号ポ-タビリティ実施があり、顧客やタイタス・コミュニケ-ションからNTT電話番号をそのまま利用する番号ポ-タビリティの要求が高まってきていた。米国では1996年6月27日に電話番号ポ-タビリティに関する規則をFCCが採択し1998年12月31日までの完了を指示している。

後年に携帯電話番号の番号ポ-タビリティで一躍有名になるのだが、顧客が各家庭に持っている固定電話の電話番号をそのまま同一地域の新しい通信会社に持って行けるサービスの必要性が国民に認識されているわけではなかった。既に長距離通信会社として新電電三社が顧客数を伸ばし基盤を固めていたが、これらの会社のサービスはあくまで長距離電話であり、顧客の電話番号を新たに付与する必然性は皆無であり、従って番号ポ-タビリティには全く関心がなかった。東電の通信会社である東京通信ネットワ-ク株式会社 (TTnet)もネットワ-ク構成の違いからかあまり電話番号ポ-タビリティの実現に積極的でない。東京通信ネットワ-ク株式会社 (TTnet) は1986年3月7日に 設立され、1988年5月1日に直収電話サービス開始を開始しているが自社直収サービスであるためか電話番号ポ-タビリティの実現に関心が薄かったものと理解している。


当時電話回線のサービスではマイナ-なCATV電話会社であるタイタス・コミュニケ-ションズ株式会社の番号ポ-タビリティ実現要求を受け入れて推進の道を開いたのは郵政省の研究会だった。米国の番号ポ-タビリティの潮流をいち早く反映して推進した齋藤主査(齋藤忠夫 当時東大教授)がいたためだろう。固定電話番号ポ-タビリティ研究会が開催されることになった。日本で実現可能な方式がいくつか俎上に挙げられ、議論された。ここでも米国のダイレクト方式のように共通線信号網を使ってNTT電話番号管理データベースを直接参照するという方式は改造費用と安全確保の観点から見送られ、リダイレクト方式と呼ばれる本来交換機が標準機能として持っている2重電話番号の機能、つまり交換機改造の不要な方式が採用された。

この方式を簡単に説明すると2重電話番号を付与(NTT交換機宛の番号と新電電固有の番号)し、移転された宛先電話番号を元のNTT収容局(この場合、タイタス・コミュニケ-ションの例でいえば、柏電話局)に新電電固有番号として登録する。発信交換機からNTT交換機宛の番号を信号網のみで着信交換機(柏の交換機)に問い合わせし、変換電話番号つまり二重番号の一つであるタイタス・コミュニケ-ション固有の電話番号を発信交換機に戻してもらい、再度タイタス・コミュニケ-ション固有の電話番号で発信しなおすという方式が採用された。

この研究会の最終段階では改修費用の概算見積もり額がNTTから提出された。このリダイレクト方式は交換機ソフトウェアの改造が不要とはいうものの、全国の交換機ベースでのデ-タ設定が必要とのことで、この時も実現不可能な金額(たしか三百億円強)が提示された。この研究会の席上、これを一蹴したのは斉藤主査だった。結果的にはNTTから実現可能な金額の提示となり実現の運びに至った。鮮やかな研究会運営であり、記憶に残っている。(斉藤主査は1994年5月31日 「21世紀の知的社会への改革に向けて」でも携帯電話の定額料金制度の導入に積極的な発言をしていた。NTTとの相互接続推進に多大な貢献をしたと思う)

このリダイレクト方式による番号ポ-タビリティは固定電話では採用もタイタス・コミュニケ-ションズ一社だけでありそれほど業界の脚光も浴びなかったが、2001年に柏市内で実現をみた。又、そのリダイレクト方式自体は携帯電話番号ポ-タビリティに引き継がれ、2006年10月に実施され、現在の携帯電話普及におおきな役割を演じている。

郵政省の大きな政策課題を諮問する電気通信審議会(現 情報通信審議会)があり、さらに同審議会の下に接続小委員会などがあり、又テ-マごとの研究会もあった。この類の研究会は「~に関する在り方」研究会と名付けられている。
1993年頃「地域電話料金の在り方に関する研究会」が筆者の最初に接した研究会だった。この研究会で既に電話料金の基本料金部分が地域によってことなる(3級取扱所・・・加入数40万以上、2級取扱所・・・加入数40万~5万、1級取扱所・・・加入数5万未満)事の是非を議論されていた。都市部ほどNTT局舎の収容回線数が多く、その分基本料金が高くなることに対して理屈の上からは地域ごとに基本料金がいくつも存在することの説明はつかないと結論されながらも、結局現状維持の提案で終わったと記憶している。問題が国民生活に直接つながると主婦連代表の委員が猛反対して両論併記で腰砕けに終わったためだ。主婦連の主張はやや近視眼的な発言と主張ではなかったか。不思議なことにユニバーサルサービスとの関連では議論がされなかった。

