まさおレポート

当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので右欄のカテゴリー分類から入ると関連記事へのアクセスに便利です。 

パタゴニアの大地 ハイライト11

2025-03-12 | 紀行 チリ・アルゼンチン

闇に溶ける影

部屋へ戻る途中、ふと視線の端に黒と白の影が動いた。近づいてよく見ると、それはスカンクだった。尾をふわりと膨らませ、慎重に足を運びながら、静かに夜の闇へと紛れていく。

狂犬病を持つことがあるため、ホテルでは餌付けなどはしないという。それでも、この小さな生き物がパタゴニアの広大な大地でひっそりと生きている姿には、どこか愛らしさを感じる。

スカンクはネズミや昆虫を捕らえて食べるが、その名を広く知らしめるのは、やはり悪臭だろう。肛門嚢から放つ分泌液は、わずか数滴でも強烈な匂いを放ち、天敵さえもひるませる。彼らの持つ「最後の武器」だ。

遠ざかる小さな影を見送りながら、夜の静寂の中に、自分もまたこの広大な自然の一部として溶け込んでいくような気がした。

木立の小径を抜けて

ディナーを終え、ほのかに残るワインの余韻とともに部屋へ戻る。敷地内には小さな橋がかかっており、そこを通り抜けると、宿の棟へと続く小道がある。

橋の手すりは深い赤茶色に塗られ、かすかに木の香りを残している。両側にはしなやかに枝を広げる木々が生い茂り、夜風にそよぐ葉音が心地よい。

静かな夜、橋の上で立ち止まり、ふと振り返ると、ロッジの灯りが木々の隙間からぼんやりと浮かび上がる。その向こうには、果てしなく広がるパタゴニアの大地が横たわり、空には幾千もの星が散りばめられていた。

時間がゆっくりと流れているような感覚。旅の終わりに近づくにつれ、こうした何気ない風景が、ひときわ胸に沁みるのを感じた。

 

静寂の朝、広がる大地

夜明けとともに、パタゴニアの空は昨日の色彩の饗宴をすっかり忘れたかのように、穏やかに静まり返っていた。雲は白く、空はどこまでも青く、風はほとんど吹いていない。

ロッジのダイニングで、温かいパンとフルーツ、淹れたてのコーヒーを楽しむ。窓の外には、どこまでも続く大地が広がり、その遥か彼方にパイネの鋭い峰々が青白く浮かんでいる。昨夜の騒がしさが嘘のように、グループツアーが出発した後のロッジは、深い静けさに包まれていた。

パタゴニアの朝は、旅人の心を浄化するような力を持っている。ただそこにいるだけで、世界の雑音から解き放たれ、自分自身と向き合う時間が流れ出す。風の音すら遠慮しているかのような静寂の中で、ゆっくりと朝食を味わった。

ロッジ周辺のトレッキングとガウチート・ヒル

チェックアウトを済ませ、ロッジの周りをトレッキングすることにした。簡単なランチを持ち、ひとまず村の小さな民家の前からスタートする。広大なパタゴニアの大地の中で、ぽつりぽつりと点在する家々は、どこか心許ないほどに孤立しているように見えた。しかし、そこには確かに人の営みがあり、長い歴史が刻まれているのだろう。

道すがら、ガウチート・ヒル(Gauchito Gil)の祠を見つけた。赤い布で飾られたその小さな祠は、アルゼンチン全土に点在する。日本の地蔵尊にも似たこの聖人は、19世紀のガウチョ(牛追い)で、貧しい者のために盗みを働き、最期には処刑される。しかし、彼は処刑人に「お前の息子が病に倒れるが、私に祈れば救われる」と言い残し、それが現実となったことから、奇跡を起こす存在として信仰を集めるようになった。

この話を聞いて、頭に浮かんだのは映画『明日に向かって撃て!』の主人公、プッチ・キャシディの姿だった。19世紀末のアメリカ西部で、鉄道会社や銀行を標的にしながらも、貧しい人々には手を差し伸べる義賊のような存在。彼もまた、仲間とともに南米へ渡り、最期を迎えたとされる。

ヒルとキャシディ――法に背きながらも、人々の心の中では英雄として生き続ける二人の男。その物語を思いながら、パタゴニアの乾いた風の中を歩き続けた。

セロギド小学校とパタゴニアの子どもたち

小高い丘を登ると、白い壁と赤い屋根の建物が目に入る。ここがセロギド小学校。現在は夏休み中のため、校舎の周りには人影はないが、風に揺れる草花の間に、かすかに子どもたちの声が残っているような気がする。

