まさおレポート

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バリの風景 宮殿の構造

2014-12-01 | バリ島 文化・風習・葬祭・ヒンドゥ・寺院・宮殿

宮廷

バリの王族が住んだ、そして王政がなくなった今も住んでいる宮廷。下図はかつての王宮のモデル図。おそらく1キロ四方はあるだろう。内部の各コートごとにも立派な門がある。人の住まう家屋は広大なスペースのごく一部を占めるに過ぎない。

「数え切れないほどの中庭には家財、織機、生贄用の道具などのいっぱい詰まった建物や、夫人達、親戚、役人、召使い、奴隷とその家族の住居が建て込んでおり、主庭に通ずる入り口の物見の塔の所で・・・領主自身の館と大きな謁見の間とは第二の庭にあり・・・」 バリ島物語より

山側を背にして建てられている。ジェロアン、ジャボ・トゥンガー、アリンアリン(Aling-Aling)調理場、米蔵、闘鶏場が点在する。

バリ島物語より

「第4の庭は闘用の雄鳥の小屋で独占されていた。・・・火喰い鳥、バリの西部で捕まえた赤くて胸が緑色の鸚鵡、ロンボクから来た白鸚鵡。・・・粗い毛並みの馬、水牛、黒豚、・・・三匹の亀が饗宴に使えるように飼われており、・・・米の倉、・・・穀物を打つ床、・・・厨房、・・・食料倉庫、・・・生贄の供物を準備する小屋、・・・影絵芝居の人形を納めた建物があった。」バリ島物語より

「彼はもう一度阿片を詰めるために煙管を少年に渡した。・・・吸っている限り、ものはみな善く、こころは平和だった。他の時には、原因のない憂鬱に打ち負かされるときが多かった。・・・この世に余りにしばしば転生して来たために、疲れ切ってしまった魂をもって生まれ出たごとくに。」 バリ島物語より

当時の王達は盛んに阿片を吸っていたらしい。バリ島の美術館などでもアヘンの吸引具を見ることができる。

トリロカ

屋根はトリロカの世界観では神の在域になる。

シドニー大学調査団資料より引用 40年前の屋根裏写真

アリッツ ロビーの屋根裏

アリッツの赤い屋根

アリッツのアランアラン屋根

藁葺きのバンガロー。この藁はバリではアラン・アランと呼び植物性の葺きの総称だ。バリではこのアランアランの屋根に限らず瓦屋根で、長年絶っても雨漏りしない屋根は希有らしい。バリでは屋根は何年か経てば雨が漏るのが常識で屋根職人も自分の葺いた屋根が雨漏りしても特に気にしてはいないとこちらのホテルオーナーから聞いた。バリの自然環境では、雨漏りも自然な風景として受け入れている。次の写真はアランアランの一つ。

アラン・アランの材料になる葉

藁ぶき屋根に載せてある瓦も劣化すると恐ろしい。劣化していても誰もチェックしていないので、いつ何時落ちてくるかわからない。藁ぶき屋根はバウンドするのでかなり遠くまで飛ぶ。現に大人が柱にもたれかかっただけで瓦が数枚ものすごい音を立てて落ちた現場に遭遇した。以来、屋根の下はできるだけ注意して通る。日本では人災だがバリでは天災扱いになる。

ご近所の赤い瓦で葺いた屋根

 

サヌールのレストラン WARUN MINAの天井

朽ちたアラン・アランの屋根

味のある瓦

バリの門

kori aring kori agung とはバリの門のことだが前者は庶民の家の門で後者は宮廷や寺、最近では政府の庁舎や会社の門に使われる立派な門のことを指す。

 

タマンアユン寺院のkori agung べサキ寺院に次いで大きなタマンアユンは1643年に建立されたという。

ベサキ寺院の割れ門チャンティ・ブンタル candi bentar タマンアユンの門は割れていないが、ベサキは割れている。この違いはなんだろう。

ベサキ寺院

アリッツホテルの門 王族のためだけに開ける。 

ボマ(BOMA)

アリッツ門の上部装飾はボマ(BOMA)と呼び、悪霊を追い払う。

アピ・ラワン apit lawamg

同様に門の傍にあって悪霊を払うものがapit lawamg。門はsex organでapit lawamgはballとも解釈される。つまり門は受け入れ、apit lawamgは攻撃するという意味か。

サル顔 サヌール海岸沿い

サル顔 サヌール海岸沿い

ホテルの玄関口に ホテルだけあって恐ろしさを抑えてソフトな表現になっている

これもホテルの玄関に

 

近所の寺の入り口

ホテルの門のサイドに

ホテルの正面に

メル(塔)

ベサキのメル(塔) 9層

 

 

日本の卍と逆向きに注目

メモ

サンガー 家寺 アグン山の方向 場所によって北東の場所 貴族はムラジャン バレ 壁のない吹き抜けの建物


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