研究会の委員に選任されるのは利害が直接関連する通信事業者の他に、有識者として大学の先生と場合によっては消費者団体の代表が選ばれる。検討する内容に専門性が高いこともあり選任される先生方は固定される傾向にある。つまり研究会は各種開かれるが、先生方の顔ぶれは共通していることが多かった。議論される内容によるが都内や関西圏の大学の経済学、会計学、法学、電気通信工学を専門とする方が多かったように思う。
こうした研究会では事務局つまり郵政省スタッフの書いた資料の筋書きに従って議論を重ねるが、おおむねそれほど鋭い意見の対立はなく、先生方からの質問と事務局の回答で議事は進んでいく。議論の中身は相当に専門性が高いので自らの専門分野に話題が移ると適当な質問だけをして後はだんまりを決め込む委員も中にはいたが、おおむね真剣な議論をされていた。しかし予習をされてこないとついていけないようなテ-マも多くあり、そういう場合は事務局のペースで進められてしまう事も多い。

後年、ソフトバンクBBのADSL方式を巡ってシリアスな問題が発生し、この解決のために研究会が開催された。第一回研究会で孫正義氏は研究会委員の人選に問題がありと強く主張した。おそらくこうした研究会の人選について発言した最初の例だろう。それまで各種の研究会では委員の人選の段階で、ある程度の結論が予想されていた。

出席と発言に責任を持つための有効な方法は委員の発言を国会の質疑のようにことごとく速記録として発表することだろう。重要な方針決定の参考になり極めて重要な研究会であるが、発言者の発言記録が残らないという点が最大の問題である。速記費用が馬鹿にならないのであれば録音のみでも公開すべきだと思う。(福島原発事故の際も政府が速記録をとっていない重要会議があり問題になっていたが、重要性の認識に裁量があり、会議によって速記録をとったりとらなかったりするようだ)

研究会では委員の各先生方はそれほど事務局の方針に従順ではなかったし、事前の説明時に何らかのコメントを出す場合も多いので、省の事務局の独走を許すことはなかった。また元NTT社員(NTT通信研究所出身が多い)が教授になって委員に収まっている場合も多いが中立的な意見を持っていた方が多かったと思う。しかし専門以外の分野は発言を遠慮されるあまり、議論の本質について積極的発言されない先生方もいた。

後年のことだが東大教授の醍醐委員が電気通信審議会の接続問題小委員会委員に再任されなかったときは少なからず驚いた。NTT東西で異なった接続料金を認めることを醍醐委員が推進しようとしたため、それに反対するNTTが後押しする郵政省幹部とぶつかったためと聞いている。醍醐教授が日本橋箱崎にあるソフトバンク本社に直接来社され、その無念さとその後の対応策などをお話しいただいたこともあった。

2003年3月4日、東京・永田町の衆議院第一議員会館で全国消費者団体連絡会主催の情報通信のシンポジウムが開催された。NTT接続料の引き上げに異議を唱える消費者団体、醍醐聰・東京大学大学院教授(当時)、甲南大学佐藤教授が発起人となり自民党岩屋議員、民社党嶋議員(当時)等の国会議員を動かして実現した。
衆議院第一議員会館を選んだのも国会開催中の議員が駆けつけやすいようにとの配慮だ。何名かの議員が国会の合間を縫って出席していた。KDDI、日本テレコム、東京通信ネットワ-ク、フュージョン・コミュニケーションズなど通信事業者の社長などに加え、米・英国の大使館職員もオブザ-バ-として出席していた。全国消費者団体連絡会の参加を促したのは甲南大学佐藤教授だったと記憶している。

