まさおレポート

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幼年期の終わり

2018-05-06 | 小説 幼年期の終わり(UFO含む)薔薇の名前

「幼年期の終わり」初読でさらっと流し読みした程度だが、この名作はおいおい読み込んで感想を書き込んでいきたい。まずはざっくりとしたメモから初めて見る。

この名作の注目点は次の6点で、特に6.何故オーバーロードやオーバーマインドは人類を救済しようとするのかあからさまなテーマではなく、本文中に回答も無いが読者には常に疑問がつきまとう。その答えは読者に考えさせるしかけかも。

1.未来からの往還と未来の記憶。

2.悪魔つまりオーバーロードがオーバーマインドに奉仕している。オーバーロードは進化の袋小路に入りこんでいるというが何故だろう。

 ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟 大審問官的だ。

3.人類は平和でありさえすれば支配されていることに特段異議を唱えない。これも又ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟 大審問官的だ。

4.独裁国を懲らしめるには核が必要だったが副作用も多い、だから簡単な無線機を改造したもので事足りる。

5.救済と予知をうたうあらゆる宗教がオーバーマインドの存在によって存在理由と必要が無くなる。

6.何故オーバーロードは人類を救済するのか。

7.それでもりんごの木を植えるという覚悟が泣かせる。

1.未来からの往還と未来の記憶。

オーバーロードは悪魔の姿をしている。そして人類がもつ悪魔のイメージはこのオーバーロードなのだという時間の逆流が示される。宇宙次元では実は未来からの往還が可能なのだ。

2.悪魔つまりオーバーロードがオーバーマインドに奉仕している。

オーバーロードは進化の袋小路に入りこんでいるというが何故だろう。

「オーバーマインド」がオーバーロードを管理している。
 やがて、意外なことがおこる。総督たちがそれまでひたすら隠してきた姿を見せたのである。なんとその姿は翼と角と尾をもった悪魔そのものだった。しかし、もっと意外ことがおこる。地球の人間たちはこの不愉快きわまりないオーバーロードたちの姿に、言い知れぬ親しみをもちはじめたのだ(この、宇宙人が悪魔に似ていること、その悪魔のような姿に人間や子供たちが親しんでいくという発想は、その後のすべてのET映画の原型になった)。

地球には国家がムダになり、犯罪や殺人がむなしいものとなり、教育はすっかりさまがわりして、大学を予定通り出ていく者などなくなった。何度でも大学に戻ってくるのである。一切の宗教が力をなくし、ほとんど無用になっていった。わずかに生き残ったのはアジアの一部の地域の仏教だけだった。
 オーバーロードたちと地球人の釣り合いがとれない共生が始まったのだ。そして数十年が過ぎていく。

3.人類は平和でありさえすれば支配されていることに特段異議を唱えない。

これも又ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟 大審問官的だ。

米ソの宇宙開発競争が熾烈さを増す20世紀後半のある日、巨大な円盤状の宇宙船多数が世界各国の首都上空に出現する。

宇宙人の代表はカレルレン 今後地球は自分達の管理下に置かれることを電波を通じて宣言する。カレルレンは国際連合事務総長ストルムグレンを通じて地球を実質的に支配し、その指導の下、国家機構は解体してゆく。地球人はこの宇宙人を「オーバーロード」と呼んだ。

ストルムグレンは地球人としてはただ一人、オーバーロードの宇宙船に立入りを許されたが、オーバーロードは決して生身の姿を見せようとしない。ストルムグレンの定年退官直前、カレルレンは「50年後に生身の姿を公開する」ことを約束する。ストルムグレンはカレルレンの姿を見ようと一計を案じ、退官の日に実行するが、その結果については黙して語らなかった。

カレレン総督の演説がおわると、地上のめいめい勝手な主張などが通用する時代に一挙に幕がおりたことが明白になった。国連事務総長のストルムグレンや総長代行のライバーグ。オーバーロードが提供する知能を越えられない。それよりもなによりも、地上のすべての決定力よりも、この知的円盤体がくだす指導や決定のほうが、あきらかに地球全体の知恵を足し算したものよりも秀れたものであることが了解されてしまった。

5年にわたって知的円盤だけが上空にいつづけた。あるときはロンドン上空に、あるときはモスクワ上空に、あるときは東京上空に、あるときはマドリッド上空に。地球上のすべての意識の機能はすっかり変わっていった。「オーバロード」は地球中を平和にし世界市民化する。

4.独裁国を懲らしめるには核が必要だったが副作用も多い、だから簡単な無線機を改造したもので事足りる。

国家によっては、この得体のしれぬ"超存在"に抵抗したところもあった。が、ミサイルを打ちこんだところで何もおこらない。びくともしないばかりか、何の報復もない。ミサイルを打ちこんだ国では報復を恐れた陣営とさらにミサイルを打ちこんだ陣営とのあいだに対立がおこり、そのうち両陣営は知的円盤が上空に存在するというただそれだけの圧力の前に、瓦解してしまった。

南アフリカでは人種差別が甚だしかったのだが、総督はそのアパルトヘイト政策を何月何日までにやめなさいと警告し、それでもその日まで南ア政府が何もしないでいると、太陽がケープタウンで子午線を通過する前後30分のあいだ、太陽を消してしまったのである。

このためその影響を被った地域では輻射エネルギーを失って、どうしようもなくなった。翌日、南ア政府は人種差別の撤廃を発表せざるをえなくなっていた。スペインの闘牛を痛みでやめさせる。