この広大なパタゴニアの地に暮らす子どもたちは、どんな日々を過ごしているのだろうか。最寄りの町までは何十キロも離れ、学校へ通うのも決して楽な道のりではないはずだ。しかし、ここで育つ彼らは、大自然を身近に感じ、都会とはまったく異なる時間の流れの中で成長していくのだろう。

ふと、窓の向こうを見やる。教室の奥には、小さな黒板がかすかに見えた。そこには、誰かが書き残した文字がうっすらと残っている。夏休みが終わり、この校舎に子どもたちの笑い声が戻る日を思い描きながら、私はしばしの間、この風景に見入っていた。

パタゴニアの薪と暖炉の温もり

広大なパタゴニアの風景に溶け込むように、山積みにされた薪が目の前にあった。夏の陽光に照らされたその木肌は、まだ生々しい切り口を見せている。遠くには、白いトラックが停まり、静かに薪の搬入が行われている様子がうかがえた。

この地では、たとえ夏であっても薪は生活の必需品だ。朝、レストランに入ると、暖炉の中で薪が静かに燃えていた。揺らめく炎が、広がる冷たい空気を和らげ、室内にはどこか懐かしい温もりが満ちていた。パタゴニアの風は一年中冷たく、夜には一気に気温が下がる。そんな厳しい自然の中で、人々の暮らしを支えるのが、この薪なのだろう。

ふと、薪の山に手を触れると、まだ少し湿り気を帯びた感触があった。ここでは、一つ一つの薪が、寒さを凌ぐための貴重な資源であり、人々の生活の要なのだと、改めて思う。遠くに続く平原を眺めながら、薪の燃える音とともに過ごす冬の夜を想像した。

広大な大地を歩くパタゴニアのトレッキング

トレッキングに出発する。見渡す限り広がるパタゴニアの大地、その先には空と地平線の境が曖昧に溶け合っている。雲がゆっくりと流れ、乾いた風が頬を撫でる。こうした場所を歩くと、ただただ自分の足音と風の音だけが世界の全てのように感じられる。

しっくりくる杖を見つけるまでに、3度取り替えた。太すぎると重く、細すぎると頼りない。やっと手に馴染む一本に出会えたとき、それはまるで長年の旅の伴侶を得たような気分になった。だが、ふと疑問が湧く。この広大な草原の中、なぜちょうど良い木の枝が落ちているのか?この地には樹がほとんど生えていないのに。

遠くを眺めると、風に削られた地面が波打ち、その向こうに小さな丘が連なっている。この地の風は何もかも運び去る。

歩きながら眺めるパイネの山波

杖を突きながら、ゆっくりと歩を進める。目の前には、パイネの山波が広がっている。雲が低く垂れ込め、山々の頂きを包み込んでは、時折その隙間から険しい峰々が姿を現す。

風が強い。雲が絶え間なく流れ、刻一刻と山の表情を変えていく。その姿は、まるで悠久の時間の中で繰り広げられる壮大な劇のようだ。遠くから見れば静かにたたずんでいるようでいて、実は風と雲、光と影が絶え間なく交錯する、ダイナミックな変化の場なのだ。

この山々は、何千万年という時間の中で削られ、形を変えてきたのだろう。ここに立ち、こうして眺めている自分の時間など、ほんの一瞬に過ぎない。それでも、この風景を心に刻むことができる。それだけで、この旅の意味は十分にあるように思えた。

驚きの視線

丘の稜線に差しかかると、こちらをじっと見つめる三つの影。羊だ。野生なのか、あるいは放し飼いなのかは定かでないが、我々の姿に気づくと、一瞬固まったように立ち尽くした。

羊たちの視線が交錯する。こちらを伺うような眼差し。風が吹くたびに毛がなびき、遠くの草原が揺れる。しばしの沈黙ののち、一頭が身を翻したのを合図に、三匹は軽やかに駆け出していった。

その後ろ姿を見送りながら、ここでは人間は異物なのだと改めて思う。彼らにとって、我々はほんの一瞬現れ、そして消えていく幻のような存在なのかもしれない。

警戒の眼差し

丘の向こうに、グアナコの群れが静かに佇んでいた。子連れの母親たちは、遠く離れた我々の気配を感じ取るやいなや、身を硬くし、鋭い目つきでこちらを見つめる。

突如、一頭が甲高い威嚇の声を発した。その鳴き声は、風に乗って乾いた大地を渡り、彼らの間で警報のように響き渡る。群れの動きが一瞬止まり、次の瞬間、流れるような動きで斜面を駆け上がっていった。

彼らにとって、我々は侵入者なのだ。ここは人間の土地ではなく、風と草と動物たちの王国。その静寂を破ったことを詫びるように、しばしその場に立ち尽くす。

 

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。