醍醐聰・東京大学大学院教授(当時)は総務省情報通信審議会の委員を意見の違いにより退任した直後の会合だった。彼はNTT東西の接続料が政治的な判断で同一になることに猛烈な反対をしたために委員を外された。NTTの接続料等を扱う総務省情報通信審議会の「新たな料金制度の運用等の在り方に関する研究会」座長代理を務めたが、2003年1月の任期切れのさいに、慣例に反して委員に再任されなかった。
その措置に反対することもこの会合の一つの目的であった。

東西NTTは別会社として再編成されているのであるから東西同一料金に強引に設定するのは無理筋であり合理的な判断とは思えない。下記の引用にある与党議員とはだれなのかが興味のあるところである。
事実上の「解任」と受け止められているが総務省は、醍醐教授の不再任理由を「任期が長くなったため」などと説明している。委員の任期は4期8年が慣例。来月初めに3期目が終了する醍醐教授は「納得できない」と反発、12月中旬以降、総務省に対し「不再任は与党の国会議員が働き掛けたという話もある」と指摘した上で、詳しい説明を繰り返し求めている。

新電電がNTT東西地域会社に支払うNTT接続料の問題では「NTT東西は経営状況に応じて別料金にすべきだ」とする答申をまとめた。この答申に対しては、国会の総務委員会が反対を決議。総務省は、東西均一料金を維持する方向で省令改正を進めた。(wiki)

衆議院会館で行われた情報通信のシンポジウムに、孫正義氏はこの種の集まりとしては初めて出席する。孫正義氏はそれまで、こうした通信事業者の集まりにはほとんど顔を出していなかったので、この衆議院会館で開催されたシンポジウムはいわば通信業界会合へのデビュ-になる。彼はこの席でも他の出席した社長とは一味違うアクセスチャ-ジ値上げ反対表明を行った。(出席する直前、議員会館のエレベ-タで盛んに私に話しかけてその説の練り上げを行っていたことを思いだす)

他の社長の反対理由が、NTTの非効率を中心に攻めるのに対し、孫正義氏の反対の理由ははなはだ民間事業者らしい発想であった。「NTTは固定電話の売り上げが減ってきている。そのために、アクセスチャ-ジを値上げするというのは、ロジックが逆だ。私なら、より値下げをして、需要を喚起する」 電話利用が減ったから、値上げをするという発想に孫正義流のロジックで反対を表明していた。

 

エピソード1 1997年6月17日 情報通信21世紀ビジョン研究会

1997年に当時はまだ郵政省と呼ばれていた総務省で情報通信21世紀ビジョン研究会が開催された。正式名称は21世紀に向けて推進すべき情報通信政策と実現可能な未来像といういかにも役所がつけたがる長い名前だ。電気通信審議会の研究会(那須東京電力会長が委員長)の位置づけで具体的な検討はサブ研究会で行う。

委員は齋藤忠夫東大教授、立川ドコモ社長、元キャスターの野中ともよ氏、千本慶応大学院教授、孫ソフトバンク社長(いずれも当時の役職)で野村総研の研究者も参加していた。郵政省は天野電気通信局長、團宏明電気通信事業部長などの幹部が出席していた。

1997年時点で13年後の2010年における情報通信ビジョンを様々な切り口からまとめようと意図した研究会だ。役所が行うこうした未来予測の研究会は概して総花的で「どこかで聞いたような話をまとめて終わり、以上」なケースが多い。官僚がその時点で集められる最新の情報を整理して提供するので有意義だとは思うが、研究会の報告書(答申)の数値目標は果たしてどの程度未来を予測しているのだろうか。後にチェックしてみると、当たっているものもあれば全く外れているものもある。

この検討会では2010年頃までにはギガビット級のインターネット・バックボーンを構築するとビジョンを描いている。しかし2010年では既に1.6Tbpが存在していた。これは予測をはるかに超えている。むしろ完全に間違っていると言った方がよいかもしれない。ギガビット級という予測そのものが現実にはその千倍のテラビット級になっており1000倍も間違っている。

このインタネット・バックボーンはインタネットプロバイダのみが共同利用する基幹高速回線である。インタネットの需要予測を常に現実が大幅に上回るため、予測が難しいのは理解できるが、それにしても1000倍とはあまりにも違いすぎる。

(後に2003年に総務省がインタネット・バックボーン予測を発表したが、それに対してもあまりにも少なすぎると孫正義氏は社内の幹部会議で本気で怒りを表わしていた。)


