4日に亡くなられた方の葬儀が昨日15日に執り行われた。今日の日本の通念からは亡くなってから随分日が経っての葬儀だがバリにいるとこれが普通に思えてくる。今まで長い年月を生きてきた人が亡くなったのだ、弔いには時間がいるのだという思いを強くした。多くの国で一日だけの通夜だけでさっさと火葬場に向かうことは、仕事優先、経済優先の事情があり仕方のないことではあるが、しかし事情が許すならばこれくらいの通夜が必要なのだ。しかし世界はますます忙しくなっており、十分な通夜は極めて難しいことになってくる。現在このバリのほかにどの国がこのような弔いを残しているのか。いずれにしても今後極めて少なくなっていくと思われる貴重な見聞をさせていただいた。
10日間の通夜の間には親族の集まりやガムラン演奏が連日あり、読経も連日あった。死者を退屈させない工夫なのだろうか。通夜の最終日には遺体を清めて何重にも布を巻き棺に収められる儀式が行われた。この日までに葬儀の黒牛のつくりものや棺を運ぶ塔が完成してくるのだろう。この制作だけを考えてもある程度の日数が必要で、短期の通夜では不可能なことがわかる。もちろん長い通夜の理由になるものではなかろうが。
葬儀当日は朝からガムラン演奏があり、火葬場に向かう塔や黒牛のつくりものが表の通りに並ぶ。正午近くになると一般の葬儀参加者も集まり始めている。外国人参加者はサロンを巻いたり、帯をまいたりして参加者であるシグナルとしている。居合わせた観光客もカメラを携えて行列の始まりを待っている。青竹で作った輿には美しく着飾り化粧した少女(亡くなった方のお孫さんたち)が乗り、男性6名が一人の少女を担ぐ事になっている。白黒格子の制服に三角帽を冠った一団も見える。この人たちは何をするのだろうか。別のドット柄の一団もいる。
正午を過ぎて白い布に巻かれた棺が表に運び出されてきた。はしご用に作られた木製のつくりものを使って塔に運び入れる。棺を巻く白い布は長く尾を引いて地上の親族がその一端を持って行列する。運び入れが終わるとすぐに行列は動き始めた。行列の先頭には腰に乗った少女がバリ伝統の傘とともに進む。次に黒牛のつくりものが行く。背中には孫の一人が乗っている。最後の塔のほうにはもう一人の孫が乗るというより、塔に沿うように立つ。そのあとを白布の一端をもつ親族、さらに参列者が続いていく。
黒牛のつくりものや塔は高さが電線に触れるほど高く重い。それを大勢の男が竹の組み物で担いで歩く。長い木をもった男たちが電線が横断している所にさしかかると電線を巧妙に持ち上げて行列が滞りなく通るように介添えをする。こうして火葬場までゆっくりと進み、荼毘にふされる。
その日の夕方海岸に出てみると、すでに火葬を終えた一行が海に灰を流すという最後の儀式を執り行っていた。サヌール湾に向かって座る親族の前には船が儀式を終わり船出するのを待っている。その横で祈りの歌を謳う一団がいた。湾に向かって座る一団の先頭に座る老いた喪主の背中に、通夜の間には見せなかった悲しさが表れているのを見た。