親友が亡くなったあとに津山の姉の嫁ぎ先でその友の霊が出た。それも丑三つの二時に。二十二歳の氏は 成仏してくれとさけぶ。
凍りつくような冷気が襲い、胸を押さえつけられる気がして跳ね除けて起き上がると紀野と呼びかける友人の声が聞こえた。
氏は妄想かもしれないと慎重にのべている。復員後に津山で見た過去帳で家族を失ったことを知りでも夜にも二時に胸を締めつけられる体験をしている。
他の書でも語らないだけでいくらでもその種の経験をしていると記す。
どうも日本の仏教界ではその種の話はタブーとまではいかないが低級な話として躊躇させる空気があるようだ。しかし氏はリアルをつたえたいのだろう。たそういったことも語ってくれる。
一方で父の話を引き 死ねば仏の命に戻るとして虚しさを超えて空に至っている
婚約者も結核で亡くしている。生まれて三日で子供を亡くし父母兄妹二人も原爆で無くす 津山でも友人二人を亡くしている 甥っ子の死など
他人に尽くしていくことが使命だとの思いものべられている
こういう人を菩薩と呼びのだろう。
禅の坊さんに対しては素晴らしい師家もいればおかしな方も多いと正直な感想を記されている。妙に豪傑ぶった方や禅臭ぷんぷんの人を嫌っている。清々しい雲水に言及するときには尊敬を示す。
人の顔をひょいと見たとき、どこを見るか。わたしはいつも眉間の晴れやかさを見るのである。 ある禅者の夜話p149
すっきりするには、貧が一番いい。もちろん、貧乏では、今のような世の中では生きて行かれないから、我々の貧といえば「執着のないこと」である。執念深いことと、執着のないことが同居していなくてはいけないのである。 ある禅者の夜話p150
木に刻んだ仏像、土をこねて作った仏像等々、たとえ粗末な仏像であっても、仏像は無条件で敬わなくてはならぬ。・・・どんな粗末な仏像でも、仏像というものは信心によって作られたもの、拝まなくてはならぬのである。拝めば拝んだだけの功徳があると、今の私は信じている。
首のとれた仏さま、鼻のかけた観音さまなど道の端にほおってあるものを供養しているうちに幸せになるということは、たしかにあると思う。 ある禅者の夜話 p154
悪鬼ばかりいる世界には、悪いことばかり起きるのである。わたしの逢った交通事故についていうと、わたしがぶつかった所は、深大寺の表参道へ出てくるところなのであるが、そこは、過去何回となく同じ事故が起こっている。・・・同じことが起こるということは、人を同じ災難に誘い込む鬼がいるのではないだろうか。
ただ人間の不注意というだけでなしに、もっと何か不可抗力のようなものが動いているのである。恐ろしいことである。 ある禅者の夜話p254
わたし自身にもいろんな鬼がくっついているらしいから、自分でも困るが、困りながら、やっぱりちゃんとしたいなと思う、それが人間として大切なところだと思うのである。 ある禅者の夜話p258
空の理解はむつかしいが、氏は体験的に語っているのでわかりやすい。
空しさの方は「虚空」、大らかさの方は「空」。
極限の空しさを超えた大らかな世界が空、なるほどな。
わたしは、広島に育ち、旧制の広島高校を出て東大の印度哲学科に学び、二年生のとき学徒動員で召集されて戦場に赴いた。終戦と同時に中国軍の捕虜になり、翌年の春ようやく帰国した。父母姉妹はすでに原爆で死に、故里の町 はあとかたもなくなっていることは未だなにも知らず、ちょうど三月一日、新円切替の日に大竹港に上陸したのである。大竹から広島まで列車で運ばれ、夕方広島駅に降り立った。帰還軍人なのでもの凄い格好をして改札口に出て来たら、柱のかげから若い警官がじっとわたしを見ている。挙動不審と思ったのであろう、「あなた、どこへ行きますか」と訊ねる。「家のあとがどうなっているかたずねて行ってみたい」と答えると、「夜になると強盗が出るから、あなた、行くのよしなさい」という。
わたしは別に盗られるものもなし、「別に恐くないから行きますよ」というと、この警官は人の頭の先から足の先までじろじろ見廻して、「そうですね、あなた、見たところ強盗みたいな風態(ふうてい)だから、まあ大丈夫でしょう」という。こうして、夕方おそくわたしの家のあとをやっと見つけたのであるが、あるのは瓦礫ばかり、雨に打たれて塔婆が一本斜めに立っているぱかりであった。悄然としてまた駅に戻って来ると、駅の柱のかげにさっきの警官が立ってじっとこちらを見守っている。わたしが無事に帰って来るかどうか見ていたのであろう。「どうでした」という。「どうもこうもない。なんにもありゃしません」と、つっけんどんに答えた。すると、「あなた、今晩どこへ泊りますか」という。「どこにも泊るあてはない」というと、「それじゃ、わたしについていらっしゃい」といって、わたしを交通公社の職員の寝泊りしている部屋に連れて行ってくれたのである。