さてある日の研究会で孫正義氏がプレゼンをした。いつものように農業革命、産業革命、情報革命の三段階革命の持論をパソコンとプロジェクタを使って展開した。そのあとに、日本国の通信業界はラムネであるとの話をした。曰く日本の情報通信政策推進上、ボトルネックが2つある。ひとつは郵政省で、ひとつはNTTだと。なるほどラムネ瓶にはボトルネックが2つある。うまいことをいうものだと感心して聞いた。自分で思いついた例えだろうがビジュアルに一瞬にして訴えて実に上手い。農業革命、産業革命、情報革命の持論は後に国会でも同じ趣旨の意見を述べている。

孫正義参考人の意見陳述の要点 平成13年第151回国会第三回憲法調査会

人類は、「農業革命」、「産業革命」を経て、現在「情報革命」の時代にある。
「情報革命」の時代において、プロセッサー(中央処理装置)の素子数の増加、脳型コンピューターの開発等によりコンピューターの能力が人間を超える可能性がある。機械に使われるのではなく、人間が機械を使いこなすことが大切である。
アジアにおいて、高速インターネット網の整備が進んでいるが、この点において、日本は決定的に遅れており、規制緩和、競争の促進により、高速インターネット網を早急に整備すべきである。
21世紀の憲法
21世紀の憲法は、IT革命やグローバル化を前提として制定されるべきであり、その際には、以下の点が重要である。

インターネットの普及に対応し、憲法に、情報に自由・平等にアクセスできるネット・アクセス権を規定するとともに、プライバシー保護の権利を保障すべきである。また、コンピューター・ウィルスやハッカーによるインターネットへの攻撃の危険が現実的なものとなっており、ネット・セキュリティの確立を図る必要がある。
インターネットを活用した電子投票制度を導入し、大統領制のような国民が直接リーダーを選出する制度を実現すべきである。また、投票を事実上義務化し、18歳以上の国民に投票権を付与すべきである。
我が国は、国連軍のような集団安全保障に参加し、紛争の解決はそれに委ねるべきである。ただし、侵略を受けた場合の自衛権の行使は当然認められる。
国連の安全保障理事会の常任理事国入りを果たしたり、世銀、IMF等を通じ、エネルギー問題や温暖化問題等の世界的な問題の解決に向け積極的なリーダーシップを発揮したりすることで、国際社会へ積極的に貢献すべきである。
将来の人口減少による経済の停滞が予想される中、我が国に役立つ人材を獲得するため、国籍取得の要件を緩和する等、積極的に移民の受入れを図っていくべきである。
ベンチャー企業にも平等な機会を与えるため、いかなる独占企業も認めないことを憲法に明記すべきであり、独占禁止法の運用の徹底を図るべきである。

あるときは、携帯電話の定額化は実現可能かとの話が出た。立川ドコモ社長(当時)は、電波資源は有限であり、それは理論的に無理だと強く反論した。齋藤委員(当時東大教授)は、パケット技術を使えば可能だとこれまた強い調子で反論した。これも今日では携帯電話のパケット定額化は常識となってしまった。両者の先見の明が浮き彫りになる。

携帯電話の定額制はこの研究会の6年後、2003年4月にDDIポケット(現・ウィルコム)がパケット定額サービスを開始し、同年11月にはauがEZフラットサービスを開始した。このことが業界に大きな衝撃を与え、2004年末までにはNTTドコモやボーダフォン(現・ソフトバンクモバイル)もパケット定額制サービスを開始した。このときの議論が孫正義氏のその後の定額化路線に影響を与えたのではないか。発表された情報通信ビジョンの予測ではパケット定額には一切触れていなかったが参加メンバーの齋藤委員はパケット定額を予見しており孫正義氏はその影響を受けたと見る。

 

この研究会で当時のアマゾンの経営スタイルと株価の話が話題に出た。当時のアマゾンはこの研究会が開催された1997年5月16日に上場し、赤字を続けていたにもかかわらず株価は初値1.73ドルから5ドル前後と高くなっていた。研究会メンバーである慶応大ビジネススクールの教授A氏がこのような赤字会社の異常な株価は本来バブルであり、あってはならないものだと批判した。それに対して孫正義氏は手を挙げ、未来の成果を先取りするのが株価であり、アマゾンは正常な株価であると反論した。

経営学の学者が考える株価と実務家の考える株価に対する考え方が伺えて興味深いが、2018年現在1700ドルで時価総額80兆円を越していることからからみると孫正義氏の方が先見性があったことになる。(アマゾンは1995年から2001年まで単年度赤字が続き2002年にようやくゼロベースになりその後黒字が続いている)

