まさおレポート

紀野一義の研究76 正法眼蔵の風光 一顆明珠の巻

紀野一義講演(youtube)メモです。


正法眼蔵講義に当たっての時代背景的イントロです。

道元は1200年に生まれた。法然が選択本願念仏集を1年前を著し念仏だけせよと唱えて流罪になり、親鸞も流罪になる。親鸞は法然が死んだので関東を放浪する。熱が下がらないときに夢の中で浄土三部経の文字がきらきら光って出てくる体験をする。 

西行も芭蕉も大戦争を経験していないので大詩人とは言えないという見方があるがちょっと面白い。

道元は1227年に宋から帰る。1237年は干ばつで淀川の川の水が無くなったり不穏な時代。乱世に偉大な宗教者がでる。道元1251年死ぬ。日蓮が鎌倉に出てきたときにあたりまるでバトンタッチするかのようだ。立正安国論を著し流罪死罪で死にかける。こうした難は 宗教家の大きな条件。

この宗教家たちは深い悲しみをもっている。これだけではない、祖師たちの出現にはほとけの意思が働いていた、出さずにはおかないという力が働いていた。

現代において、もうぼつぼつ偉大な宗教家が出ていただきたいものですね。

南禅寺であるとき着物姿の女性があつまり僧が一緒にお茶を飲むのはいいのですが不思議な感じがしました。僧としてなんかちょっと足りないという感じがしましたね。


正法眼蔵 95巻 岩波文庫版 全100巻 いまは絶版。 

本山版 死んで3年目弟子が75巻本ついで12巻本。永平寺に保存 他に入っていないものがある。

道元は死ぬまでに全部書き直すつもりであったができなかった。

 

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