そして簡単な無線機を改造しただけでできる人の脳に四六時中語りかける装置がヒトラーでさえコントロールできる。

5.救済と予知をうたうあらゆる宗教がオーバーマインドの存在によって存在理由と必要が無くなる。

 「おびただしい数の人類の救世主がその神性を失うことになった。冷たく、感情の入り込む余地のない真実の光のもと、2千年にわたって何百万もの人々の心を支えてきた宗教は、朝露のようにはかなく消えた。それらによって巧妙に作られてきた善と悪は、すべて一瞬にして過去のものとなり、人類の心を動かす力を失った。」「新しい時代は、宗教と完全に縁を切っていた。」

オーバーロードがやってくる前の時代に存在していた信仰のうち残っているのは、純粋な形の仏教(あらゆる宗教のなかで、おそらくもっとも厳格なもの)だけだった。奇跡やお告げをよりどころとしていた宗派はことごとく破綻した。」

ここで言う「純粋な形の仏教」は、いわゆる小乗と唯識と思われる。「救世主」を立てるキリスト教、イスラム教、大乗仏教の阿弥陀信仰や菩薩信仰も滅びた。これはどう考えるべきか。悪魔がオーバーロードの未来の記憶ならばオーバーマインドも未来の記憶としてキリスト教、イスラム教、大乗仏教の阿弥陀信仰や菩薩信仰に転じたとも解釈できる。未来の記憶は時間が逆転するという視点での説明だ。

オーバーマインドとはずれているので滅びてしまったが、純粋な形の仏教のダルマだけはオーバーマインドの視点からもずれていないので生残合ったと解釈してみる。霊の集合体となったオーバーマインドと一致したということか。

 二人の沙門は、ひたすらその完全な安らかさ、その姿の静けさによって、仏陀を見たわけだ。そこには、何の求めるところも、欲するところも、まねるところも、努力するところも認められず、 光と平和があるばかりであった。

 その静かに垂れた手は、さらに、静かに垂れた手の指の一つ一つまでが、平和と完成を語っており、求めず、まねず、しおれることのない安らかさの中で、しおれることのない光の中で、侵すことのできない平和の中で、穏やかに呼吸していた。

その手の指の一つ一つの関節が教えであり、真理を語り、呼吸し、におわせ、輝かせている、と思われた。この人、この仏陀は小指の動きに至るまで真実だった。この人は神聖だった。 (『シッダールタ』新潮文庫 高橋健二訳

幼いフラニーが冷然と聖書を棄てて、まっすぐに仏陀に赴くのはここのところさ。仏陀はかわいい空の鳥たちを差別待遇しないからね。J・D・サリンジャー

「僕はただ仏教の、この世はすべて苦なりという真相に心を惹かれただけ。」ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』

「仏教的な考え方こそ未来を開く答えだと思う」アレン・ギンズバーグ 

 6.何故オーバーロードは人類を救済するのか。

50年後。大都市上空にあったオーバーロードの宇宙船は、ニューヨーク上空のものを除いて忽然と姿を消す。天文学者ジャン・ロドリックスはオーバーロードの出現によって人類の宇宙進出が挫折したことを遺憾とし、クジラの剥製標本に潜り込んでオーバーロードの母星に密航する。

一部の芸術家達は、地球人固有の心性を守ろうと太平洋の火山島に独自のコミュニティを作る。コミュニティに住む子供達に異変が起こり始めた カレルレンは人類へ向けて最後の演説を行なう。

地球人はその多くがテレパシー癌とでもいうべきに罹っていて、それは「精神そのものが
悪性腫瘍になっている状態」になっている。

80年後、ジャンがカレルレンの演説を知らないまま地球に帰還する。彼を迎えたのは変わり果てた地球。カレルレンはジャンに真相を語り、協力を要請する。やがて最後の時が来た。地球を脱出するオーバーロードの宇宙船に向って、ただ一人地球に残ったジャンは、地球の悲壮で華麗な滅亡の様子を実況する。

オーヴァーロード自身は、人類のようにオーヴァーマインドへ進化する可能性が無いと断言されていることだ。確かに卓越した能力、科学技術、知性を持ってはいるが、しょせんそこまで。彼ら自身はすでに完成されてしまっており、社会や種族としての発展はすでに袋小路だというのだ。

オーヴァーロードたちは、実は宇宙を統べる超強力な精神体「オーヴァーマインド」に奉仕する種族であった。

その能力を活かして、宇宙に存在する知的生命体が、オーヴァーマインドの一部へと進化することを促進する役目を負わされている。

その進化の種として今回選ばれたのが地球人類というわけである。

そして、新世代の子供たちは、もはや親たち旧世代には理解の及ばぬ存在へと変貌を遂げ、最終的にはオーヴァーマインドへと進化し、彼らと一体化する。SI、群知能を連想する。

この変貌・進化・統合の過程こそが、タイトル「幼年期の終わり」の意味であり、すなわち人類史の終わりだ。

 「地球は何かに促されている」 ジュール・ラフォルグや稲垣足穂、沼正三を連想。 

7.それでもりんごの木を植えるという覚悟が泣かせる。

ジャンやオーヴァーロードたちの、自分にはどうにもできない状況の中でもできることをする、ジャンという旧人類の青年が唯一の人類の生き残りとして地球に残り、滅びを見届けることを選択する。科学者だった彼は、自らの余生の短さを悟り、過去に才能の面で諦めたピアノに再度向き合い没頭する。なんせ彼は、今や世界最高のピアニストなのだから。この、覆せない終わりを見据えつつも、自分のやりたいことに向き合うところが切なくて感動的だ。


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