孫正義氏にはこのAmazonが1000倍になったことを1997年から目の当たりに見ており、また自らのアリババが20億円から8兆円に4000倍と化けたことを体験したことで自己の投資先見性を確信しているのではないか。つまり孫正義氏にとってはAmazonが投資刮目の第一歩だったのだ。

 

あるときの慶応大教授A氏と慶応ビジネススクール教授千本氏の議論。千本氏がそれまでの議論の積み重ねをひっくり返すような発言をした。これを受けてA氏が「あなたは欠席が多いが、たまに来た時に議論をひっくり返す。それはマナー違反だ」と噛みついた。こうした研究会の議論の方法について考えさせられる。極端に言えばずっと欠席をしていても最後の会合で反対意見を述べることは可能だが、これを採用するかどうかは議長の裁量であり、単に参考意見とすればよいのだがA教授は会議マナーの点で我慢が出来なかったのだろう。

孫正義氏と千本氏の出会いはこのときが初めてではなく、LCRアダプタの稲盛邸への売り込みで既に1990年頃に顔を合わせているが、お互いに人となりを感じあったのはこの研究会ではなかったか。 

 

エピソード2 八丈島

2002年12月、八丈島在住の一青年が八丈島にブロードバンドを誘致したいと思い、1000名以上の著名をあつめ、イー・アクセス、アッカ・ネットワークス、NTTコミュニケーションズ、NTT東日本などに手紙などでお願いした。しかしNTT東は自治体側に数億円の投資負担を要求する。他の会社からも採算に合わないと断られている。最後にソフトバンクに依頼がきた。

2003年8月4日に孫正義は八丈島に飛び、青年たちにブロードバンド誘致を約束て記念撮影までして帰ってきた。後の福島原発での行動と思い合わせると孫正義が意気に感じた時の行動は速い。メディア効果を念頭においているとの批判は承知の上で行動に移している。孫正義氏はこの八丈島のケ-スを全国全局舎開局のシンボルととらえ、サービス提供を決断した。又、常々ブロ-ドバンドアクセス権なる言葉を創作してこのアクセス権を基本的人権のひとつとせよと唱えていたから、自らの言葉に忠実な行動をとったことになる。

2003年の9月に現場調査の必要性を感じ筆者はスタッフ数名と八丈島に向かった。羽田から一時間程度のフライトで八丈島に着陸した。人口約一万、世帯数が約四千の小さな島である。途中のタクシー運転手からはこの島は政治犯が送られたとの説明も受けた。

島でNTT相互接続推進部のスタッフと合流して八丈島のNTT局舎内にはいって光配線端子盤の前に立ってつぶさに眺めると伊東から、伊豆大島、三宅島を結ぶ海底線を経てつながれた総数わずか16芯線のファイバーには各々ファイバー利用者の名札がついている。空回線と記されているものはひとつも無かった。しかしどうして一本のファイバーを共同利用する光多重技術が利用できないのか、そうすれば、千倍にも容量がアップするので、NTT東には光多重装置の利用を申し入れたが、すぐに対応するのは難しいとの回答であった。こうした経緯があり後に紛争処理委員会にも申し立てを行い、後の2007年「コロケーションに関する接続ルールの変更」報告書にもWDM装置により帯域単位で利用することが望ましい旨が盛り込まれた。

2003年11月19日に2004年4月のYahoo! BB提供開始を発表し、八丈島のADSLサービス開始実現に向かう。

2003年12月3日にNTT東はフレッツADSL、2004年1月16日にBフレッツの提供開始を発表。
2004年3月 Yahoo! BB提供開始、同月にフレッツADSL、2004/4にBフレッツの提供を開始。

この一連の展開をみているとNTT東はこうした世論形成が下手だなと思う。孫正義に振り回されている感がある。

ソフトバンクのADSLサービス開始の直後には、NTT東もADSLサービスを開始したがそれ以前の八丈島島民への説明では設備等の不足でADSLサービス提供は採算にあわないと説明してきた。ソフトバンクが高価な専用線を東京本土と八丈島間に借りて採算を度外視して開始した途端にNTTも同じサービスを開始するという行為には釈然としないものを感じたものだ。

