まさおレポート

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紀野一義の研究64 正法眼蔵3 人を救うことだけがさとりにいたる道

2022-02-14 | 紀野一義 仏教研究含む

以下は紀野一義講演(youtube)メモです。


さとりはさとろうとして得られるものではない。さとらされるものだ。

なにも持っていない時に人に会う機会に恵まれる。終戦で引き上げてきたときに山口の津山で東大教授や内村鑑三の一の弟子にであい豊富な読書に恵まれる。

氏は72歳になって再び自然と人に出会う生活をしたいと言う。これこそ黄金の70代だと。


唯仏与仏について。仏法は人の知るべきにあらず、ほとけがしるものだ。凡夫はさとれないという道元の言葉は驚愕の一節だと。

この意味をさまざまな観点から述べる。

さとろうとするとさとれない、さとりは自分で理解できるものではない、人を救うことだけがさとりにいたる道だと核心的なことを述べている。

あらゆる宗派のお坊さんと友達でよく知っているがさとったというひとが凡夫だという現実をたくさん見てきたと。

また、さとってもそれがずっと続くわけではない、再び鬼にかえることもあると自分の新幹線内での振る舞いに触れて説明する。

戦争中に焼夷弾を田んぼで処理中に米軍から機銃攻撃を受けたときのこと、部下の下士官が猛スピードで走ってきて氏を突き飛ばして事なきを得た。この下士官は自分の命のことなど少しも考えなかった。

母親はいつでも子供に対してほとけになれるとも。

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