そこで一夜を明したのであるが、そこの若い二人の職員がご飯を炊いて食べさせてくれた。当時は、泊めてやった復員軍人がよく強盗に早変りした時代である。それを二人の青年は泊めてくれた上にご飯まで炊いて食べさせてくれた。その親切がひどくこたえた。見ず知らずの若い二人の青年の無償の親切、これが今日までずっとわたしの心を支配している。大勢の他人がわたしを支えてくれるのだとう感じが、そのときから今日まで変わりなく続いているのである。
それから岡山県の津山という山間の域下町に嫁いでいた姉を頼って行った。姉はわたしが沖縄の戦場で死んだと思っていたから、玄関に棒立ちになって、幽霊でも見るように上から下まで見上げ見下して、台所へ飛んで行って泣き出す。仕方がないのでわたしはひとり仏間へ入って過去帳を一枚ずつめくって六日のところを披(ひら)いた。その過去帳の一枚一枚の重さをわたしはまだ指の先に覚えている。眼をつぶって、思いきって六日のところを披いたら、見たこともない戒名が四つ、ずらっと並んでいた。しばらく身動きもできず、黙っていた。それからのろのろと立ち上り、持って来た甘いものなどを供えて法華経をよんだ。
その晩は早く寝みなさいというので、少し離れた客殿というところに寝た。今でもよく覚えているが、時計が遠くでポーン、ポーンと二つ鳴ったとき眼を覚ましたのである。なにかに胸をぐっと押えつけられたような気がして、びっくりして布団を刎ね返して飛び起きたら、背中のあたりから全身の力が抜け落ちて腑抜けのようになって、恐ろしいほどさびしくなって、恥ずかしい話だが二時間ばかり獣のように泣いた。人間は一生の中一度は獣のように泣く時があるそうであるが、その時がそうだったのかも知れぬ。布団を引っ被って坤きながら泣いて、泣いて、泣き通した。
それが、不思議なことに、四時になって時計がボーンボーンポーンポーンと四つ鳴ると同時に、それこそ憑き物が落ちるように、ストッと一時になにかが抜け落ちた。それを境にして、さびしくもかなしくもなくなったのである。父も母も姉も妹も、死んだという感じがまるでしなくなったのである。体の中からなにかが脱け落ちた。死んだんじゃない、仏のいのちに帰ったのだという確信がぐんぐん胸の中にひろがって来た。そのとき思い出したのが、死んだ父親の教えてくれたことばである。子供のときから教えられたことばである。
「人間というものはな、死んだら仏のいのちに帰るんだ。死ぬんじゃない 。仏のいのちに帰るんだ」
それまでどういうことなのかよく分らないでいたそのことばが、はじめて、ずしいんと体の底までこたえた。
人間のいのちは死ねば仏のいのちに帰る。この考えはそのとき以来ずっと変っていない。いよいよ深くなるばかりである。知人朋友を亡くしてもこの思いに変りはない。もちろん、人間のことであるから、さびしさ、かなしさ、せつなさには堪えぬ。しかし、それだけではない別のもの、仏のいのちに帰したという安らかさがいつもわたしの感慨の底に横たわっているのである。
わたしは、今でも自分のまわりに父母や姉妹が居るような感じを持っている。それは証明しろといわれても証明のしようがない。証明しようがないだけそれだけわたしにとってはどうすることもできない真実である。
この二時間の慟哭の中で感じとったのは、なんともいえぬむなしさであった。死ぬべきはず の者が生きのび、生きてあるはずの者たちが死ぬ。せっかく生きのびて故国に還って来たのに、愛する者たちはみな死んでいたというこのむなしさは忘れられぬ。同時に、このむなしさの向うからひらけて来たあの大らかな世界も忘れられぬ。わたしの心の中にはいつもこの二つのものがある。空しさの方は「虚空」、大らかさの方は「空」。わたしの心の奥には、虚空と空とが重なり合っているようである。
こういう意味の「空」ならば、わたしにはよく分る。いろんな人と話していると、眼の色や態度で大体どんなことを考えているか分る。わたしが今まで出会った人々の中で、なつかしいと思った方々はほとんど全部、この空しさを通り抜けて「空」に至った方ばかりである。円覚寺の朝比奈宗源老師しかり。南禅寺の柴山全慶老師しかり。藤沢市鵠沼にご退隠の中川日史貌下しかりである。
現代に生きているわれわれは、空しいということをほんとうに体験し、それを突き抜けたところにほんとうの空がひらけて来るのだということをよく味ってみるべきである。 禅―現代に生きるもの (NHKブックス 35)
紀野一義の研究 10 禅 現代に生きるもの
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