リスクヘッジ

後に2004年、ソフトバンクの孫正義が海底敷設のファイバ数に空きがない本土-八丈島間の伝送容量増大対策として一本の光ファイバを複数の利用企業が共同利用できる光多重化設備の設置をNTTに提案したことがある。このケ-スは電気通信紛争処理委員会にも持ち込まれた記憶がある。この費用負担の交渉でデポジット方式の採用をソフトバンクの孫正義がしばしばNTTに提案していた。しかし具体的なル-ル化には至らなかった。

デポジット方式とは新規拡張機能設備の設置に必要な資金をNTTに預託しておき、倒産などのリスクヘッジに当てる。しかしNTTからすると例えば新規にその設備を利用する企業が出現した場合に既に収められたデポジット負担が新規利用者にどのように割り振られるかなど接続料金の設定にもましてやっかいな算出が必要であり、実現には至らなかった。このデポジット負担は民間事業者同士なら双方のリスクヘッジとしては妥当な考え方であったがルール未整備のために実現しなかった。総務省のルールは時として事業の阻害要因となる。

このため唯一残された手段である八丈島まで専用線を賃貸してネットワークを構築すると、どう考えても採算ラインに乗らない。光ファイバーがないため、島と東京都をつなぐ専用線をNTTから借りねばならず、これが高価すぎるのだ。しかし、孫正義はこの八丈島のケースを全国全局舎開局のシンボルととらえ、サービス提供を決断した。又、常々ブロードバンドアクセス権なる言葉を創作してこのアクセス権を基本的人権のひとつとせよと唱えていたから、自らの言葉に忠実な行動をとったことになる。

デジタルデバイド解消の研究会

八丈島でのサービス開始後、しばらく経った2004年6月、総務省でデジタルデバイド解消の研究会「全国均衡のあるブロードバンド基盤の整備に関する研究会」が斎藤忠夫東大名誉教授の座長で始まり、筆者もソフトバンクを代表して出席することになった。

この研究会はブロードバンド化の遅れた地域つまりデジタルデバイド地域の改善を目指したもので、この研究会ではなぜデジタルデバイドが解消されないのか、つまり阻害要因についてもかなり討議がなされた。政府が2001年1月に「e-Japan戦略」を決定しているが、その中でデジタルデバイドの解消も標榜しており、その一環としての研究会開催である。八丈島のケースのように、NTT東西の局間で中継光ファイバーがない等の理由でADSLサービスを待たされ、そのため開局できていない局舎はかなり残っていた。

孫正義は日本全国のNTT局舎という局舎すべてにADSLサービスを開始することに情熱を傾けていた。NTT東西の局舎は局舎と呼べないような無人の小さなボックスまで入れると、7000局舎以上あるといわれていた。RT局と呼ばれる無人のボックスしかないエリアでは他事業者はもちろんのこと、NTTでさえ、ADSLサービスを開始していない。普通に考えると採算が合わないからだ。しかし、彼はあきらめないでホワイトボードに自ら採算を計算して、懸命に説得する。そして採算ラインにのる限界加入数をはじき出しその最低ラインをいかにして集めるかに知恵を絞っていた。

NTT東西がすべての局舎でコロケーション(ADSLサービスを提供する設備を設置するNTT局舎内の場所の提供)に応えてくれていたら、理屈の上ではデジタルデバイドはほとんど解消していたことになる。

NTT東西の投資リスク

ソフトバンクの対NTT東西との争いの根源はリスク負担に起因するものと料金に関するものの2点に求めることができる。特にリスク負担に関しては、NTT東西の考え方と全く異なる。孫正義は民間経営者としてリスク負担は両社で分け合うとの考え方が根底にある。ところがNTT東西は相互接続に関してはノーリスクが原則だ。この考え方の違いが種々の争いの根にある。どちらがよい、悪いではない。相互接続ルールにリスク負担の考え方がないためである。「競争促進プログラム2010」には「競争事業者に起因する設備投資リスクへの対応などについて検証が必要である。」とありこの点の問題意識がうかがえる。

(光ファイバに係る接続料の在り方 (p.50)・・・光ファイバに係る接続料の在り方については、今後とも相当の需要が継続的に見込まれることから、引き続き将来原価方式で算定することが適当である。その際、稼働芯線数、設備投資コストに係る先行投資分、光ファイバの耐用年数、競争事業者に起因する設備投資リスクへの対応などについて検証が必要である。)

