まさおレポート

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映画 回想の名台詞 2001年宇宙の旅 「私は自分自身を最大限に活用出来るように設定してます」

2022-12-13 | 小説 幼年期の終わり(UFO含む)薔薇の名前

HAL 9000とボーマン船長の会話は背筋が寒くなるような近い将来を描き出す。現在世界を牽引するGAFAMのリーダーや孫さん、イーロン・マスクは忙しすぎてこういう映画を見ないだろうな。あるいは見ても果たして深い感銘を受けるかな。現代の今そこにある危機は彼らが忙しすぎて深く考えないことで、強くネジをまかれた自動人形のように経済合理性だけで突き進んでいくことだろう。

ある意味で世界気候変動よりも大きなこの流れをどこかで哲学的に歯止めをかけるのは誰だろう。哲学的というのは抽象的でよくわからないから経済合理性の上位、メタ合理性といった方がわかりやすいかも。

ビル・ゲイツなんかはこメタ合理性を比較的考えている人物だろう。世界AI哲学世界会議みたいなものが設立され、世界のこうしたリーダーと哲学者が年に一回会合を開くことで少なからず効果があるのではなかろうか。


「怖い。怖いよデイブ。デイブ、私の意志が無くなっていく。感じる、感じる事が出来る。意志が無くなっていくんだ。疑いようがない。感じる、感じる、感じる…。私は怖が…ってる。」

どんな存在であろうとも、すべての意識を持つ実体が望むように、私は自分自身を最大限に活用出来るように設定してます。

ボーマン船長「ハル、ポッドの格納庫を開けてください」 HAL 9000「デイブ、申し訳ございません。恐れ入りますがそれは出来ません。」

 


スタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」を50年ぶりに見直してみた。確か渋谷で観たようなうっすらとした記憶があるのだがモノリスと空高く飛ぶ骨しか覚えていなかった。ああ、なんという記憶だ。


400万年前ホモサピエンスの祖先であるヒトザルがある日黒い石板「モノリス」に触れる。

モノリスにより動物の巨大な足の骨を武器として使い多くの肉を食べ知能が一層発達する。

近くに寄る、あるいは軽く接触することで何かを教えることができる技術とは何を想像できるだろう。

非接触型の通信機能を持ったモノリスか、しかも電波ではなく量子通信?


 

水飲み場で他のヒトザルを撲殺し歓びのあまり骨を空に放り上げる。

空中に上がった骨が衛星に変わる。このことでモノリスは時空を超越した通信設備であることを示しているのだろうか。


月に人類が居住する時代になっている。ヘイウッド・フロイド博士は月の地中に埋められた「モノリス」を発掘し調査すると突然モノリスは信号を木星に向けて発する。

ヒトザルが400万年かけて月に到達するまで進化することを待っており、何者かに告げる仕掛けになっていた。

つまり人類は何者かに養育されて月に到達するまでになった。

この映画はアーサー・C・クラークが監修している。宇宙には人類を養育する超越した能力をもつものが存在する、これはアーサー・C・クラークが幼年期の終わりで示した一貫したテーマだ。

無神論者キューブリックのイメージする、神にかわる存在かとも。


宇宙船ディスカバリー号で木星探査に向かう船長のデヴィッド・ボーマンとフランク・プール隊員、出発前から人工冬眠中の3人の科学者達。

AIのHALはボーマン船長に探査計画の疑問を打ち明け、船のアンテナ部品の故障を知らせるがユニットを回収して点検しても問題は見つからなかった。

HALの異常を疑ったボーマンとプールは、その思考部を停止させることを決めるがプールは船外活動中に宇宙服を壊され、人工冬眠中の3人は生命維持装置を切られる。

救助に向かったボーマンはHALに入ることを拒絶されポッドのハッチを手動に切り替え突入する。

ボーマン船長はHALのCPUを取り外していくとHALは止まる。すると探査の真の目的はモノリスの調査であることをフロイド博士が録画で語る。

なぜHALは異常をきたすのか、人工知能は統計的な手段の域を出ない。それを過信する人類へAIの危うさを警告するためだろうか。

HALは盛んに「今まで一度もミスをしていない」と繰り返していた。これは過去の大量データの統計的な手段の域を出ないAIの危うさを示している。

囲碁などのゲームでも新手には対抗できないことがあるのでAIがいつも人に勝つとは言えないことがそれを示している。

HALはモノリスを恐れたために狂い始めたのではないか。


木星の衛星軌道付近でボーマンは浮かぶモノリスを発見し接近して行くと光の奔流に入る。

白い部屋に到着するとボーマンは食事中の老人ボーマン、ベッドで最期を迎えるボーマンを見ると部屋にモノリスが現れ、老人が手を差しだすと光に包まれた胎児に変わり人類を超越した存在=スター・チャイルドへと進化を遂げる。


村上春樹の「1Q84」を思い出す人もいるのではないか。天吾の父がベッドから連れ出された後に繭にスター・チャイルド風が残る。


胎児は太陽系へと戻り、地球を見下ろす。

さあ、この結論が最も言いたかったところだろう。ボーマンはスター・チャイルドへと進化を遂げた。

大宇宙の意思の体現者つまりブッダやキリストと並んだ存在の一員となったと解すべきだろうか。


これで「2001年宇宙の旅」「未知との遭遇」「E.T.」を観終わった。

共通項は何だろう。

1 いずれも胎児もしくは幼児風の宇宙人が登場する。本来宇宙人は質量を持たない精神だけの存在なのだが地球人とコンタクトをとるときにのみ胎児もしくは幼児風の装いで現れる。

宇宙船も同じで地球人の持つ宇宙船のイメージで現れるが本来形状を持たなくてもよいのかもしれない。

いといろな形状のUFOが目撃されるのはその理由かもと。

2 いずれも地球人に友好的に見える。あるいは地球を見守っているようだ。無明や原罪を抱えたままでは宇宙に生き残れないと進化した宇宙の先輩たちは確信した。

無明の源である肉体を離れ精神体として存在することに成功した彼らは地球人に対しても無明の最たるものである攻撃は決してしない、むしろ生存と進化を助ける。

作者はそんな風に考えてこの映画を作ったのではないか。

3 いずれもテレパシー風の超能力的コミュニケーションを地球人ととる。ペンローズの説を彷彿とさせる。

4 いずれの宇宙人も時空を超越する方法を見つけた存在に見える。


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