孫正義は

「電力設備の不足などに必要な金はいつでも出しますから」

と常にNTT東西に伝えていたがNTT東西も困ったであろう。NTT東西は費用に関してすべて電気通信事業法関連のルールで動いている。そして、そのルールの下でNTT東西接続約款を作成している。この接続約款にないケースでは必要額の算出の方法がないのだ。もちろん、ソフトバンクが全額だすというのなら、NTT東西も了解するだろうが、いくらなんでもそれはできない。

仮に一時金をソフトバンクが払っても、後で、他社が利用する場合の他社負担分の料金按分のルールがない。さりとて、NTT東西も自社でリスクを負ってまで投資はできない。このジレンマを当時のルールでは解決できない。(おそらくいまも同じ状況だろう。)後から参入して利用する場合には、あえて厳密性を捨てて簡便な精算方法でも採用すれば事態は好転したと思うのだがそれもかなわなかった。この局面における孫正義のやや強引な交渉はいろは丸の龍馬と同じ顔を見ることができる。

NTT東西では余った設備は貸すが、将来投資に対するリスクは一切負わないことが相互接続の原則だ。たとえばNCCがNTT東西から中継回線を借り受ける場合でも、一年前に申し込む必要がある。そしてNTT東西はNCCが投資回収を担保する設備投資のみを行う。

こうしたジレンマを意識して、前大阪大学大学院教授で後に放送大学教授の林敏彦氏が審議会等で指摘していたことがあった。

「NTT東西の投資リスクをどう接続費用負担に反映させるか」

当時からリスクなくして事業なしの孫正義とリスクを避けるNTTの構図が浮かび上がる。その後孫正義は次のようにリスクを取ることの重要性を述べている。

意図してそこにリスクを取りにいっている。意図して情報産業のジェントレになりたいと、我々はやってきているということであります。つまり情報革命に必要なジェントレ、これを我々が買って出ているわけです。SoftBank World 2017


 

参考
1982年10月1日 電気通信審議会発足 その後下記の様々な課題を諮問され答申している。
1984年1月31日 「21世紀に至る電気通信の長期構想」新規参入の促進 ネットワ-クの相互接続の確保
1985年3月15日 「電気通信事業法第94条の審議会を定める政令」を閣議決定し、第一種電気通信事業者の許可等を諮問する機関として定める。
1986年1月30日 第一種電気通信事業者の算定方式に総括原価方式を答申。
1990年3月2日 最終答申 市内市外各一社に分割を提言。但し政府は5年間凍結を決定。
1992年情報通信高度化ビジョンを答申 B-ISDN CATV衛星を重視。
1994年5月31日 「21世紀の知的社会への改革に向けて」を答申 副題 情報通信基盤整備プログラム
1997年6月17日 情報通信21世紀ビジョンを答申
2000年2月9日 地域通信網の接続料金の在り方について答申 長期増分費用方式の導入に賛意 2000年末から4年かけて2003年度までに合計22.5%引き下げることを提言。
2000年12月20日 IT時代の競争促進プログラムを答申 NTTや電力会社の電柱・共同溝の開放 卸料金制度導入 支配的事業者規制の新設 電気通信紛争処理委員会の新設 NTTの条件付き規制緩和 ユニバーサルサービスのための基金創設準備
2001年1月6日 省庁再編成で電気通信審議会から情報通信審議会に名前を変える。
2001年3月28日 通信・電力・鉄道会社などの電柱や共同溝を開放する指針を発表。5年以内の利用計画のない電柱や共同溝の他事業者への開放を義務化。NTTは4月2日に標準実施方法をまとめる。一か月以内の回答や電柱使用料全国一律1600円を明記。
2001年7月19日 「21世紀におけるインタ-ネット政策」を発表。三大都市に集中するインタ-ネット接続点の分散化を提言。
2002年2月13日 「IT革命を推進するための電気通信事業における競争政策の在り方について」 ユニバ-サル基金創設に関する具体的な提言。
2002年8月7日 一種と2種の区分撤廃 ボトルネック設備保有事業者に規制 大口顧客への相対取引是認を提言
2002年9月13日 接続小委員会がNTT東西で異なる接続料金導入の答申案を電気通信事業部会に提出。11月28日 衆参両院の総務委員会が次年度以降もNTT東西の接続料金を均一にすべきとの決議を全会一致で可決。

 


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